熱は、東北にある 3日目 ~ねぶた祭~
ほんのりと硫黄臭が漂う部屋の中から、もうすでにかなり鋭くなりつつある日差しが見えた。東北旅行3日目。起きると、そこは秘境だった。
↑これの続きです。今回も長いです。
秘湯の全貌
朝7時に目覚ましも無しに爽やかに目覚める、というおよそ一般の理系大学院生に為しえない起床を実現させたのは、間違いなくあの緑色の温泉が私の体を異常な健康体に変えたからであろう。まあ実際にはスマホを使うための電波も充電用のコンセントも無かったのが大きいかもしれないが。
早速朝風呂に入る。昨日は暗くてよく分からなかったがとても風情がある空間だ。ここを見るだけで温泉宿に泊まったということが実感できてすでに満足感がある。
すごい色だ。信じられないだろ、天然なんだぜ、これで。前回の日記では暗くて分かり辛かったが、明るいと緑色がとても美しい。表面にたくさん浮かんでいるのはすべて湯の華で、二時間ほど人が入らなければ一面真っ白になるそうだ。二度目の入浴だが、やはりいい湯過ぎる。濃度はんぱない。入って大丈夫なのかためらうレベルの濃さである。
露天風呂はこんな感じ。宣伝文句のエメラルドグリーンってよりはおおむね緑茶だが、奥の豊かな森との対比が映えて美しい。
露天風呂の排水溝付近。こんな緑色は自然で初めて見た。周りに普通に草が茂っているのが不思議に思えるくらいの毒々しさである。これに平気で入ろうとする人類ちょっとおかしい。
自炊棟はとても風情がある空間だったが、洗面所などには虫さんがかなり元気に蠢いていらっしゃったので、平気な私でもびっくりする場面はあった。特に洗面所で天井からぶら下がってる虫除け用のトンボの模型?を振り返りざまに目の前に見つけた時は叫んだ。全然虫除けれてない上、本物と見分けつかんリアルさなので本末転倒という。
そこに目をつぶれば3650円で最高の秘湯に泊まれる。なんと6泊目の宿泊者もおられた。良かった、6日間国見温泉入っても溶けないんだ人体。
片富士半周
国見温泉を後にし、雫石方面に向かう。昨日戦々恐々として走ってきた道も太陽が燦燦と照っているとまったく違う光景であるが、ひん曲がったガードレールなどがあり明るくてもなかなか怖い道であった。
そういえばこのあたりは有名な小岩井農場があるんだった、ということでちょろっと寄ってみた。売店が開いていたのでM氏はソフトクリームを食べていた。今回はテーマパークのようになっている農場の中まで見物する時間は無かったが、車から見えた古い牛舎などとても魅力的だったのでいつかちゃんと行ってみたい。
地図を見てもらえばわかると思うが、岩手山をぐるっと回るような行程で進んでいる。岩手山は南部片富士とも呼ばれる美しい山である。「片」富士なのは南東側から見ると富士山型だが、後ろには山々が連なっている形だからである。
南部片富士の富士山に見える側に来た。最初雲がかかっていたが、こっちには善性の塊たるM氏がいるのでだんだん晴れて山頂部も見えてきた。地面がむき出しのこの場所は「焼走り」と呼ばれ、かつて噴火の際の溶岩流によってできた岩原らしい。
黒い岩がゴロゴロしているがいわゆる軽石ではなく、溶岩が固まってできた重量感のある岩で風化も進んでいないのでまるでつい先日噴火したかのようだった。実際には18世紀前半の噴火らしいが、いまだに植生が戻っていないという。さすが火山王国東北、とんでもない場所がある。
アスピーテライン
焼走りを見た後は八幡平アスピーテラインを通ってゆく。このアスピーテというのは中学校で習ったいくつかある火山の成り立ちの一種で、ハワイ諸島などのように溶岩の粘り気が少ないためになだらかな感じになったものを指し、楯状火山とも呼ばれる。水曜どうでしょうをご覧の方は「がッさーん、立て、ジョー!遊びーでねえんだ!(月山、楯状、アスピーテ)」の語呂で覚えておられると思う。
