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ずっと「好き」でいつづけさせてくれる人

好きでいつづけるのは才能で、好きでいつづけさせるのは努力だ、と思う。

私は一度好きになったらずっと好きなタイプなので、飽きることなく五年、十年と応援している人が何人もいる。けれど、その年月は受け手の気質だけで積み重ねられるものではない。ことあるごとに「この人を応援してきてよかった」と思わせてくれる、その繰り返しが結果的にファンとしての年月につながっていく。

世の中には素敵なものや人が溢れていて、好きになるきっかけもあちこちに落ちている。好きになるのはとても簡単で、少し調べるだけであっというまに詳しくなれる時代。でもそれは同時に、私たちがひとつのものを「好きでいつづける」ことを難しくさせる。次々と現れる素敵なものに、私たちは目移りしては心変わりして、「好き」の情熱を別のものへと向けていってしまう。

好きになるきっかけがいくらでもあるのと同じくらい、がっかりするきっかけもいくらでもある。能力としては素晴らしくても、応援はできないと感じてしまうこともある。

誰かを好きで、応援したいという気持ちはそれだけ脆くて移り変わりやすい感情だからこそ、何年も「好きでいつづけられる」ことは奇跡に近い。そして失望もさせず心変わりもさせず好きでいつづけさせてくれる人の偉大さを思う。


私がプロ野球を好きになるきっかけになった選手が、今年で現役を引退することになった。2011年から2024年までの13年間、ずっと変わることなく「好きでいつづけさせてくれた」選手だった。

初めて福ちゃんユニで写真を撮った2015年、しばらくこの写真をプロフィールにしていました
そして翌年、同じ服同じポーズで撮るなど。フェイスシールを自作するのにハマっていた時代

13年の間に贔屓球団も変わったし、知識も増えて野球の見方もだいぶ変化した。他に好きな選手もたくさんできて、引退や移籍を涙ながらに見送ったり、自分の中でブームがきたり終わったりもした。

でも一番好きな選手は?と聞かれたときに答える名前は、13年間一度も変わることはなかった。一番はじめに好きになった選手であり、一番好きな選手。ずっと私の中の「一番」でいつづけてくれた選手だった。

ヒロイン中の福ちゃんと撮ってもらった貴重な一枚

野球ファンと選手について話すと、大抵は成績の話になる。だから好きな選手として名前を出すと、調子がいいときは賞賛されるけれどエラーをしたとかいいところで打てなかったときの話を振られることも多い。二軍に落ちちゃいましたね、とかそろそろ戦力外ですかね、なんて話をされることも当然のようにある。結果がすべてのプロスポーツの世界ならではのやりとりでもある。

でも福ちゃんは、名前を出すと成績よりも人柄に言及されることが多かった。特に実際に会ったことがある人からは、ほぼ100%「いい人ですよ!」と言われた。

私は直接会ったこともないただのファンでしかないのだけど、そう言ってもらえるのが嬉しかった。私はとても素敵な人を応援している。福ちゃんのファンであるということが、いつも誇らしかった。

2017年に宮崎キャンプに行ったときに撮った福ちゃん
と、福ちゃんをカメラで追う私の図。背中から伝わる必死感

人に自慢できる存在であり続けることもファンサービスの一環なんじゃないか、と考えるようになったのも福ちゃんがきっかけだ。

自慢するのは決して成績や記録だけではない。いくつになっても若手のようにベンチから声を出して、ひとつひとつのプレーに全力を出す福ちゃんの姿に、私は何度も励まされてきた。怪我に悩まされながらもいつも真っ直ぐに一生懸命に野球に向き合っている姿勢を見てきたからこそ、結果を出すことで努力と苦労が報われた瞬間に心動かされてきた。

辛い時期にもがいてきた姿を知っているからこそ、喜びの瞬間に感動は何倍にもなる。大多数の人にとっては単なるヒットかもしれないけれど、その一本を打つにいたるまでの背景を知っていると、涙なしには見られない瞬間になる。長く好きでいつづけるということは、そんな物語を一緒に積み重ねていくことでもあると思う。

