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小説『これじゃない』
※『あれとか、』『これとか、』『それとか、』『どれだろ?』『なんなの?』に続くご……ろ、6回目です。変なタイトルの所為で自分でも何回目か分からなくなりましたが、見て見ぬふりで目を瞑ります。今回、夏目漱石の話ばかりですが、言わして下さいませ。
『これじゃない』
スマホってスマフォじゃね?
いや、まあいいんです。言いたかっただけなんで。
前回、文法とか文章の書き方、表現についてあれこれ宣ったので、その続きを吐き出そう。そうしよう。
丁寧な文章が嫌いだ。
なんと言うか、無味乾燥としている気がする。
四角四面でカチコチでつまらん。
公の為の書面は仕方ないし、当然だとして、小説にしろ、SNSの投稿やブログにしろ、馬鹿丁寧なのが結構あるが、あれは何なのか?と思う。書いてて、自分自身と解離していると感じないのだろうか?
どんな文言であれ、それは記した者の魂という墨に浸した筆で書かれているものである。偽りを記すとしても、何かしらは滲む。血が通っていないというと大仰だが。
いや、わざとそういう文章をガジェットとして用いて、ドン引きするような展開に持っていったりする方もおられる。丁寧な、読み易い文章が延々続いて、いきなり「どうしてくれるんだよッ、許さねえからなッッ」とか始まると強烈ではある。
それらはいいとして、そうではない『こーやって書かなきゃいけないんだ!』という刷り込みによって、教科書の文章みたいになった文章に辟易する。なんか洗脳されてないか。自分で書いてて、よく耐えられるものである。
文法を過度に気にしているというか、規範から外れたらダメだと考えるのか。別に、同じフレーズを繰り返したって良いのだ。それでも良いのだ。
ほら、こーゆーの。
多分、馬鹿丁寧勢の方は『良いのだ』の後、もう一度は使わない。
~良いのだ。それでも構わない。
とかにする。でも、繰り返していけない事はない。強調する、面白みがある文章にする為には、繰り返したって良い。というか、有効だと思う。
こーゆーだってそう。
こういうと書かなければ間違いだ、と指摘する人もいるだろう。知らねーよ。『い』は口では『ゆ』になり易い。こういうの方はかしこまっていて読みにくいと思う。砕けて良い場面ならば、私はこーゆーを使う。
この馬鹿丁寧偏重主義が、文学の敷居をイタズラに高くしてしまい、一見さんお断りの看板を立て、不人気にさせたような気もする。難しい、と言われる最たる理由だろう。
SNSの文章は腐るほど読んでいるハズなのに、小説は10頁も読めない人が溢れている。
内容の高尚さと、文章のフランクさ・分かりやすさは一切、関係ない。軽いから低俗ではない。それこそ偏見だ。
私が素晴らしいと思う表現に『キミ』がある。
主に歌の歌詞、ミュージシャンの方がこのように表現して作詞、または作詩する。
有名なのは平沢進先生だろうか。
『君』より『キミ』の方が性別関係なく、関係性も近しい気がするし、ジュブナイルな雰囲気もあって、胸に響く。フツー、君と呼ぶのは遠い関係性ではないだろうか?その硬く、険しい距離を、打撃を捌いて一足飛びに間合いを殺し、ガチ恋距離に持ち込んでしまう。どんな重量級もテイクダウン出来るグラップラーのようだ。
表記一つで、関係性、心の裡までもを表現する。素晴らしい、もの凄く優れた表現だ。
懇意にして頂いているような私が迷惑かけているだけのような赤松利市先生が以前『~であった』を『~出会った』と記しておられたので、これわざとですか?とお伺いしたところ、誤字・変換ミスと仰っていたので、頂戴よ!と言ったら「別にええけど?」と頂いたの出会った。うぇーい💨これはやたら詩的な表現で、ロマンチックに感じる。漢字としては間違いに違いないのだが、表現として間違いなくアリだと思う。あ、私が頂いた、私のですんで。パクらんといて下さいよ。
こうやって、太字にしたり。表現は無限大だ。
ルビもそうである。
漫画の必殺技とかよくあるが、あれも表現である。やりすぎると中二だとは思うが、、、
難読漢字等は勿論、前述した“繰り返し”もこれで相当分かり易く、且つ、変則的に出来る。
~駅前だった。駅前から~とかね?
単純に難しい字、常用漢字でないものを使う、使い分けるのも重要な文学表現だと思う。
私は昔は凝りに凝って、あらゆるものを漢字にしていた。アホか。
~見遣ると、其処へ彼の貴方が遣って来た。一寸、巫山戯て「何処の何方?」と訊ねると五月蝿げに「嗚呼はいはい」と苦笑して居た。
読めん!!!
