第43回 第4逸話『カリュプソ』 その1
時刻は午前8時。
つまり第一逸話の頭に戻ってる。ここから夫レオポルト・ブルーム&その妻モリーの物語が始まる。
『ユリシーズ』リスタートです。
今二人がいる場所は自宅。集合住宅です。エクルズ通りっていう、地図で言うとこのリフィー川って言うダブリンを真っ二つにする川の上側にあって、結構繁華街にある通り沿いにあります(ちなみにこの小説に出てくる全ての通り名も、店名も、1904年当時、ダブリンに実際にあった)。
一応二人のキャラ説明を。
レオポルド・ブルーム。夫。38歳。新聞に載せる広告取りが仕事(多分そこそこの高給取り)。父親がユダヤ系なので、レオもユダヤ人。ゆるいユダヤ人(敬虔なユダヤ人は豚肉を食べない。彼は大好物)。
モリー・ブルーム。妻。33歳。プロの歌手(今の所わかっているのは、巡業とかしてるみたい。プレスリーみたいにレコード出してる歌手とかじゃなさそう)。半分ユダヤ人。やはり豚肉を食べる。
二人とも、少しふっくら体型。
最近、一人娘がウエストミーズで住み込み仕事を始めたので、現在二人暮らし。
作者ジェイムズ・ジョイスはというと、この作品を書くにあたりもっと詳細な二人の年代記なるものを作成しています。
レオとモリーの初対面は1887年で、場所はある家のホーム・パーティの場だったとか。この時から既にお互い惹かれあっていたとか、およそ10分間見つめ合ったとか。その後モリー家は引っ越しして、レオは父親の家業を引き継いで、行商をしていたとか。レオは若い頃イケメンで弁も立ち、将来は政治家かと吹聴されたりもしたとか。一方モリーはというと歌手として知られるようになるとか。
その後、二人は再会、以降親交を深める。あるパーティでは、当時5歳のスティーブン・ディダラスもその場に来ていて、会話もしているそうな。それからお互い恋のライバルとかできて、色々あったが、翌年の1888年にレオがモリーに求婚。キリスト教カトリックの教会で結婚式をあげる。二人が最初住んだのはブルームの地元のユダヤ人地区だった(家によっては、信仰なんてどうでもいい人にはどうでもいいんだな)。次の年には長女ミリーが生まれる。三人で行ったピクニックやユダヤ人地区での友人たちとの思い出など、ある時のコンサートに出かけた後の帰りに云々とか、この頃が二人にとっての幸福期だそう。
1893年。長男ルーディの誕生。そして生後間も無く死亡する。ルーディには生まれた時から体に障害があったらしく、以降二人は妊娠を恐れる。それからしばらく経った同年11月27日が、二人の最後の肉体交渉。つまり二人は約10年セックスレス)これは『オデュッセイア』における10年疎遠のオデュッセウスとペネロペイアに対応してる)。その後、レオは転職を繰り返し、無職の日々も過ごす。モリーは古着を売ったりバイトしたりで家計を助ける。そんなこんなで二人とも、違う相手に性のはけ口を求める…。
そして現在。最近娘のミリーは奉公に出て、また夫婦だけの生活が始まった。
…と、こんな感じです。
ジョイスはこれほど詳細な人物設定を植え付けていきました。
こうすることよって、紙の上、文字によって示されただけの人物は、血の通った一人の人物として生きてくる。そして、その設定は、後々の物語作りにも役立ちます(ちなみに、ディダラス家の人たちに限っては、どうせ自分の家がモデルだから創作する必要なし)。
何度もお伝えしているように、前逸話までの主人公スティーブン・ディダラスのモデルは作者ジェイムズ・ジョイスです。
では、こちらも度々お伝えしていますが、レオポルト・ブルームにも実在した人物がモデルにいます。
アルフレッド・ハンター。年はだいたいアラフォー、ユダヤ人(2逸話のディージー校長は嘘をついている)で職業は広告取り。レオポルト・ブルームと完全に被ってます。おまけに、妻のマリアン・ハンターさんには不義の噂があったそう…。
ハンターはジェイムズ・ジョイスの父ジョン・ジョイスの知人で、息子ジェイムズともある葬式で顔を合わせている(その故人はマット・ケインという人で、この後6逸話で語られるブルームの知人ディグナムの葬儀がそれにあたります。『ユリシーズ』ではスティーブンは葬儀に参列していませんが、ブルームが葬儀場に向かう馬車の中から、繁華街を歩くスティーブンの後ろ姿を目撃するシーンがあります、220ページ)。
当人アルフレッド・ハンターの住所はドラムコンドラというところだったそうですが、ブルームの住所はエクルズ通り7番地です。
なぜそこまで詳細に示されているかと言うと、この建物はジョイスの大学時代の友人フランシス・バーンが住んでいた建物だからです。(なのでジョイスは家の内装も把握していただしょう)。
バーンは『若い芸術家の肖像』にも登場したスティーブン・ディダラスの大学時代の友人クランリーのモデルです。
1904年6月のある日(残念ながら16日ではない。なぜってその日ジョイスは生涯の伴侶となるノーラ・バークナルと初デート)。
ジェイムズ・ジョイスはダブリンのある飲み屋で荒くれ男に絡まれ、しこたま殴られるという事件が起きました。その彼を抱き起こし、救助してくれたのが、アルフレッド・ハンターその人だったのです。
「ハンターさんって確か親父の知り合い…。あの人マジサイコー!」
それから2年後の1906年、ジェイムズ・ジョイスは弟スタニスロース・ジョイスに宛てた手紙で、ハンターについての物語の構想を語っています。そしてそれは20世紀を代表する名著『ユリシーズ』の構想が初めて記させたことでもありました。
そしてブルームのモデルとして、もう一人忘れちゃならないのが、ジョン・ジョイス。そうジェイムズ・ジョイスの実父です。ということは、やはりジョイスはハンターさんに父的なものを探していたのではないか。
さらに、この『ユリシーズ』の元ネタとして語られるのが、ホメロスの『オデュッセイア』。あらすじは、消息不明の父オデュッセウスを探す息子テレマコスの冒険譚でもあります。
そもそも、ジョイスはなぜわざわざ『オデュッセイア』を元ネタに選んだのでしょうか?
そう、『ユリシーズ』とは、父親探しの物語でもあるわけです。
父親探し? なにそれ? だから? なにが偉いねん。
いや、父親、つまり自分のルーツを知る事で、自分を見つける。
自分はどこから来て、自分は何者で、そしてどこへ行けば良いか、それをを探すのです。
…続く。