誰かを応援する、という行為は、人のためのように見えてやっぱり一番は自分自身のためなのだと思う。元気でいてほしい。活躍してほしい。そう心から願える人がいることが、日々の自分の支えになる。苦しいとき、辛いときの乗り越え方、立ち向かい方にはたくさんのバリエーションがあって、自分が置かれた状況によっても感じ方は変わる。

若手には若手の、ベテランにはベテランの、エースにはエースの、控えには控えの悩みと葛藤、苦しみがあって、自分も年を重ねて経験が増えるほど、いろんな選手の立場に共感できるようになる。人を応援するというのは、誰かを通して自分自身を応援することでもあるのかもしれない、と思う。

だからこそ、ずっと応援たい人であり続けてほしい、というわがままな気持ちも抱いてしまう。なるべく長い間、好きでいつづけさせてほしい。自分が自分に負けてしまいそうなとき、もう少しだけがんばるための北極星のような存在でいてほしい。

誰かを応援するとき、私たちは自分自身の人生もそこに乗せている。

神宮でホークスとの交流戦を観に行った2018
オタクを発揮して背番号のプレートも作った2019

この13年間、プロ野球ファンとしての私の人生にはずっと福ちゃんがいて、福ちゃんを応援するのは息をするように当たり前のことだった。あまりに当たり前すぎて、プロ野球を好きになってから引退までの住数年を好きでいつづけられたことがいかに奇跡的なことかを考えたこともなかった。

たぶん、きっと、こんな幸せなファン人生を歩める人はほんの一握りなんじゃないかと思う。

まず、好きな選手が十年以上もプロの第一線にいつづけてくれることが奇跡だし、いいときも悪いときも調子に左右されることなく応援したくなる存在でいつづけてくれる人を選んだことも奇跡だ。

たくさんの奇跡が重なって、私は13年のファン人生を幸せに過ごしてきた。そして一番大好きで応援したい選手のまま、彼はプロ野球選手として幕を閉じる。最初から最後まで、一度も失望も心変わりもすることなく、ずっと私の「一番」のままで。こんなに幸せなことがあるだろうか。

福ちゃん移籍後の初マリンはホークス時代のユニで乗り込みました
新ユニを買った途端にコロナで野球が観に行けなくなり、とりあえず写真だけ撮った2020

来シーズンからは、試合のたびに結果に一喜一憂することも、見に行った試合でスタメン出場していますようにと祈ることも、生でヒロインが見られますようにとわくわくすることももうないのだと思うととてつもなく寂しい。しばらくは球場に行ったら無意識にユニフォーム姿を探してしまうと思う。引退試合は最初から最後まで泣いているだろうけど、それでも実感はなかなか湧かなくて、あとからじわじわ悲しくなったりもするんだろう。

でも福ちゃんが18年もの間プロ野球生活をやり切ってくれたこと、その間ずっと応援しつづけたい選手であり続けてくれたことはすべて彼の努力の賜物で、本当に本当にありがとうと伝えたい。プロの世界を諦めそうになることはきっと何度もあっただろうけど、そのたびに続けることを選択して、野球を続けてきてくれたことを。

引退会見では、福ちゃんの師匠であるムネリンがサプライズで駆けつけてくれた。その日のムネリンの投稿に、福ちゃんは「プロ野球選手から野球人」になるんだ、と書かれていた。

プロ野球人生は終わっても、人生は続く。

もう試合に出る姿が見られなくなるのは寂しいけれど、プロ野球選手でなくなっても「応援しつづけたい人」であることはずっと変わらない。どんな道に進んでも、福ちゃんらしくまっすぐ一生懸命に向き合っていくのだろうな、と思う。

プロ野球選手として最後の日まで、福ちゃんが野球をとことんめいっぱい楽しめますように。そしてバットを置いた後の人生にも、幸多からんことを。これまでもこれからも、福ちゃんはずっと私の誇りです。

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