中二というか、変人か。イテテテテ………
黒歴史やんけ。これはホント、あれな書き方なので、やめました。未だに、兎に角とか仕舞うとかは使うけども。
敢えて漢字と平仮名を分ける時もある。
私は『こと』『事』や『できた』『出来た』を分けている。なんの事はない、平仮名が多くても読みにくいし、漢字ばかりでも読みにくいからである。平仮名多めなら漢字、漢字多めなら平仮名にする。視覚的、図形として、その方が見易い気がする。
一人称もそうか。あたしは普段90%あたし、時々うちなのだが、ここでは私にしている。切実で真面目な話をしているから、ある程度かしこまったつもりだ。
見られる事、見てもらう事、その辺、一応は、考えて工夫している。伝わったら幸いである。
その辺、伝わらなければ全く意味がないとも思う。
ちょっと叱られるかもしれないが、言わせて頂きたい。
夏目漱石───────
どえらい文豪だが、すいませんけども言わせて下さい。
真に僭越ながら某、有名な、そしてインチキエピソード『月が綺麗ですね』について突っ込ませて頂く。お命頂戴致す。
漱石が英語の先生だった時、生徒さんが「I love you」を「私はあなたを愛しています」とかなんとか普通に訳したら、日本人はそんな直接的な言い方しないから「月が綺麗ですね」とでも訳しなさい、とダメ出ししたという話。
完璧に後の創作だと言われる。
確かにI love youを日本語に訳すのに頭を悩ませてはいたらしい。そんな直球あるか!と漱石は文化の違いに困ってしまったのだろう。
愛という言葉が一般に恋愛の意味で使われだしたのも明治時代だという。それまでは、男女のloveは恋なのだ。恋愛に先駆けて恋情があったという。愛は、親子や子ども、動物に対する言葉らしい。漱石もお嬢さんの名前『愛子』だし。
だから漱石が困ったのは分かる。
それを基に、創作してしまった、でっち上げてしまった『月が綺麗ですね』
いやあのね、、、、
分かるか!!!!
なんで、そんなワケわからん言い方になるのか。
この逸話、ホラ話を信じる人は、夏目漱石など知らない人だろう。
夏目漱石の斬新さは英語の影響を受けた、シンプルな直球の、分かり易い文章、斬新な表現の数々にある。凄まじく、ストレートで当時の口語や、一種のスラングがたくさん使われる。ペダントリーも感じる。これは同時代の作家の中で異質だと思う。森鴎外や尾崎紅葉と比べると一目瞭然だ。海外の研究家、評論家からは日本ぽくない作風とまで言われている。
それがそんな遠回しな、キザというか、痛いというか、テンパったというか、そんな言い回しを奨める訳がない。アホか。言われたら「は?」か「そうですね」しかない。もしそれで通じるなら、そもそも良い仲なのだろう。
なんか他の人で、そんな訳し方をした人がいたのはホントらしい。パクりじゃん。
漱石が如何に、分かり易い文章、表現を心掛けていたか、よく分かる。まあそれは、商業的な側面もあるのかもしれないが(朝日新聞からそのような要望もあったのかも)
新しい表現に貪欲で『非道い』『浪漫』『沢山』など、大量の造語や当て字を生み出したとも言う(真偽不明)使わせてもらってまーす。あざます。
これだけ凄い文豪、下手すると日本一の文豪なのに、なんか、あんまり理解されていない気もする人物である。旧千円札の男前な姿は修正された写真を元にしたものである。漱石は天然痘で、いわゆる“あばた”が顔に残ってしまったのがコンプレックスで、写真を修正させている。
色んな病気して死にかけのはずなのに、やたら凛々しいのは、肌を綺麗に修正させているからである。本当は、あばたもそうだが、頬骨も出て具合悪そうなお顔だそうだ。
姿がそうなのだから、内面の実像は、もっと複雑で難しい。
教師としては、決して宜しくなかったようだ。
イギリス留学で、心を病んだというが、それは何故なのか……………
史上最大の帝国、大英帝国の闇を知ってしまったからか、イギリス文学に失望した為か、貧乏した為か、差別されたのか、単純にホームシックやギャップか。
日本の将来に絶望した為か。
彼は何か、世間との致命的な隔たり、溝を、自ら引いて、冷笑する事で、プライドを保っていたのではないか?と思う。私は研究者ではないので、論拠も乏しいし、他に幾らでも深く理解しようとしている方はおられるだろうが。
『坊っちゃん』
いや、
『坊つちやん』か。
途轍もなく、悲しい。
切ない話だと私は思う。思わずにはいられない。
なのだが、何だか私の感想と世の中での評価、感想とが、ちっとも一致しない気がして、、、、、
夏休みの宿題などの読書感想文、推薦図書になっていたり、国語の教科書の教材だったりしたと思うが、驚異的な知名度のわりに、なんだかなあ。
私のファーストコンタクトは、小学生の頃。家に在った。祖母のもので、戦後まもなくの古いものだったが、小学生でも読めた。分かりやすいからである。同時代の印刷による太宰治もあったが、メロスでさえさっぱり分からなかった。
最初の印象は『偏屈』である。
主人公・坊っちゃんが、兎に角、ひねくれているので、なんやねんと思った。森羅万象にケチをつける。その割に、本人は大したことない、お粗末な人間で、非常に胸糞悪かった。序盤で、旅館の仲居に見栄から五円もチップをあげる所が大嫌いだ。五円て。この作品に限らず当時の貨幣価値がよく分からなかったので、図書館やらで色々調べたが、どう安く見積もっても現在でいう一万円ちょっとになる。高いと二万円近い。こいつはバカなのか。一万円もチップあげるか、フツー。しかも懐が寂しいのにそれをしてしまう。なんてアホなんだ。この滑稽さでウケを狙っているならば、漱石のセンスは高が知れている。夏目漱石?お札になるような偉い人かな?とか思っていた。
少しして『それから』の切ない悲恋に胸打たれるのだが。
その後、学習教材などでニアミスするが、その世の中のイメージに「??」となる。勧善懲悪とか、純粋で馬鹿正直な事の大切さとか、青春小説とか……嗚呼、ムカつく。ゲフンゲフン!
