でも、それはもう一人の俺がやったことだから
一言で言ってしまえば、彼は魅せ方が上手かった。
彼の周りにはいつも人がいる。
「お前がいないと、アイツとふたりはなんか違うんだよな」と言われる交友関係が存在する。
「君しか」「お前じゃなきゃ」は彼の生活にたくさん散りばめられていて、生徒会、部活のキャプテン、ゼミ長、飲み会の幹事、彼が座る席にはいつもそういった類の名前がついていた。
そんなふうに誰かから求められる彼のことが羨ましかった。
ある時、本人の前でその魅力を語ったら、「そう言ってくれてうれしいよ」と言う割にはあまり喜んでいなかった。
そして何かを考えるように黙った後、
「でも、それはもう一人の俺がやったことだから」
と言った。
人は「イメージ」と常に隣り合わせだと思う。
雑誌やネットの記事で見かける「〇〇そうな芸能人TOP10」なんかはまさにそうだし、
その人の本質よりイメージでカテゴライズしてしまった方が、きっと分かりやすくて手っ取り早いのだろう。
そうしていつの間にか、イメージがさも本質かのように語られ、時にはプラスにマイナスに我々に作用する。
彼はそのイメージに翻弄されるうちの一人だった。
「一見浮気しそうってイメージの人が、実は一途だったら好感度上がるでしょ。仮にしたとしても、そうだと思ったで意外と済んだりする。でも、しなさそうな人が一途だったらそりゃそうだよねとしかならない」
俺はずっと、そりゃそうだよねって思われて生きている人。
他の人が評価されることを、俺がやるとできて当然だと思われる。それがたとえ頑張ってやったことだとしても。
俺は、〇〇そうだよね、というイメージのままにしか生きられないし、それを越える方法がわからない。
彼が自分をそう魅せたのが先か、周りが彼にそういうラベルをつけたのが先か。
どちらにしろ、イメージでできたもう一人の「彼」に、彼が従って生きているところがあるのだという。
「仕事頑張ってるだろうから」
そう言って買って来てくれた甘いものは、いつもわたしの分だけだった。
わたしの知っている「彼」は、ずっと誰かに与える人だった。けれど、その隣に愛されるべきポンコツな彼が座っていることも確かなのだ。
わたしは、何でもスマートにこなすのではなく、「これ教えて」とすぐにわたしを頼ってくる、どこか「足りない」彼のことが好きだった。
求められる「彼」と本当の彼。
それでもたぶん、周りの人を誰よりも大事にする彼は、たとえ本質が殺されても「彼」として生きることを選ぶのだろう。
だから、わたしは彼が時々彼に戻りたいと思えるところで、両手を広げて待ってあげようと思うのだ。
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