見出し画像

2022/10/02

なぜ村上春樹に惹かれたのか、を考えた。その原因のひとつとしては、春樹を読んだことで私の読書や音楽鑑賞の幅が広がったというのがあったのかもしれないな、と思った。私は村上春樹に触れた後でいろいろ別の作家を読み漁るようになった。彼が訳したということでジョン・アーヴィングやレイモンド・カーヴァーの本も読んでみたし、音楽にしても背伸びをしてビートルズやジャズやある種の洗練されたフュージョンを聴いてみたりした。ひょんなことから村上春樹とゆかりがある柴田元幸を知り、柴田元幸が訳したポール・オースターやスティーヴン・ミルハウザーを読むようにもなった。

村上春樹への憧れをもう少し挙げると、彼がアメリカに住んでそこで作家活動をしていたこともあったと思う。そうした、日本の文壇から身を離してグローバルに活躍する姿が端的にカッコいいと思ったのだった。私自身日本のど田舎で生まれ育って、恐らくはそれゆえに辛い思いもしたので春樹の一匹狼タイプの活動ぶりに憧れ、自分も英語を勉強しなければと思ったのだった。同じ憧れを私は佐野元春やフリッパーズ・ギターに対して抱いたことがある。まあ、古き良き時代の話だ。今はインターネットがあるからど田舎での暮らしもそれほどストレス過多なものではなくなったと思う。

ああ、ど田舎での生活に飽き足りないものを感じ、ゆえに都会(もっと言えば東京)に憧れて……当時は今よりもっと都会と田舎の「文化的格差」が大きかった。だから今となっては笑い話にもならないが、私は都会の情報を集めようと足掻いた。ラジオをチェックし、本屋で高価な雑誌を買い……そうしてフリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴを聴き込んだ。今はサブスクリプションで手軽にさまざまな音楽を聴けるし(むろん最近川本真琴が指摘したようなサブスクの構造的欠陥も見過ごしてはならないが)、情報も手軽に入手できるようになり交友の手段も増えた。地方在住であることがさほど苦にならなくなる時代である、とは言える。世の中もずいぶん変わった……。

今日は時間があったので、腰を据えてドナルド・フェイゲン『カマキリアド』を聴きつつ村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだ。冷静に考えればずいぶん理不尽な話だが、主人公の優しさと生真面目さにしみじみと励まされる小説だとも思う。単純に娯楽/エンターテイメントとしても面白いし、もっと濃いメッセージを読み解くこともできるようにも思った。だが、その「濃いメッセージ」が何なのかまではわからなかった。それはそうと、この小説内の設定ではまさに10月頭の「今」という時が舞台となっていることに気づく。シンクロニシティ……いや「ありがちな話」かもしれないが、こうした偶然もまた何らかの励ましのようにも思われて嬉しくなった。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集