撮影スキルが基礎教養になる時代も、そう遠くないかもしれない
先日のコミュニティ定例で、ひょんなことから『お店と写真』の話になった。
インスタ映えというワードが流行って久しいけれど、あらゆる体験の場において不足しているのは、ピンクの壁でもタピオカでもなく、『人物を綺麗に撮れるスタッフ』だと私は思っている。
例えば洋服を買いに行ったとき、店内の装飾を写真映えするようにこだわるよりも、試着した姿を綺麗に撮ってくれるスタッフさんがいる方がよっぽど人を呼ぶ誘因になる。
そもそも、試着した姿を撮影してもいいというだけでもポイントが高いと思う。
レストランでも、料理そのものよりも誰かのお祝いで集まった時に記念で撮ってもらえる写真のクオリティが高い方が『また使いたい』につながることも多いんじゃないだろうか。
少し前に日経MJに掲載されていた記事も、まさに『ワタシカワイイ』の重要性について言及していた。
2年ほど前に流行ったアイスクリーム・ミュージアムもあくまで人が映ること前提の作りになっているし、ディズニーランドでおそろコーデが流行っているのも、かわいい背景で『カワイイワタシ』が撮れるからだ。
昨年韓国に行ったとき訪れた全館写真OKのミュージアム『D MUSEUM』でも、女の子たちは彼氏にベストショットを撮ってもらうべくあれこれ指示を出しており、これがインスタハズバンドかと感銘を受けた。
これらの事例からわかるのは、インスタ映えとはその場所やモノだけで完結してしまっては片手落ちで、あくまで『本人が入る余白』を作る必要があるということだ。
モノや場所はいくらでも似た写真がインターネット上に出回っている。
すでに見たことがあるものと同じ写真を撮っても、それはただのスタンプラリーであって創造性を刺激されない。
『自分のベストショットを撮る』という行為は単に承認欲求を満たすだけのものではなく、自分という個性がその場に入ることでクリエイティビティを発揮するという意味合いも持っている。
だからこそ、モノだろうと人だろうと『こう撮ってくださいね』という企業側の意図が見えるお仕着せの装飾は若者から見向きもされないのだ。
もっといえば、その場に来ている時点でファッションやコスメでオリジナリティを発揮しているケースも多く、映える背景は特に必要ないこともある。
例えば私はよく野球観戦に行くのだけど、友人と写真を撮ろうとすると『ちょうどいい壁』がないことにいつも困惑する。
さらに屋外球場の場合は日が暮れると綺麗に撮るのが難しく、せっかく記念の写真を撮っても『イマイチだね…』となってアップしないこともある。
これは照明が暗いレストランや背景に人が映ってしまいがちなイベント会場でも同じことが言えると思う。
なので、いっそのこと『ちょうどいい壁』とセットで専属カメラマンを配置し、『いい感じの写真』が撮れるようにサポートしたらいいんじゃないかと思っている。
もちろんこの場合の専属カメラマンは単に撮影スキルがあるだけではなく、インスタの文脈を理解し、構図や色味などの希望を若者と同じ言語で話せる必要がある。
そんな話をしていて思ったのは、これからのサービススタッフには接客スキルに加えて『撮影スキル』が求められていくんじゃないか、ということだ。
それはつまり相手の魅力を引き出すことであり、自社のテイストを理解して文脈のある絵を作れるということでもある。
写真は思い出の可視化であり、体験の感動を何度も反芻するための装置にもなりうる。
だからこそいい写真が撮れる環境が揃っていることは、単なる映えブームを通り越した『魅力的な体験』の提供につながるのだと思う。
ちょうど先週こんなnoteを書いたのだけど、お気に入りの服を着て素敵な場所に行ったら、それを写真に残さなければもったいない、と思うのが物心ついたときからずっとカメラ付きの携帯を使ってきた私たち世代の感覚だ。
単に映える場所を作ればいいのではなく、誰かに自慢したい体験をしたときに、その体験を象徴するようなこだわりの一枚が撮れればこそ、誰かにそれをおすすめしたくなるというものだ。
そのために必要なのはまず素晴らしい体験を作ること、そしてその一瞬を残すための写真を撮ることができる環境なのではないかと思うのだ。
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