#257 自分のアイデンティティを語ってブランド化する 24/10/18
こんにちは。
先日、10月の初め、下半期のスタートに際し、所属部門のキックオフミーティングがありました。そこで、わたし自身がここ数年考えていることを語り口調でプレゼンテーションする機会をもらいました。それを振り返りながら共有します。
わたし自身は、比較的、会社など上位からの方針や上長の考えを汲んで、空気を読んだプレゼンテーションをすることはあまりないと自覚しています。それでも、所属会社や事業の方向性と、わたし自身の方向感が幸運にもあっているため、結果的に、その両者のベクトルがかみ合った形になることが多いと俯瞰して考えます。
今回10月のキックオフミーティングでは、それを超える温度感で、自分の問題意識や、考えのパラダイムシフトが起きてきたここ数年の考察を共有させてもらいました。
たとえば、不寛容な職場、人間関係が自社、世の中の企業でもあちらこちらで起きていること。それに関連して、組織のリーダーや管理職に、ことさらに全人格的な姿勢や行動を求めすぎる「あるべき」論。リーダーはこうあるべき、できる上司はご機嫌である、怒ってはいけない、など一角の人物、人格性まで求められます。そこには、能力主義から脱却することができない、人材評価のあり方、メンタルモデルがあると考えます。仮に能力なる絶対的、内在的なものあるとすれば、それはそれで人事制度として、人が人を評価することの矛盾・葛藤、そして傲慢さを感じざるを得ません。
だからこそ、こうした世界観の中で仕事をしていること、オルタナティブを志向・思考しながら、それらを併存両立させる現実感も包摂することを語りました。二項対立で、どちらかが絶対的に正しい、優れていることはありません。両極なのは、また逆に不寛容や肩身の狭さを感じます。ですから、中庸であったり、アウフヘーベンしたオルタナティブを模索します。この矛盾に自覚的であること、これがまずできることであり、必須ではないか、その考えを共有しました。
社会人2年目から中堅まで多様な部門ですから、その受け取り方、理解度はさまざまでしょう。小難しすぎる、理解に及ばないこともあると考えます。それでも、自分自身の考え、問題意識、それを言葉にすることを選択します。
その自分なりの意見や主張が、わたし自身のアイデンティティをつくると感じます。このことは、プレゼンテーションする前には、特に意識していませんでした。
わたしの考えを聞いた後、何人かの同僚が、
「あなたの想い、考えが正直に語られていて、今まで以上に響きました」
とメッセージをくれました。
このメッセージによって、「これって自分のアイデンティティを受容してもらったんだ」と感じるに至りました。そして、自分の考えを、意見を主張することは、必ずしも同意・賛同を得られるものではなくとも、受容してもらうことができ、それが自分のブランドにもなっていくのだと、実感しました。そしてわたし自身、自分のアイデンティティを自覚するに至りました。
非常に、有意な経験をさせてもらいました。
さて、みなさんは、自分のアイデンティティを自覚するのはどんなシーンですか。
それでは、また。