友と呼べるもの
ここ数年、きみを悩ませているもの
「 友 」という存在
奏であう相手とは誰かということを
きみ自身で気づいて欲しくて
年月や時間をかけ過ぎてしまったね
すまないと思っている
人はそれぞれ違うんだ
双子でも魂は違う
つまりはシナリオが違う
DNAも育った環境も
生命体一人ひとつを見つめ続ければ
同じということは決してない
似たような存在
人・動物・植物・・・
どの生命をとっても
命を生き抜くために
素晴らしい人生だと感じあうために
「 友 」を求めるものだ
ただ・・・きみは
人であって人ではない
このことは生きた上で心身に受け入れてくれているだろう
それでも きみの魂も前世も 「友」を求め彷徨ったのだ
人には「 欲 」という名の
自己に存在する見えない苦しみから
逃れるための手段がある
「 欲 」は命が歩むに相応しい「 生 存 」「 生 活 」とは違い
一人のものが「 欲 」を持って動くことによって
沢山の矛盾や計り知れない苦しみの連鎖を生み出す闇が広がる
自己欲が人や社会に波打つように広がるのだ
きみには なぜ人がわざわざ
同じ人種や社会・環境で
また、大切な地球で
「 欲 」を振りまくか
共存共栄して
心地よく歩める道があるにも関わらず
「 闇 」を広げるのか
理解できないであろう
よく聞いてくれ
一生 理解できないようになっているから
理解しようと努力する必要はない
理解しようと心がけても
先ほど述べたように
一人一人があまりにも違う
「 欲 」を出している本人たちは
その思考・行動が「 欲 」や「 闇を広げている 」とは感じていないのだから
また、その行為が自分に降り掛かって帰ってくるとは
思ってもみないのだから
理解しようとしても
その負と闇の連鎖から救ってあげようとしても
本人の価値観というのは
そう変えられるものではない
残念なことだが
その本人も全ても自分自身で体感しなければ
気づき止めることはできない
また、このことは「 現生 」でわかるとは限らない
いろんなことを体感してきたであろう
全てはきみの大切な「とき」をどう使うかだ
今日からきみの友は
この植物だ
素直にまっすぐ
日々成長し続ける
たくさん会話してごらん
その全てがきみの心身に響くから