
第64回 J・ジョイス映像作品その2『ノラ 或る小説家の妻』(5)
しばらくして、ジョイスの弟スタニスロース・ジョイスがやってくる。
ただの旅行ではなく、兄の世話役としてジョイス夫妻の部屋に居付くらしい。ジョイスの提案で。
映画では説明されていないが、ジョイスは、スタニーを寄越すために自分が働く学校の英語教師のポストを確保したそう。
「送っといた金はどうした?」
「あんなのもう使っちゃったよ。引っ越しに新調の背広に大変なんだから」
「こんな役立たず大丈夫なの?」
ノーラはイタリア語を流暢に使い、聞き取れないスタニーの悪口をペラペラ。
故郷では、学のないことをみんなから馬鹿にされてたノーラは、ここに来て約一年、二カ国語を自慢したかったみたい。
ある日、スタニーはノーラに言う、
「兄さんは天才だよ。僕はそれを埋もれさせたくない。それが使命だ」
「あら、あなたも大変ね。結婚でもすれば?」
ある夜、スタニーはとあるバーに兄ジェイムズを向かえに行く。
相変わらず飲んだくれてる兄。
「小説の出版を断られた。アイルランドが舞台の小説なんて売れないとさ。こうなったら故郷へ帰って出版社を探す。親父に孫の顔も見せたいし」
これはロンドンにある、グラント・リチャーズという人が経営する出版社に、『ダブリン市民』の原稿を拒否された顛末。
真相は、グラントさんの方は気に入ったらしい。が、それを持ってった先の印刷所の主人が気に入らなかった。
「こんなもん印刷できっか!」。
それは『姉妹』におけるカトリックの神父が梅毒で死んだとか、『二人の伊達男』における、女中をたぶらかして盗みをさせ「イェーイ』って内容とか。汚い言葉もたくさん使った。
芸樹と商業の軋轢。出版社はその中間&板挟み。
ジョイスは、トリエステに越してきてから酒浸り。外で飲んでベロンベロンで帰宅。そんな彼を迎えに行くのはスタニーの役目となり、ノーラもお隣さんのフランチーニ夫妻もスタニーを歓迎し出した。
ノーラはある日、暇潰しに一人映画館へ行く。
題名はわからないがサイレント映画。無音。時は1906年。フランスはパリでの、史上初の映画上映会からわずか11年。
スクリーンの向こうでは若い男女。カップルっぽい。ぼんやり見てたら、その男の方が、ゴールウェイ時代のかつての恋人マイケルに似てくる。
映画では、男は死に、埋葬される。泣く女。
マイケルもチフスで若くして亡くなった。


自分の思い出と重なる映画にシンパシー、涙が頬をつたうノーラ。

映画館を出たノーラはあるカフェで、アホみたいに原稿を書いているジョイスに会う。
「やあ、どこ行ってたの?」
「映画。それで昔の恋人のことを思い出したの」
「好きだったの?」
「お互い若くて楽しかった。マイケルはあの歌が好きだった(オーリムの乙女)。でもあの人はそのあとすぐに亡くなったの」
「…」
明くる日、部屋の片付け中、書きかけの原稿を見つけるノーラ。

「まぁ」
数日後、
「読んだわ。あなたの新作『死者たち』」
「で、どうだった?」
無言で微笑むノーラ。


続く。
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