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2022/08/19

BGM: Phil Collins "Another Day in Paradise"

高橋源一郎が『失われたTOKIOを求めて』という本を出していたことを知る。興味を持ち、私自身早稲田に通っていた4年間東京に住んでいたことを思い出した。ああ、アホみたいなことをたくさんやってしまった大学生活だった。宍粟市で過ごした十代、私は東京に行けるなら行ってみたいと思っていた。こんなど田舎で自分の人生を送るなんてまっぴらだ、と思っていたのだ。ピチカート・ファイヴが歌う華やかな東京ライフに憧れたあの時代……結局東京に行っても生きづらさはぜんぜん改善されず、就職が見つからなかったこともあってこっちに帰ってきてしまった。

ああ、そして宍粟市に帰ってきてから20代・30代を私は日陰で生きてきた。「ポジティブ」なことなど何も考えられず、毎日酒に溺れて「もう死にたい」「生まれてくるんじゃなかった」とばかり思っていたのだった。40の歳に酒を断ち、それから運命的な出会いがあり、やっと私は自分の人生においてなすべきミッションを見つけたように思った。宍粟市で暮らすことにも少しずつ希望が見えてきて、友だちもできるようになって……やっと確かな幸せの形がつかめるようになった。私の人生はその頃からようやく始まったのだった。奇蹟は起こる。

フィル・コリンズの「Another Day in Paradise」という曲を聴き、ふと「私にも、別の人生がありえたのかなあ」と考えた。もし好景気が続いていたら、私は順当に就職して今頃大手企業に務めてウハウハな人生を過ごせていたかもしれない。今のような人生ではなく有名ブランドのスーツを着こなし、結婚して子どもを育て何の疑いもなく「幸せ」を謳歌していた人生。ありえたかもしれない。もちろん人生はすべて起こるようにしか起こらない(だから歴史に「もし」はないのだと思う)。だが、そんな可能性について考えてみることは、「今・ここ」を愛おしく思うために必要な作業でもあるのかもしれない。

J・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読み終える。ホールデン・コールフィールドの饒舌な喋りに惹きつけられる。ホールデンとは「損」な少年だと思う。彼には知性がある。想像力が豊かでもある。だが、彼のそんな取り柄はなかなか活きない。人と話していても空気が読めないヤツとして扱われ、人を苛立たせてしまう。私自身のことを思い出させられた。私もまたホールデンのような存在だからだ。サリンジャーはそして、「空気が読めない」ヤツにここまで迫って作品を書いた。それは今なおヴィヴィッドにこちらの胸を打つ。

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