しかし、実は近年では八幡平や月山も、なだらかに形成された成層火山との見方が正しいと考えられている。日本には本当の意味でのアスピーテはおそらく無い。そう思うと悲しい名前の道である。景色は良いし、普段目にしないスノーシェッドとかあってとてもいい道だよ。
美しい緑の中に明らかな廃墟が点在する異様な光景、これはかつて八幡平にあった松尾鉱山で働いていた人々が住んだ団地の跡である。あたりは一面緑に覆われて街の面影が全くない中、この鉄筋コンクリートの建物群だけが残された様は圧巻というしかない。
松尾銅山は電気鉄道が敷設されるほど栄えた硫黄の鉱山で最盛期には1万人以上がここに住んでいたらしい。廃墟の風景にもびっくりしたが、後から調べてびっくりしたのは、この自然豊かそうに見える土地が、廃鉱後も強酸性を帯びて草木が生えない土壌だったということだ。
地面の上から粘土を厚く敷き詰めるという脳筋作戦と現在も24時間稼働し続ける中和施設、そして地道な植樹などによって何とか復活させたものだということだ。自然の強さではなく、人の力の強さを感じるべき場所なのかもしれない。
しばらく行くといきなり霧に包まれた。恐ろしく視界が悪い。岩手山から八幡平にかけてずっと天気が良かったが、標高が上がったことで雲の中に突っ込んでしまったらしい。アスピーテラインで一番景色の良いという展望台も霧の中だった。無念。
霧を抜けると、車の中から湯気の上がる河原が見えた。後生掛温泉である。温泉に入ろうかとも思ったが、朝から強烈なお湯につかっているせいか若干湯あたり気味だったのでパスした。いつかは入りたい。3日目の時点で要再履修地点が多すぎる。
後生掛にはいわゆる地獄めぐりができる遊歩道があり歩いて観光するはずだったのだが、最近熊さんの散歩コースにもなったようで通行が禁止されていて落胆する。
恐ろしさ的に 熊 > 地獄 なのである。
Tとの遭遇
アスピーテラインを抜けて秋田県に入った我々はさらに北上を続け、小坂町という所までやってきた。ここには廃線になった小坂鉄道が保存されている小坂レールパークがある。
うかつに鉄道ファンに旅程管理を任せると車で移動しててもこうなってしまうんじゃよ、M氏。私はさっそく中に入ろうとする。と、ここで一人の男が現れた。
限界旅行仲間の悪友、T氏である。実はこの時、T氏も独自に鉄道で東北の祭を巡っていたが、このあたりに行ってみたいが鉄道やバスじゃ接続が悪いから、という理由で途中からの便乗を依頼されていたのだ。何ではじめから一緒に旅行していないのか、何でこんな場所で合流なのか、皆さんの疑問はもっともである。だが心底こっちが聞きたい。たぶん奴もそのうちnoteに旅行記を書くと思う(知らんけど)のでそっちを見よう。ちなみにT氏とはこの後なぜか合流と離脱を繰り返すことになる。まあこっちとしてはレンタカー便乗分の運賃をせしめられれば何でもいい。
それはそうと小坂レールパークは設備がそのまま残されていてなかなか良い場所だった。保存車両は鉱山の輸送が中心だった小坂鉄道の歴代の車両たちや、なぜかブルートレインなど小坂鉄道と関係ない車両もいて充実している。
(オタク早口モード開始)この何ともかっこいい緑色の除雪車はおよそ90年ものでなんと動態保存であり、それだけでも驚べきことではあるが、津軽地方はこの車両と同形式のものがいまだ実際の鉄道線で現役で3両も活躍しているという恐るべき物持ちの良さを誇り、それぞれ津軽鉄道線、弘南鉄道弘南線、大鰐線の冬の主、キ100型として、その素晴らしいフォルムでファンを魅了しているのでござるのでござる。(オタク早口モード終了)
青森山中強行軍
