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美術史④ロマネスク美術

※勝手に美術史の通史を纏めたものです。
※主に宗教画と絵画タッチに重きを置いて話しています。
※大学の講義で出したレポートを再編集しているので、情報の偏りと全体の大雑把さが見られます。
※また、参考文献等を省いております。ご了承ください。

 大きな流れとして捉えた美術史ということで、補足情報的に役に立てると幸いです。



 11世紀後半にはロマネスク(ローマ風の)美術の時代に入ります。教会建築は壁面が“のっぺり”としたシンプルな円筒形の石壁で、この点はローマ時代のものと似通っています。
 よく皆さんが思い描くような(フランスのノートルダム大聖堂のように……)施された装飾やアーチは、まだ鋭角ではありません。しかし、前の時代から新たに加えられたものとして、本堂の横に別棟の塔が建つようになりました。

 初期キリスト教の教会は天井が平らでしたが、ロマネスク時代には天井にアーチが用いられるようになりました。一つ一つのブロックが下に落ちようとする力で拮抗し、逆に安定して支えられるというような考え方のもと造られた構造で、かまぼこのような形のこれを“半円アーチ”と呼んでいます。また、これらの天井が連なっているものを“トンネルボールト形式”と言いました。

 前の時代から門扉の上に聖典の内容を彫ったレリーフ(テュンパヌム)が嵌められていたかと思いますが、これらの彫刻は半円アーチの影響で、人物の頭身などがデフォルメされるようになりました。こうした作りを持つロマネスク美術は、ある意味写実性に乏しい美術年代だとも言えるでしょう。
 人物の等身がきゅっと圧縮されたのは、半円の部分に収まりきらなかったためですが、その一方で、半円を利用して一番見せたいモティーフの部分を中央に置き、他の場面は枠内に収まるように無理やりねじ込むという工夫もされました(枠組みの法則といいます)。

 ロマネスク美術の教会建築は、上記の他、柱頭なども思わず人々の目が向くような工夫が施されるようになりました。この柱頭装飾にも、枠組みの法則が利用されているものがあります。
 また、ロマネスク時代の柱頭装飾は、他の時代と比べてモティーフのバリエーションが多いということも特筆すべき点でしょう。大抵の柱頭装飾といえば、やはり聖書に基づいた話を題材としたものが多いですが、どうやらロマネスク時代の柱頭装飾はそうでもないのではという説があります。実はもう既にオリエント的な意匠が組み込まれていたり、あまり見たことのないような怪物の造形だったり……。

 ──学習の場では、ロマネスク美術などの中世時代の分野に時間を割くことが少ないそう。ですが、深掘りしていけばしていくほど、面白い発見がある時代なのではないかと思います──

 さて、このような教会の作りとなった理由ですが、これには当時の時代背景が関係しているといえます。
 紀元1000年の節目であったこの時代、聖書の記載に則って考えると、最後の審判が近い年でした。救いを求めた信徒は、各地から次々と巡礼の旅に出るようになります。
 こうした巡礼が信徒の間に定着すると、行く途中もしくは行く代わりに地方の教会へと足を運ぶことも多くなっていきました(フランスのモン・サン・ミシェルなども同じような用途でした、少し前に世界不思議発見でやっていた記憶があります笑)。
 こうして、教会という場所はたくさんの信徒の人々が足繁く通う、文化的な施設と昇華されていったのです。

柱頭装飾


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 さて、先ほどまでは教会の構造や装飾などを主に説明いたしました。ここからは、人々がやってくることによって教会の内部が混雑することを避けるため行われていった、内部空間の拡張について書いていこうと思います。

 以前の教会にもあった後陣のような半円型の窪みを設けた場所が増えます。これらの場所は“内陣”と呼び、巡礼者が見たいと願う聖遺物などを設置した“小祭室”へと変貌を遂げていきます。ひとつの窪みにつき、ひとつの聖遺物を置きました。
 これらを見て回る、巡回するための道筋を“周歩路(しゅうほろ)”と呼びました。

小祭室が立ち並び、これに沿って人々は移動します(周歩路)

 この時期には、天井画もよく描かれるようになっていきました。色は鮮やかですが決して写実的と言えるようなものではなく、植物や動物などがある種パターン模様のようにデフォルメされているものでした。こうした描き方は初期キリスト教美術に近いと言えるかもしれません。
 また壁面は、それまで多用されていたモザイク画の費用が高くなってきていたため、“フレスコ画”が 多く使われるようになりました。初期のフレスコ画はよく我々が思い浮かべるようなものとは少し違って立体感に欠けている側面があり、遠近感もあまり見られません。
 また、天井画とは違って、全体的な色合いも淡いものでした。

 こうした壁画は単なる装飾としての意味合いだけでなく、信徒への説教の役割も果たしていました。地域の人々も巡礼の旅をしている人々にも共通することですが、当時は識字率が良いとは言えない時代でした。また、聖書の翻訳言語にも限りがあり、母国語で訳されていない信徒の人々も多く訪れていたのです。
 そこで、教会側は壁画をうまく活用していくことにしました。壁画に描かれた聖書の一場面を、司祭の声と共に視覚的に取り込むことによって、教会を訪れた信徒達はよりその理解を深めることができたのでした。

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