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四時の順環。死を宣告されて「安心を得る所あり」松陰
死に関係する話です。
死というのは、どう生きるかにつなげると、つくづく思います。
私は、こういう話が好きです。
江戸末期、徳川幕府を倒す倒幕か、外向勢力を跳ねのける攘夷かの戦いがありました。
長州藩(山口県)の吉田松陰は幕府の老中・間部詮勝(まなべあきかあつ)の暗殺計画を立てます。
そして、こともあろうにそれに協力するように長州藩に申し出ます。ただでさえ徳川幕府から睨(にら)まれていた藩は「これは大変」と松蔭を野山獄に収監します。
当時幕府は、そうした討幕運動を進める者達を捉え弾圧していました(安政の大獄)。
松蔭はその対象となり、幕府より召喚の命を受けます。
江戸に着き、取り調べの際、ここでも間部詮勝の暗殺計画を話したのです。
それで斬首刑(ざんしゅけい)が決定し、江戸小伝馬町の牢に移されます。
そして処刑の日が告げられました。
刑が執行される直前に松陰は、門弟たちに宛てた手紙を書きます。その実物は今も残っており、『留魂録』と呼ばれています。
最初のページには「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」の歌が書かれています。
その中に「今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり」との記述があります。
私はこれを読んで、「安心」と「四時の順環」に強く心を惹かれました。
なぜ死を目の前に「安心を得る所あり」と言えるのか。
とても信じられない思いを抱いたのです。
古川薫著『吉田松陰 留魂録』より引用します。
「今日、私が死を目前にして、平穏な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環という事を考えたからである。農事で言うと、『春種し、夏苗し、秋刈り、 冬蔵す』、収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるというのを聞いたことがない。私は30歳(数え)で生を終わろうとしている。
未だ、事を成し遂げることなく死を迎えると捉えれば、自分の人生は惜おしむべきことかもしれない。だが、私自身は、そうは思わない。なぜなら、人の寿命には定まりがないからである。
10歳にして死ぬものには、その10歳の中に自ずから四季がある。20歳には自ずから20歳の四季が、30歳には自ずから30歳の四季が、50、100歳にも自ずから四季がある。
私は30歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。
それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私の知るところではない。
もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるであろう。
同志諸君よ、このことをよく考えて欲しい。」
いかがでしょうか。
死を前に、安心を得るとは、そう簡単にできることではないはずです。しかし松陰には共に学んだ信頼できる同志がいる。
思うに松陰は、いつでも、どこでも、命がけで精一杯尽力して生きてこられた。まさに「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」を実践されたからこそ、この心境ではないでしょうか
「死」は、単に「死」を示すものではない。
人の生き方を教えてくれていると思う次第です。