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さみしい気持ちがいっぱい
私は本当にダメな人間だから、家族といて、とくに母をガッカリさせているし、人にもたくさんしているし、気遣いなんていつまでもできなくて、自分の気持ちを優先する自己中で、気を遣えばひとり勝手に疲れる、どうしようもない奴…
それなのに、人のすることで(とくに両親)さみしくなったりガッカリしたりしているのです。私の心は愛の廃園みたいで、その醜さに、もう疲れてしまったのに、のうのうとまだ生きているなんて、ますます自分が嫌になる。
嫌だ嫌だって、駄々をこのている子どもと一緒ですよね…
今日は父の付き添いで病院でした。付き添いや買い出し、書類や薬のやり取り、家族の食事の用意を終えて、カフェでひと休み←イマココ
写真は、家族の夕飯
煮込みハンバーグ
病院で、父といて、苦しくて悲しくて、何度も泣きそうになりました。
私のやること、仕草や表情まで、人のすること…父は気に入らないことばかり。母にも、そして母から父にも、不満ばかり…
「自分ならそうしない」「それは違うな」と思うから、言うらしい…
自分は正しいと思えば、相手は間違っています。「正しさ」というのは、あらゆる争いの、戦争の、原因です。
そして、「自分は正しい」と感じたいから、「よしよし、自分は正しい」と確認するために、「間違っている」と感じる人や出来事を現象化します。
だから、きっと、「正しさ」なんて持てば持つほど、嫌だなぁと思う現実を招いてしまう…自分で、嫌な現実をつくっているのに、父も母もそのことには死ぬまで気づかない…
私は父と待合室にいて、彼が放つ言葉を聴きながら、悲しくて…首を吊るロープを思い浮かべて、さみしい目の前の現実から逃避をしていました。
昔、長タオルで首を吊ったとき、あまり苦しくなかったのです。大して苦しまずにつらい世界を、死という大きな手がやさしくさらっていってくれる。
それを思い出すのは、慰めです。最近は、ロープとマリア様のやさしい顔が交互に見えます。
こんな料理やスイーツ、つくりましたって、書きたかったけれど、こしらえた料理を食べるということの、「受け入れること」や「許し」についてとか、書きたかったけれど…
またにしますね(*´ `*)
私の料理
食べてくれる人に
本当に本当に
感謝しかないです
あなたを見て、触れて
体温を感じて
すれ違いや
疑いを感じても話し合えて
やさしい、リアルな
こんなダメな私を見捨てない
あなたに…
すんげぇー粘り強さの
あんた絶頂期の小錦かい!
(土俵際の粘り強さが似てる)
みたいな…笑
そのやさしさと
あたたかさで
私は死ねないから、実は困ります
けれど
もし、また
逢えたら
あなたのために
何かをつくりたいです
ごめんね…
悲しくて痛くて…
ごめんね…
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