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問答法 知らないことを知る編

問答法
問答法には2つのやり方があるとしています。

①乱数を発生させてそれらの乱数をプリントしその乱数にしたがって出題してもらう

②一問一答の問題集から出題してもらう

この2つがあります。
①の乱数を発生させる形式の問答法は、主に理系全般の計算が伴うものが主体となります。
 数学、算数、物理学、化学などです。
②の一問一答の形式の問答法は、主に科学全般、社会全般の知識を伴うものが主体となります。
 地理・歴史・公民・科学などです。

問答法の目的はただ一つ『知らないことを知っている状態を作り上げること』です。
そのため、知らないことを自覚する方法のため、憶えることはここでは必要がありません。

    「問答法を作った背景」

問答法を作った背景は、答えれるはずの問題に答えられない、計算が合わないなどや、学習を続けるあたって、どこがわからないのか、どこを知らないのかが判断がつかないことが多くみられたからです。これは仕方のないことですが起こり得る最大の難点でした。
 さらに、学習を続けるにあたりこの最大の難点を克服する必要があり、これを解決しなければいくら学習したところで答えられる問いに正確に答えることができないため、試験や日常で支障をきたすということになりかねません。
 そのため、この問答法を作りました。
これにより『知らないことを知っている状態を作り上げること』ができるため、大変、学習を続ける際に重宝することになるでしょう。

方法
⑴講義
⑵知恵
⑶実践
⑷質疑
⑸問答

    「方法はたったの5つ」

やり方は5つしかありません。
ですが、どれも目的をもち、どれも大事なものです。たとえば、知恵は『知識とその応用を獲得すること』を目的にし、どれだけ問答しようとも、不効率ですから問答するためにはある程度憶えておく必要がある。
 また、実践では、『興味があり難易度が中程度の問題を本質的なところまで落とし込み憶える』ことを目的としているため、いくら問答をしても、そこでは憶えないのでここで憶えることになる。
 そして、講義は、『確実にわかる事実的知識をものにすること』を目的にするため、これまた、問答に必要となるでしょう。

     「それぞれの説明」

一般に学問は、実践を伴うものか、知識か、それともそれらが混じっているものかの3つのパターンしかありません。
 たとえば、数学や物理、算数といったものは実践を伴うものですし、地理・歴史・公民といったものは知識だけのものです。
 また、科学は、計算など実践を伴うところと知識が混じっているものの代表でしょう。
 知識だけ、実践だけのものがそれらが混じったものと比較して難しいとか、簡単である、ということは一概に言い切れません。
 なぜなら、社会全般の点数の伸び率は、70点を超えるあたりから、難しくなりますし、数学・物理、算数にあたっては、そもそも50点取るのも難しいということだからです。
 また、入り混じっている科学やIT分野といったものは、そもそもどこに手をつければわからないというひとも多数いるくらいです。
 したがって、どれも完璧を目指すと難しいわけでなのです。
 それゆえ、知識だけだから簡単だとか、実践だけだからいけるとか、そういう判断はしない方が良いでしょう。
 
⑴講義・・・・本質的な知識を事実として捉え教えることを通して、自らも学ぶ

⑵知恵・・・やや汎用性をもたせつつも、知識を戒めるようにたくさん憶えてゆく

⑶実践・・・試し算して、本質的な憶えるべきところを掘り下げたあとそれらを憶える

⑷質疑・・・わからないところをチャットGPT4に質問し、苦手をある程度好きに変える

⑸問答・・・乱数または順に出題してもらい、それを答える過程で知らないことを知っている状態を作りだす

問答法を中心とする4つのやり方
問答法はソクラテスメソッドと呼ばれる方法にあたり、[知らないことを知っている状態]を作りだすことができます。
 専門性が高かったり、学べば学ぶほど、自分の無知を自覚するものでしょう。それが頭の良さに繋がることもあるでしょう。
 あえて、この問答法を中心に添えることでこれまでやってきたことが水の泡とならぬよう客観的かつデジタルな方法でできる問題とできない問題(知らないことを知っている状態)を場として作り出し、それらから、実践や知恵、質疑、講義をくっつけるやり方にしようと思っています。

   「なぜ問答法を中心とするか」

憶えていること、というのは実は曖昧なものです。しかも、自覚がないということは取り返しがつかないことになります。
 なぜなら、憶えていると自分で自覚していて、いざ、問いただせるとわかっていない、知らない、答えられないと3要素がそろってしまっていては、せっかく学んだのに憶えていなかったという結果になってしまい、いわゆる過信していた、ということになってしまうからです。
 そこであの有名なソクラテス・メソッドを使って、「少なくとも、知らないことを知っている」状態にすることで、ひとより少しだけ無知を自覚して賢くなろうとすることが求められている。
 そういえば、無知の知、と呼ばれるものを知りながらも、無知の知がどのような時に自覚できるのか、そうした方法はかつて、本やそうしたいわれに、見い出されていない、それに知識として「無知の知」なるものを知っていても、自覚することがなければ、意味がないのです。
 そこで登場するのが「問答法」(ソクラテス・メソッド)なのです。

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