第53回 第4逸話『カリュプソ』 その11
ミリーは昨日、6月15日が15回目の誕生日。生まれて初めて親元を離れ…。
ブルームは感慨深げにミリーを思う。産婆さんのこと、その後生まれたミリーの弟ルーディは、11日間で亡くなった事…。
ある時口喧嘩して、好きなケーキも食べず剥れていたこと。
あの娘ももう一人前だ。週12シリング6ペンス(料金)。多くはないが(鈍者のスティーブンは臨時教員で週16シリング)。
やっぱり娘からの手紙は嬉しいのだろう、また最初から読み直すブルーム。
”まあよかろう、あの子ももう15歳。自分で気をつけるんだね。”
それはバノンとかいうミリーのボーイフレンドのこと。
”階段を駆け上がるときのスラリとした脚。宿命さ。親譲りだね。今熟してる。
歩道であるとき、突然頬をつねって血色良く見せてたっけ”
そしてブルームの脳裏に不安が走る。
”起こるだろう、それが。防いでやろうか? いや無駄だ。ミリーにも。
モリーにも。”
ブルームの不安は娘のことだけじゃない。そう、愛妻モリーもなのだ。
さっきモリー宛にきた手紙、その主はボイランという名の興行師。モリーの仕事の世話をしてる。
今日やつは来るのだ。この家に。俺の家に。俺のいない間に。
やつをモリーに紹介したのは誰であろうこの俺…。
気を取り直して、”あの娘も今の暮らしの方がいいだろう。一度行ってみるか(ミリーの住む地に)。8月の休暇にでも。往復で2シリングくらいかな。
マッコイに頼んでみよう”
マッコイさん。なんの説明もないが、彼はブルームの友人で元鉄道局勤務。その彼に汽車の切符を頼んでみようかな、ブルームは考えた。
マッコイはジェイムズ・ジョイスの短編集『ダブリン市民』の中の『恩寵』の登場人物でもある。
『ダブリン市民』
1900年ごろのダブリンを舞台にした、そこの住む市井の人々の悲喜交々を描いた15編からなる短編集。
(執筆は1905年ぐらいから続けていたらしいが)単行本が出版されたのは1914年。
ジョイスの『ユリシーズ』執筆開始時と被る。そして舞台も被る。小説内的には、両作は同時期、1900年台初頭。スティーブンやブルームの生活のすぐ近くで、マッコイや『ダブリン市民』の出演者の生活もあった、というわけです。
作者ジョイスは、『ユリ〜』執筆中に、刊行されたばかりの自著『ダブリン市民』を思い出し、
「あ、この二人友達ってことにしよう」
と思い付いたのかもしれません。
マッコイさんが登場する『恩寵』のあらすじは、トム・カーナンという飲んだくれを、友人のカニンガム氏パワー氏そしてマッコイがカソリックの教えで静修させようとするもの。
カーナンもカニンガムもパワーも、この後の逸話で『ユリシーズ』に出てきます。
『恩寵』の中には、上記4人が一同に会するシーンがありますが、じゃあこの場に、ブルームやスティーブンの父サイモン・ディダラスがいてもおかしくないわけですね。
これが『ユリシーズ・ユニバース』です!
…続く。
…で、
『ダブリン市民』の話が出たところで、誠に勝手ながらここで一つ重大な「ネタバレ」記述をさせていただきたいと思います。
実はこの短編集『ダブリン市民』に収められている作品の中に、『姉妹』『イーブリン』『レースの後で』があります。これは1904年8月から10月にかけて、ある組合の機関紙『アイリッシュ・ホームステッド』に掲載されたものになります。
1904年8月なので、『ユリシーズ』内時間(1904/6/16)の約2ヶ月後ですね。
そして、この作品の作者名は、ななな、なんと「スティーブン・ディダラス」です!
言うまでもないですが、それは「ジェイムズ・ジョイス」の単なるその場のペンネームに他なりませんが。
ここは一つ『ユリシーズ』作品内を踏まえ、
「スティーブンはその後、作家になる夢を果たした!」
…と捉えると、嬉しくなりませんか?