小坂からは十和田湖の東側を抜けて青森に向かう進路を取る。十和田湖に向かう道の途中、何も無いところに突然、こさか七滝という道の駅が現れたのでそこで昼食を食べることにした。
道の駅の向かい側にかなり大きな滝があることに、料理を待ちながら窓の外をぼーっと見ていて気づいた。流量も高さも立派で見事な滝で、まわりの客はなんで騒がないんだと思ったが、単純に皆とっくにここに滝があることを分かっているからだった。それもそのはず、ここは地元では有名な七滝という滝らしく、開けた場所にあるので道路からもよく見える。そもそもこの道の駅の名前も立地もこの滝が由来である。ここまでお膳立てされて気付かなかったということで我々が極めて鈍感だということが証明された。
道の駅を出てしばらく行くと発荷峠に出た。ここには十和田湖を見下ろす展望台があり雄大な景色をしばし楽んだ。
峠から降りてきたあとは十和田湖畔を走り抜けて神秘的な光景が有名な奥入瀬渓流にやってきた。緑あふれる川沿いの道路には車やバスが多く行き交い、歩道もないのに観光客がたくさん歩いていてなかなか怖い。
道沿いに何とか車を止めるスペースを見つけ、川沿いに降りてきた。明らかにオーバーツーリズムの様相を呈した渓流に神秘もクソもないのだが、でも確かに川の透明感と緑の瑞々しさは他とは一味違う雰囲気がある。
これだけ人が多くてもこの森の風景には心惹かれてしまう。なんでこんなに魅力的なのか考えてみたが、どうも森全体が若い感じがする。調べてみると150年前の噴火で一度焼けているらしい。木々が若いので地面にそこそこ光が届き、川辺で湿度が高いので苔やシダ植物が多く、これだけ緑豊かになっているのだろう。朝に行った焼走りとはえらい差だ。
旅直前の金ローでもののけ姫を見ていたので、これだけ緑豊かだとコダマとかいそうだな、と考えてしまう。だが精霊が姿を現すような深い森の奥と言うには、国道からのアクセスが良すぎる。
今日も走り続けてすでに午後四時前。かなり疲れてきたがまだメインディッシュのねぶた祭が後に控えている。幸い、青森の山奥には絶好の回復ポイントが存在する。硫黄泉の帝王、ヒバ千人風呂の酸ヶ湯である。
酸ヶ湯は昔一度来たことがある。その時は自炊部に泊まったこともあり、秘境にある鄙びた温泉というイメージが強かったのだが、いまや世界的に超有名な秘湯というやや矛盾した存在になっており、館内はかなり混み合っていた。もちろんヒバ千人風呂に入る。
写真はまあ当然無いが、とてもいいお湯だったということは言うまでもない。木造で薄暗く、でもとても広い千人風呂の風情、香り豊かな白濁したなめらかなお湯、何度でも来たくなる素晴らしい温泉。ねぶた祭に向けて身体を万全に整えることができた、かに思えた。
酸ヶ湯を出て一時間ほど走り、新青森駅前の東横インにチェックインした我々は電車でねぶた祭の会場に近い青森駅に向かった。会場はかなり混み合っていたので交差点付近で立ったまま見ることにした。
と、ここに至るまでに我々は身体の異常に気付いた。皆さんは強い硫黄泉に入った後、体がどんな反応をみせるかご存じだろうか。どこからどう見ても健康そのものだが、朝夕と秘境の硫黄泉にたっぷり浸かった我々の体には、確かに異変が起こっていた。
体臭がえげつないことになった
のだ。特に汗ばんでくると、硫黄の香りと汗の酸っぱい匂いが混じって何とも言えない強烈な匂いが体中からする。シャツを変えても、やはりおっさんを複数人煮詰めたような刺激臭がする。たぶん周囲の人は何日風呂に入ってないんだコイツ、と思っていたことだろう。すみません、今日すでに二回入ってるんです…と内心ずっと謝っていた。
ねぶた祭
体臭の話はさておき、いよいよ本日のメイン、ねぶた祭が始まる。これを見に、はるばる青森まで来たのだ。
