HSP・AC・複雑性PTSDなわたしの自己否定と自己受容と自己肯定
今回はHSP・AC・複雑性PTSDを抱えていた私でも、自己肯定のはじまりである自己受容に自力でたどり着けたよ!的なおはなしです。
前の記事で少し触れたので、私自身の心理的なぐちゃぐちゃをご紹介しようかなと・・・。
どんなことがあったのか。については多分たくさんありすぎてなかなか詳細まで書くといろんな意味で大変なのでかいつまんでお話してみますね。
HSP気質でAC、複雑性PTSDを発症
私は気質的にはHSPであり、またAC(アダルトチルドレン)で、過去の様々なトラウマからPTSDを発症。心配性が過ぎて不安障害といわれたこともありましたが、蓋を開けてみれば私が悩んでいた身体症状や良くない性格(と思っていたもの)はほとんどこれら3つに由来するものでした。
HSP気質のため元々色々な刺激に敏感であったところに、ACで不安定さがもたらされ、様々なネガティブな出来事に晒されるたびにトラウマが増え、それらのトラウマが複合化し、複雑性PTSDだと大人になって言われてしまいます。私のAC・トラウマの原因、PTSDの症状はこんな感じでした。
【ACの原因】
両親の長年の不仲の板挟みで、常に離婚するしない問題があり、壊れるかもしれない家庭を何とかしないとと孤軍奮闘していました。母親からは自分たちが離婚したら弟たちの面倒はあなたが見なければいけないとか、収入が減るからあなたも働かなければいけなくなると小学生のころから言われていました。だから離婚したら私の人生は地獄が待っているように感じていたのかもしれません。
【主なトラウマ】
両親の不仲、学生時代の全員無視などのいじめ、社会人になってからのセクハラ、仕事丸投げ等のパワハラ、人がいないときに罵詈雑言の怒声を浴びせられるなどのパワハラ、女性職員同士の陰口・仲間外れなどのいじめ。
書いていて、やっぱり大きな組織だと働くのはつらいなぁと思い出して惨めな気持ちになってしまいました・・・。
【複雑性PTSD発症】
いじめや両親の不仲などに長期的に晒されていたため発症したようです。症状はイライラ、フラッシュバック、慢性疼痛、希死念慮、他者への恒常的不信と一方では非現実的な救済願望など。
私は加えて解離症状もありました。鏡に映る自分がまるで自分ではないように感じることが多かったです。「私こんな顔してたっけ?」みたいなきつねにつままれたような。
日々の生きづらさとカウンセリング
私は常に人の顔色を窺って、機嫌を損ねないようにしなきゃという状態が基本で。でも常にイライラしていて怒りっぽくなっていって、年齢を重ねるにつれてイライラは酷くなっていったように思います。
なんだか負の連鎖なんですよね、重ねていく毎日が。
セクハラやパワハラ対象として選ばれることも多かったし、仕事の丸投げもなぜか私にならしてもいいみたいな空気だったり。どうしてそうなってしまうのかは今でもわからないのですが、トラウマ外来のカウンセラーさんにはPTSDの方はそういう風になってしまう方が多いですと言われていました。負のスパイラルに陥る方が多いんですって・・・。
ありがたいことに、私は話をきちんと聞いてくれる、自分の言葉が出るのを待ってくれるカウンセラーさんとの時間は大事だなと思っていたので、カウンセリングは話を聞いてもらう、気持ちを吐き出させてもらう場として好んで利用させてもらっていました。友達への相談だと申し訳なかったり、人間関係に影響したりしていたので、相手がきちんと線引きして仕事として聞いてくれるというのは、相談するこちらとしても線引きしやすく安心できます!ありがたい存在です。
余談ですが、私にとって同じありがたい存在なのは、馴染みの占いの先生です。安心して気持ちを吐き出す場として活用させてもらっています(笑)
話を戻しますね(;'∀')
心理療法とかカウンセリングなどで目標としていた「自分を肯定する」とか正直どんな感覚なのかわからなかったし、そもそも「私はダメなんだ」が基本なので、ダメじゃないと言われても「なぜダメじゃないと言えるのか」はっきりした根拠を求めてしまいます。自己肯定感を高くしていけばよい方向へ向かいますよと言われても、そんな本を読んでも、はじめはさっぱりダメで(笑) 先生が投げかける優しい言葉も「嘘とお世辞だらけだなぁ」とか「仕事でこんな風にいわないといけないなんて、心理士さんは大変だなぁ」とどこか冷めた目でみている自分がいました。
結果としては、2年近くカウンセリングに通って随分と良くなったのですが、何かネガティブなことがあると自己否定と自己肯定感の低さが目に付くことは変わらなかったです。
自己受容が自己肯定のはじめの一歩
ところがある日、自己肯定感に関する本を読んでいて「自分を受け容れることから始める」という言葉があって。どういうことなんだろうって何か月間か自分の中で消化できずに引っかかっていたのを覚えています。
自分を受け容れる=そのままの自分でいい=肯定感低くても・自己否定してしまう自分でもそのままの自分でいいってこと?でもおかしくない?それじゃだめなのに、それでいいって矛盾してる。
でもいろんな本を読んでいくうちに、「そのままの自分でいい」から始めていくってことなんだ!って自然と思った瞬間があって。今のそのままの自分がどんな自分で、どんな問題を抱えていて、何に困っているのかわからないと先に進めない・・・。そういうことなんだなと理解したわけです。
でも・・・。それを理解する・腑に落ちるのに自分で自分を見つめるようになって5年以上はかかったと思います。とても長く感じました。
自己受容のタイミング
正直に言うと、どんなにわかりやすく人から教えてもらったとしても、それで理解できるとか腑に落ちるということはなくて、自分の中で整理がついたり「そうだな」って思える瞬間だったり、そういうタイミングで自分の中に入ってくるんですよね。人それぞれのタイミングってとても大切です。
でも、だからこそ、そのタイミングを逃さないために必要な気付きや言葉を事前に準備しておくということは大切だなと思います。なるべく早いタイミングで気付きたいから。
まとめ
以上、HSP・AC・複雑性PTSDを抱えていた私でもなんとか自己受容までたどり着けていましたね!!経緯はこちら!
ACやPTSDで生活に支障がある部分は受診やカウンセリングできちんと対処!(専門家を頼ることで自分も安心できる!)
自分もきちんと自分に向き合って自分自身を知る努力をする。
自己受容のタイミングは人それぞれ。自分のタイミングを大切に!自分自身を知る努力が自分のタイミングへの準備に繋がっていた。
そのうち、読んでみた本の紹介をしたいと思っています!
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!!
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