#02 読書歴開陳祭①
どうもこんばんは、こるりです。挨拶から生まれた隙間に、自分語りや戯言をねじ込みます。今年もピイチクピイチクと鴃舌を飛ばしていきますよ。
前回の末尾に予告した通り、本稿を含めて何回かにわたって、私の読書遍歴を申し上げていきます。どうか半身でお聞きくださいな。
はじまりはおそらく、小学生の時分だと思いますが、いわゆる「読書家」ではなかったように記憶しています。小学校の読書というものが些か乱暴で、貸出カードに記した冊数を競うような心地だったから、本を読むという行為に対しては好きどころか、何だかむずむずした心持ちでおりました。級友に対抗意識を燃やされるのも、教師から生ぬるい称賛を受けるのも、私には耐え難かったのです。
それゆえ、図書室にいる時間は長かったけれど、そこに留まっていたにすぎず、教室の喧騒からも、書物からも、ひたすらに逃げていたのです。何をしていたかは、ほとんど覚えていません。何かを読んでいるようで、何も読んでいませんでした。多分、児童向けの世界文学全集の類を繙いていたはずですが、それよりも周りの子たちがしきりに話題にしていた『かいけつゾロリ』シリーズのことばかりが思い起こされます。
身を隠すようにして校内を彷徨っていた、十か十一の頃、ついに自分の小遣いで本を買う日が訪れました。はじめては、村上春樹の『ノルウェイの森』でした。ちょうど映画化をするだとかなんとかで、近所の書店に平積みされていたところを拾い上げたのです。仄暗い赤と緑の装幀に目を奪われて。今思えば、陳列からして話題書そのものでしょうが、まず学校で文庫本を開いている者がいなかったので、少しばかり気が楽でした。
競うことなく、ひとり勝手に読み進められる本というものは、ひどく不安定だった私に刹那の安寧をもたらしました。分厚さに頼って、当たり障りのない冊数を記録するためだけの幾つかの菊判よりも、極めて個人的ないとなみに思えたのです。
耽りこむような読書は、周囲と私とを切り離し、物語で描かれている「関わらなさ」とちょうど呼応しました。
おませさんたちが吹聴する「みんなの恋愛観」よりもよっぽどオート・エロティックな領域に踏み込んでいるように思えたから、あらゆる眼差しから逃げて築いた自意識が、そこに在ることを認められた気がしたのです。
生々しいけれど、必ずしもつながらないという発見は、すぐにつながろうとする軽佻浮薄な子ども世界に一筋の憐憫を垂らし、すっかり曲がりきった私の背筋を伸ばしました。再帰的・背筋ピーン。
そして、大学というところに行けば、ぼんやりと過ごしていられるのだろうと夢想し始めたものです。私の学生街や喫茶店への憧憬は、きっとここで芽生えたのでしょう。
原体験というには幼さが足りませんが、『ノルウェイの森』が私の本を読むという行為の礎を築いたのは、間違いありません。今でもことあるごとに読み返す本の一つです。
止め処無い自己との対話を助長する読書との関わりは、十やそこらから始まりましたが、すぐさま途切れてしまいます。相当な衝撃を受けた挙句、退場していくことに――。でももうおねむですから、その話は次回にします。
またいつかの夜にお会いしましょうね。それでは皆さん、良い夢を。