媚びることなく"同志"になれ。これからの時代を生きる女子の社交論
男女雇用機会均等法が施行されてから早30年以上の年月が経っていますが、組織の行く末を決める会議にずらりと並ぶのはいまだにおじさまたちばかり。
その光景は、政治の世界も民間企業も変わりません。
シェリル・サンドバーグが2010年のTEDトークの中で「会議に出席した際、女性用のお手洗いの場所を聞いたら誰も答えられなかった」という冗談のようなエピソードを披露していましたが、そこから10年近く経った今も状況はあまり変わらないのではないかと思います。
とはいえ、この記事では「女性にもっと機会を!」と声高に叫びたいわけではありません。
それはそれとして長い目で見て改善が必要なことですが、今を生きる私たちにもっとも必要なのは「今を生きる知恵」だからです。
つまりどんなに綺麗事を言おうとも、女性がキャリアを積む上ではいかに男性社会でうまく生きるかという視点が必要不可欠なもの。
戦うことで女性の権利を勝ち取ってきた先輩方には敬意を表しつつも、ミレニアル世代の私たちはそろそろ『戦わずして勝つ』方法も考える必要があるのではないかと思っています。
ということで今回は、『戦う』でもなく『媚びる』でもなく、『同志』として男性社会を生き抜くための考え方をまとめてみたいと思います。
『男』になる必要なんてない。だって私たちは永遠に『男』にはなれないのだから。
男性並みに仕事ができる女性を評して『男勝り』なんていう言葉がありますが、男性社会で生きていくために女性が男性化する時代は、そろそろ終わりを迎えつつあるのではないかと思います。
女性らしさを消して男性の仲間にいれてもらったところで、結局は男性社会のままであることは変わりません。
私たちにとって一番理想なのは、女性であることもひっくるめて、いちビジネスパーソンとして評価してもらうこと。
必要以上に見た目から女性らしさを消したり、ふるまいを粗野にする必要はないはずです。
特に女性で管理職になったりすると『男性並みに厳しくしなければ』と思ってしまいがちですが、男女の性差を意識しすぎず、1人の人間として正しいと思う振る舞いができればそれでいいのではないかと思います。
さらに、男性社会ならではの慣習に対しても違うと思ったら『NO』を言うべきですし、どうしても体力的に男性に合わせきれない場面も多々でてくるはず。
おかしいことはおかしいと言う、無理なことは無理と伝える、限界がくる前に相談する。
組織に風穴をあけるほんのちょっとの勇気が、自分の後ろに道を作るのではないでしょうか。
男性ばかりの中にぽつんと女性1人で放り込まれるとこちらが合わせるべきだと思ってしまいがちですが、『私たちは永遠に男性にはなれない』ということを受け入れることが、現代の男性社会を生きる私たちに必要なことなのではないかと思います。
『好意』を持ってもらうことは大事。でも『媚び』は売らない!
と、ここまではわりと綺麗事を書いてみたのですが、実際に女性が男性社会を生き抜く中でぶつかる壁は『好意』と『媚び』の境界線ではないかと思います。
やりたいことをやるには、力のある人、有名な人に引き上げてもらう必要があるものの、どうしてもそういった地位のある人は男性ばかり。
若手男子が先輩たちと飲みに行ってかわいがられていても何も言われないのに、同じことをしても自分が女だというだけで外野からあれこれ言われることはある程度覚悟しなければなりません。
私も『なぜ実力への評価ではなく性別を使っていると思われるのか』と悔しく思うことは多々ありますが、ゆくゆく力でねじ伏せればいいだけの話なので、その悔しさをバネに努力するしかないのだと思っています。
そもそも、本当に実力のある人たちは、女としてちょっと媚びを売ったくらいでなびくようなことはありません。
これは男女関係なく、安易な『媚び』は地位のある人であればあるほど見透かされていると思った方がいい。
『媚び』と『好意』は似て非なるものだからです。
私は野球・幕末・日本酒と比較的おじさまウケしやすい分野に好きなものが多いですが、これらはすべて何か戦略があってハマったわけではありません。
自分の好きになったものが、相手とたまたま共通の話題になる。
この順番が大切なのだと思います。
私の場合はたまたま好きなものが男性寄りでしたが、好きなものが完全に女子寄りだ…という人も、女性の好きなものを理論的に分析して話すことができれば、新しい知見として重宝されるはず。
大切なのは『何が好きか』ではなく、『好きなものをどう語るか』なのです。
理論的に話せば、 "同志"になれる
男女を分けて話すのはあまり好きではないのですが、男性的なコミュニケーションと女性的なコミュニケーションの違いは、『論理的・抽象的』と『感情的・具体的』の2つに分けられるのではないかと思います。
この2つの違いを意識してスイッチングできるようになると、女性的感性を殺さずに男性社会でスムーズにコミュニケーションがとれるようになるはずです。
逆に、女性的感性が鋭い男性は『感情的・具体的』への順応性が高い人が多いように思います。
同じように男性社会で働く女性を見ていてもったいないなと思うのは、『感情的・具体的』モードのまま主観的な意見を伝え、相手を懐柔することで解決しようとしてしまうとはたから見て『媚び』ているような印象を与えてしまうこと。
女性は共感されないことへの恐怖を感じがちなので、つい反対意見=自分自身への否定と考えてしまいがちですが、まずは自ら意見と人格を切り分ける意識をもつことが重要なのではないかと思います。
さらに、日頃からまわりの人に好意をもってもらうことは重要ですが、好意さえあれば自分の意見を全肯定してもらえるわけではないという割り切りも必要不可欠。
以前なにかで読んだのですが、父性と母性の考え方は下記のような違いがあるそうです。
「父性とは『いい子はみんなうちの子』、母性とは『うちの子はみんないい子』」
つまり、男性社会で生きるためには、 すべてに共感し肯定する"仲間"ではなく、違うことは違うと言って高め合う "同志"だという意識をもつ必要があるのではないかと思うのです。
特に女性の場合は、20代のうちは泣きついたり媚を売ったりしてどうにか乗り切ることができるのですが、そこから先も同じような戦略でいくには相当なホステス力が必要になります。
私は昔からホステスには徹しきれない性格だという自覚があったので、同じテーブルに着いて議論する同志であるためにどうなるべきかということを常に考えてきました。
その結果行き着いたのは、『かわいい』よりも『すごい』という評価を目指す、ということ。
『女性なのに』という下駄を差し引いても『すごい』と言われる結果を出すこと、それが一番シンプルな方法なのだと思います。
しかもそれは女性社会だけではなく男性社会の中で、自分と同世代もしくは少し上の世代に心から評価してもらわなければならない。
誰と繋がっているからとか、誰に評価されているからといった後ろ盾ありきの評価ではなくて、自分が作ったもののクオリティ、数字という実績、思考の習熟度によって評価されること。
そうやって対等に実力を認められることこそが、男女の不均衡な力関係を変えていく原動力になるのではないかと思うのです。
中には『なんで男性に認められなきゃいけないんだ』という意見もあると思いますし、私も男性の評価基準に合わせ続けることは本意ではありませんが、時代の過渡期に道を作るということは、清濁併せ吞むことでもあると私は思っています。
私たちミレニアル世代は、肩肘張って男性と競うでもなく、さりとて女性らしさや権利を声高に叫ぶでもなく、しなやかに強かに己を鍛え、自然とまわりに認められていく、そういう新しい生き方が求められているのではないかと思います。
媚びることなく、同志になること。
男性社会で生きづらさを抱える女子たちにとって、この記事に書いたことが何かしらヒントになれば幸いです。
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