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宇宙のしくみ 心のしくみ 番外編 自己嫌悪感が起きるしくみ

 番外編です。自己嫌悪について書いてみたいと思います。

 この世界には、自分が嫌いという人がたくさんいるようです。
 でも、そんな人達も赤ん坊の頃から自分が嫌いという人はいないと思います。
 幼児と話していて、自分が嫌いだというような幼児とは会った事がありません、つまり自分が嫌いというのは成長の過程で何かの原因があって嫌いになったわけです。
 小人さん問題の章で、述べたように、我々は無数の小さな自我の集合体です、その集団は大きくふたつに分ける事ができます。
 一つは行動するグループ、行動したり話したりする無意識の自分です。
 もう一つは解釈するグループ、行動や話した内容について評価して記憶するグループです。
 この2つの間に大きなギャップがあると自己肯定感が下がるのではないかと私は考えます。
 卑怯な振る舞いや、残酷な振る舞いをする行動を支配する無意識が育っているにもかかわらず、善良さを何よりも良しとする解釈する解釈するグループの無意識が育っていたら、どうなるでしょう。
 「そんな卑怯な振る舞いをした自分が許せない」
 となるのではないでしょうか?
 でも、卑怯な振る舞いや残酷な行為をする行動派の無意識も、善良さを良しとする解釈派の無意識も、この世界から学び取ったいわば、この世界の鏡のようなものです。

 それはあなたが、この世界で生きていくために吸収した世界のサバイバルテクニックなのかもしれません。
 生物として、この世界に生まれ落ちると、生き残るという事が最優先事項となります。
 その生き続けるためにはどうしたら良いのかを私達は七歳までの幼児期に学習します。
 実はそのときにある条件によって善悪の概念を獲得します。
 単独で生活をする生物には、善悪の概念がそもそもありません。
 集団で生きる生物群にのみ存在する概念です。
 想像してみてください、蜘蛛に善悪の概念がありますか?
 虎に善悪の概念があると思いますか?
 私の考えでは善とは、善とは、自分の所属する集団が長く存続するための概念だです。
 アンチテーゼとして、悪とは、自分の所属する集団よりも自分の生命や快楽を優先する概念です。
 
 卑怯な振る舞い、残酷な振る舞いをしなければ、生き残れない状態を幼少期に目撃すると、そうした振る舞いをする無意識が育ちます。
 善良な振る舞いをする人たちが、他の人達から評価されているのを目撃するとそうした振る舞いをする無意識が育ちます。
 これは七歳までのθ波が優勢の幼少期に生成されることは脳科学で明らかになっていることはすでに述べました。
 2つの対立する無意識が育ってしまうと、自己嫌悪が起こると私は考えます。
 非常に道徳的な解釈する自分と、残酷な行為をしてしまう自分が同居してしまうと、自分の残虐性を道徳的な自分が許せず、自己矛盾に陥って、自己嫌悪が起きます。
 逆に、非道徳的な解釈する自分と、善良な行為をしてしまう自分が同居してしまっても同じように、自分を偽善者と考え、自己嫌悪が発生する事でしょう。
 こうした事がは幼少期に受け取る情報量が多くなればなるほど、高確率になっていく事は想像できると思います。

 これを改善するためには、様々な方法が考案されていますが個人的には先にも紹介した中村天風氏やブルース・リプトン博士の著作や動画が参考になると思います。
 

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