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丁寧な暮らし=自分と丁寧に向き合う

丁寧な暮らしについて思うところを書き
昨日は丁寧=右脳というような内容を書きました。

最近丁寧ブームらしく、さらに考えてみました。

自分を丁寧に扱うって良いよね~
なのですが、
これって身体だけではなく
自分という全て
マッサージをしてあげるとかもそうだけど
「今、どう思ってる?」
「今、どうしたい?」
「今はどうなりたい?」

自分の内面との対話
それを認めてあげること

必ずしも叶えてあげられることばかりではないかもしれない
けれど「認めてあげる」こと

眠いんだね
寒いんだね
お腹が空いたんだね
なんとなくモヤがかかっているんだね

などなど
解決してあげようとすると
解決することが目的になってしまうので
解決できなかったときに新しい「問題」ができてしまう。

だけれども
「認める」だと
解決の必要がありません。

「わたしはあなたのことをわかっているよ」
その意思表示があるだけで
心ってぜんぜん違うんですよ。

結局のところ
丁寧に生きる
丁寧に扱う
ってこんな感じなんじゃないかなぁ~というのが今のわたしの結論です。

どこか焦っていて
どこか生き急いでいる
時間がないように感じる

ではなく

どこか焦っているように感じているんだね
焦ってるんだね
どこか生き急いでいるように感じているんだね
時間がないように感じているんだね
なにか急いでやらなきゃいけないことがあるのかな?

って丁寧に内観していったら

「本当は〇〇がやりたいの」
だけどやらなきゃいけないことがあるから
後回しになっているの

って本当の思いが出てくるんだと思います。

そしたらあとはその「本当にやりたいこと」は
意識してその時間を作ればよいだけ。

流れ作業のように向き合ったり、時間を作るのではなく
普段忙しい生活をしているなら
そのご褒美としてゆっくりとやりたいことに向き合う時間を作る。

ご褒美って物だけじゃない☺️
旅行とか贅沢しなくても良い
ただただ大地に寝転んで空を見る時間だってご褒美になる。

ご褒美はそれが「日常」になってしまったらご褒美じゃなくなる。
非日常だからご褒美になる。

人って変化が必要なんだろうな。
ご褒美に向かって頑張ろうっと。


今のわたしに必要なのは、ここだったみたいです☺️

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ゆかりん
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