推しの子最終巻感想【彼女がスターになるまでの物語】
はじめに
どれだけ暗い闇の底に沈んだとしても、自らまた光を放ち輝くことができる存在こそが、本物のスターなんだということを言いたいのかなって思いました。
ルナティック
「私は星」今日もそんな嘘をついた。
とは最終巻冒頭のセリフだが、夜空に輝く星とは自ら光を放つ恒星のことである。
では、偽物の星、光とはなんだろうと考えた時に頭に浮かんだもの。それは、月の光である。
月は太陽、恒星の光を反射することによって、光を放っている。そう、嘘の光だ。
嘘とスター。これは推しの子という物語を読む上で、重要なものだということは最終巻まで読んできた方ならご存知のことだろう。
アイドルが月だとするならば、人の心を狂わせる存在であってもおかしくはないのかもしれない。
ルナティックっとは、英語で狂気を指す語句であり、その語源は月が人を狂わせるとされたことに由来しているからだ。
本作ではそんな月の光(アイ)によって、多くの人間が狂わされてきた。
もちろん、アイ自身はそんな事を望んでおらず、ただただ普通でありたかったと思われる。
しかし、月の光に魅せられた人々は、熱狂し、発狂し、いれあげてしまった。
そして一番狂ってしまった人間こそが、彼女が愛した存在こと神木輝なのである。
神木もまた、同じカリスマ性を持つ月の光であった。
ただ、彼が違ったのは、彼が愛した月の光(アイ)を本物の光、つまり太陽にしようとしたところにある。
アイ以外で本物の光になりそうな存在を早期に摘むことで、彼女を唯一の光、太陽にしようと画策したのだ。
それが例え、愛した人との間に産まれた子供を殺すことになったとしても、である。
双子星
二つの恒星が両者の重心の周りを軌道運動している天体のことを双子星、または連星という。
このうち明るい方を主星と呼び、暗い方を伴星と呼ぶが、これに本作のダブル主人公であるアクアとルビーを当て嵌めるとすれば、主星がルビーであり、伴星がアクアとなるだろう。
面白いのは、地球の恒星である太陽も、かつては連星だったのではないかという仮説があることだ。
細かいことは省くが、地球の双子星であるネメシスがいなくなったことで、太陽系の中で太陽こそが唯一の恒星になったのだという。
これは作品にも共通しているように思われる。
つまり、アクアという双子星がいなくなったことによって、ルビーは自ら光を放つ恒星、唯一無二の太陽になったのではないだろうか。
ちなみに、ネメシスとはギリシャ神話に登場する「義憤」の女神のことである。神の憤りと罰の擬人化。さらには「義憤」が訳しにくい語であったために、しばしば「復讐」の女神と間違えられていたそうだ。
どちらもアクアを表すものとして、ピッタリではないだろうか。
神木に復讐をしようとしたアクアは、ルビーが人を許していく道を選んだために、その復讐を諦める。
だが、それでも娘を、ルビーを殺そうとした神木に対して、人としての道をはずれたことに対しての怒りから、アクアは神木を殺す決意をしたのであろう。
それが例え、自らの未来を閉ざすことになろうとも。
Star
「私は星」今日もそんな嘘をついた。
冒頭のルビーはそう語るが、ルビーこそは太陽であり、スターなのだと思われる。
これを裏付けるものとして、古代インドではルビーは赤い色から太陽の宝石と信じられ、ラトナラジュ(宝石の王という意味)と呼ばれていた。
太陽の宝石である。
だからこそ、ルビーはひとりで立ち上がる必要があったのだろう。
誰からの助けも受けず、自ら輝くことのできる恒星になる。
どんなに暗い闇の中にいても、光り輝ける存在として、人々を照らす光になる。
それはまるで、「暗い程により輝く夜空の星みたいに」。
「推しの子」という物語は、星野ルビーという本物の太陽、スターが誕生するまでの物語だったのだろう。
おわりに
ここまで16巻を読みながら書いてきて、なぜツクヨミだったのかわかった気がします。
いやぁ、芸事の神なら天宇受売命(あめのうずめのみこと)とか、八咫烏の化身なら賀茂建角身尊(かもたけつぬみのみこと)じゃね、とか思っていたんですが、多分月の光からツクヨミだったのかなって思います。
こうして星と関連づけている事を考えれば、水星はあかねちゃん、金星はMEMちょ、地球は姫川さん、火星が重曹ちゃん、木星がフリル、土星がみなみちゃん(土星でピンクとかあんのかと検索して、ピンクサターンって出てきてクソワロタ)とか色々想像して面白かったです。
結構酷評だったみたいですが、自分的には納得がいって泣けました。
なので、急遽動画も作ってみました。
以上、推しの子最終巻の感想でした。おそまつ!
小説も仕事がひと段落したら読んでみようかと思います。