ねぶた祭が始まりを告げるように、とんでもない大きさの太鼓がやってきた。そこらの普通の祭なら主役を張れる大きさだが、この祭では前菜に過ぎない。大音量で否が応にも盛り上がってきた。
さて、ここからのお祭りの熱気や感動はいくら文章を書いたところで伝わるものではないので、とりあえず撮りまくった写真(と一言)だけ貼っておこうと思う。断じて手抜きじゃないよ。
ここで、ちょっとだけJR東日本さんの軍団の写真をまとめてねぶた運行の様子をざっと紹介する。(写真だけ貼るのにもう飽きた人)
ねぶた祭はねぶただけにあらず、見どころが多くてなんとも忙しい。さて、以下はまたねぶたの写真をひたすら貼る。
ふう、疲れた。(写真の貼り付けに)
我々が陣取った場所は交差点付近で少し道が広かったためか一旦行進を止めてねぶたを回してくれることが多く、とても躍動感のある姿を見られてラッキーだった。
ねぶたは一つ一つがこの祭りのためだけに作られる儚い芸術作品であるがゆえのエネルギーがあり、その巨大なねぶた達にはとにかく「俺を見ろ」と言わんばかりの燃え盛るような迫力がある。もちろん神様やご先祖様への祈りの側面もあるのだろうが、ねぶた祭は『人々の創作意欲の爆発』という感じがする所が好きだ。自分も何か作りたいと何だかうずうずしてしまう。でも、この熱量はとてもじゃないが私が生み出せるものではないので、またすぐこの祭を見に来てしまうだろうな、と思った。
安寧
祭が終わり、我々はホテルに戻ることにした。宿が、ある。東横インの予約が、ある。この奇跡に我々は滂沱の涙を流した。というのも旅行前、どれほど調べようと祭り期間中の青森市内のホテルは恐ろしい高価格の所しか空きがなく、ネットに電話番号だけ載っているやっているかどうかさえ怪しい小さな宿にも電話をかけまくったが安い宿は全滅、なんとネットカフェや健康ランドすら予約できる分はすべて埋まっていた。我々は最悪車中泊もやむなし、と思いつつも当日キャンセルが出るのを狙っていた。そしてとうとう今日の昼になって新青森駅前の東横インのツインルームを定価でおさえることに成功していたのである。
いつもなら東横インは少々高く感じるのだが、今回ばかりはこれ以上ない素晴らしいホテルだった。祭りが終わって途方も無い疲労を感じていた我々にとって、快適が保証された宿が待っていることは何よりも嬉しかったのである。これが人権か…
(そういえば忘れてたが、T氏は祭の直前から別行動で、青森に住む彼の友人と祭を見物しそのまま泊めてもらっている。友達のことを移動手段か宿としか思ってないんかコイツ。ちなみに翌日以降も彼は我々の車に同乗する。)
帰りの電車に乗る前にりんごジュースを自販機で買った。青森ともなると、りんごジュースしか売ってない自販機が駅にあるのだ。色んな種類があって、選んだつがるはシャキッとしてておいしかった。
晩飯は丸亀製麺である。いや青森まで来て何でだよ、と思われるかもしれないが、祭からの帰りにホテル近くにあったのを思い出して急に食べたくなってしまったからだ。日本で今一番熱くなっているんじゃないかという所からへとへとで帰ってきた人間の脳裏に、冷たいぶっかけうどんという選択肢が一瞬でもよぎってしまったら、そのことしか考えられなくなるに決まってるだろう。
ホテルに帰った後はシャワーを浴びて泥のように眠った。思えば300km以上走っているので疲れるのも当たり前である。だが、昨日も同じことを言った気がするが、これ以上ない最高の一日だった。ねぶた祭の記憶は鮮やかに上書きされ、私にとっての旅の最大の目的を無事に消化できたといえる。
しかし、まだまだこの旅行は終わらない。翌日ももちろん別の祭を見に行った。そこでは、このねぶた祭をも超える巨大な熱が、我々を待っていたのである。
4日目へ続く