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喜怒哀楽学習

自習会というものを用意した。学習のうち、インプットがカウンターであることが、その特徴である。このカウンターというのは、少々説明しにくいところがあるが、次のような特徴を持つ。

「カウンター」
ノルアドレナリン系「哀」

①凌ぎ
②受動
③インプット寄り
④知識、計算、操作
⑤学び
⑥待つちから


このような特徴がある。
そもそも、ひとは、いきなり学問を思いつくことがない。むしろ、学問や、今のテクノロジーも、遡れば、古代ギリシャに遡る。
万学の祖といわれるアリストテレスは、ソクラテスの弟子プラトンに学んだ一人の学者であるといえるが、ここから世界は、伝統の哲学の歴史すなわち、師から学びとり、否定し、批判し、そして新たな哲学(学問)を作り上げた。
論理学や、今の理学の基礎をここで培ったといえるだろう。そもそも、幾何学は、あまり発展していないところをみると、ある程度の完成はそこにあったといえるだろう。
哲学は、今でこそ胡散臭いものになっているが、私個人としては、有益な思想であると考えている。なぜなら、哲学は、精神的な部分を言い表す手段だからである。そう考えると、バカロレアなど、フランスにおける誰もが、受ける試験のように、哲学が、専攻されるのは至って当たり前ようにさえ感じる。
バカロレアは、あの有名なナポレオンボナパルトが作った試験だ。
それはさておき、これに対を成すものが存在する。それは、アクション(または、クリティカル)である。
これには、特徴がある。それは次のようなものである。

「アクション」(クリティカル)
アドレナリン系「怒」

①寄せ
②能動
③アウトプット寄り
④クリエイティブ
⑤くいかかっていくちから


このような特徴がある。
偶有性というものがあり,それは,物事には、決まった確定している要素と、決まっていない確定していない要素が、入り混じっているということであるが、これはまさに、不確実と、確実が、入り混じった状態であり、それが普通の世界であるということだ。
私にいわせれば、確定している決まっている要素といえば、習慣や、ルールといったものであり、不確定で決まっていない要素といえば、発想や、アイデアというものである。
英単語で表すと、habitとsaveである。
このような偶有性がある中で、インプットとアウトプットの比率を考えないといけない。その新たな基盤として考えられるのが、喜怒哀楽によるものである。
怒つまり、怒りにおいて、ひとは、何くそと集中し、闘争心で行えることがいえるが、それは、アドレナリンができている状態での学習であるといえ、それは,アクション(クリティカル)向きな学習である。対して、哀つまり、哀しみは、ひとが、冷静に判断できる状態であり、不安で少しおちつかない状態であり、逃走心が露わになっていて、それはノルアドレナリンカウンターに向きている学習である。
これに加えて、喜と楽は、ドーパミンが働いている状態であり、かなりポジティブに考えられる状態であるといえる。
これを使って、学習をかそくさせるわけである。ゲーテがいうように

愛をなくさなければ、欠点を看守することはできない。従って、欠点を看守するためには、愛を失くさなければならない。しかし、必要以上になくすべきではない。

というように、喜怒哀楽も、スイッチとして使うだけで、良いという結論になる。
そもそも、アドレナリン系というのは、30分間程度しか保たない。要は、スタートダッシュのスイッチに喜怒哀楽を使い、すべての作業を25分以内に完了させる必要があるということだ。
重要な意思決定において、前頭葉が司るところがあるが、habitにおいては、小脳がその機能を有することからいっても、行動を促すリーダーであるということからしても、喜楽で、スタートを切り、のちに、怒(アドレナリン系アクション)と哀(ノルアドレナリン系カウンター)を30分間適応させれば、良いということになる。
要するに、喜怒哀楽のうち、喜楽を前頭葉で働かせ、それによって、よりよくスタートダッシュ切り、哀か、怒によって、25分間集中する、ということだ。これは、小説でいうところの起承転結に似たところがある。

楽→哀or怒(25分間集中)→喜


この循環である。
こうすれば、喜怒哀楽という感情面の要素が、学習にうまく活用されるというわけだ。

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