学んでは忘れる、を繰り返す
2日連続の投稿です。
というのも昨日に続き、今朝もお茶のお稽古に行ってきました。
午後、先生はお出かけするとのことで、お稽古の終了時刻は珍しく厳守。昨日は「真の行台子」という奥儀の特別稽古に参加させてもらい、頭の中が混乱していたこともあり、今日はお点前の中でも最も基本的なお点前を復習しました。
通常のお稽古も久しぶりでしたが、私が不在にしていた間、今日お稽古に来ていた社中さんのうちの数名はコロナに感染し、彼女たちもしばらく休んでいた模様。だから今日は、みんなで基本の復習をしました。
お稽古事って、少しでも間を置いてしまうと、驚くほどすぐに、そして簡単に忘れてしまいます。
身につけるのはかくも大変なのに、忘れるのはほんのつかの間。
私はお茶以外にも語学やマラソンなどいろいろ手を出しているのですが、悲しいことに、これはどの分野にも言えることです。
そして茶道でいえば、11月から4月の間は畳を切った「炉」でお茶を点てるのですが、5月から10月は「風炉」でお茶を点てると決まっています。お釜の位置が異なるので、お点前や座る位置、使う道具やその扱い方も変わってきます。
このサイクルはもう数年も、何度も何度も回しているはずなのですが、いつも炉のお点前と風炉のお点前の切り替えが頭の中でうまくできず、毎度毎度、ゼロから学びなおしている気分になります。
今学んでいる「炉」のお稽古を学べるのも、あと数回。今度は「風炉」でのお稽古が始まります。
たまにふと、「お茶を学ぶことに意味はあるのか」と自問することがあります。この時間をもっと他の何か、より意義のあることに使えるのではないか。
でも、お茶や季節のお菓子、茶道具の取り合わせなどはもちろん、その日居合わせた社中さんや先生との会話といった経験は、記憶の中に確実に蓄積されています。
また、稽古場からはお庭が、そして庭先には里山が広がっていて、毎回異なる景色を楽しませてくれます。
前回来た時は草木が芽吹くにはまだ寒く、福寿草がようやく顔を出し始めていたところでしたが、今回は色とりどりのチューリップ、ツツジなどの草花の鮮やかさが目に留まりました。
昨日も今日もうぐいすやひよどりが近くで代わるがわる鳴いていて、とても穏やかな気持ちになりました。
お茶の点て方を学ぶことは、直接的に私の人生を変えてくれるものではないかもしれません。
ですが、お茶の時間を設けること、お茶を点てたいと思う心は、間接的に、でも確実に、人生を豊かにしてくれるもののように感じます。