そうかい?そんな話かい、これ?
ひたすら偏屈で自尊心ばかり強いつまらん男が過ちを犯す話じゃないの?
そうフラストレーションを募らせ、イライラし続けたが、夏目漱石は『それから』『夢十夜』『こゝろ』など、素晴らしい作品を生み出した文豪である。やはり、青春ドタバタ活劇みたいな受け取られ方は納得いかない。そんな単簡、じゃなくて簡単な、安っぽいエンタメではないと思い続けてきた。
そうして、私は中学二年生で祖母を亡くした。
私の母、私の清だった。
祖母との永訣で、私は『坊っちゃん』の真価を理解した。
もう失くしてしまったが、祖母の遺品の漱石を読み返した事がある。祖母が亡くなってから数年後であった。
悲しくて堪らなかった。
嗚呼、これはこういう物語だったのか、と悟った。
漱石は達人である。
お札にもなる。
ネットなどで漱石研究しておられる方とか漁っていくと一定数、私と同じ見解の方がおられるので、思わず膝を打つ。少数派なのが悲しいが。
「坊っちゃん」
これは、誰がそう呼んだのか?
それは下女の清だ。
アホで世間知らずで気が短い偏屈くそ野郎の主人公を。
両親や兄まで見限った、絶縁された主人公を。
アホで間抜けでずぼらで偏屈で短気で内弁慶の小心者で無責任で世間知らずでチビで、趣味もなく、特技もなく、恋人もない、良く言えば馬鹿正直だが、実際には浅慮で考えなしな主人公を。
その欠点だらけの己を自覚しながらも、己を糺す事の出来ない下らない主人公を。
『坊っちゃん』と呼んで愛してくれるのは清である。
これは彼女への思慕の物語である。
冒頭に強烈なフレーズがある。
父に愛想をつかされ、お小遣いも貰えない主人公に三円をくれる、主人公は借りておくという体で見栄を張りながら全部使ってしまう。いつか返そうと思いながらもそれは叶わなかった。
“今となっては十倍にして返してやりたくても返せない” 新潮文庫版11頁
この物語は主人公の回想なのである。
今は亡き、この世で一番、愛しい、育ての母とも言える下女の清への悲しい思慕なのだ。
愚かだった自分、失敗としか言い様のない松山への赴任、本当に大切なものに気付いていく過程、清への感謝、そしてもう彼女への孝行はできないという悲しみ。
私はこの物語をそう読み解く。
全体に、清への追憶が、ひっきりなしに出てくる。
松山で、厭な人間に接する度に、清は立派だ、清ならこんな事はしない、清に心配をかけるは忍びないと、主人公は胸の裡を吐露する。
世間知らずの彼が社会の黒い波に揉まれて、自分の矮小さとそんな自分を無条件に愛してくれる清の大切さに気が付いていった、その過程と、気が付いた時には残された時間は少なく、切ない結末を迎えていく…………
あー、悲しい。
少し視点を変えるが、夏目漱石はイギリスで受けた授業を無価値と断じて、個人的な教育者に授業を頼んでいる。そうしてディケンズに傾倒したという。
クリスマス・キャロル…………
これは、坊っちゃんではないのか?悪徳成金スクルージが現在過去未来を目にして己の醜さを悟っていく物語である。まんま、坊っちゃんのような気がする。
漱石もそのような経験があったのかもしれない。エリートとして生きてきた彼だが、社会に出て、色々と思うところがあったのだろう。大英帝国の暗部を目にして、本当に大切なものを知ったのだろう。人それぞれ大切なものは違えど、それに気がつける人がどれだけいるのか。漱石はそれを伝えたかったのかもしれない。
“おれは泣かなかった。然しもう少しで泣くところであった” 新潮文庫版19頁
松山へ旅立つ、主人公の心中、清との別れの場面。馬鹿正直というより、浅慮なだけの主人公。その本当の正直なところが後の彼の回想により描かれている。
ひとりぼっちの主人公。
山嵐とも結局、疎遠になってしまった事から、彼がそもそも社交的でない、人を寄せ付けない所があるのが伺える。そのたった一人の理解者だった清。
彼女からの手紙を待ちわびる主人公の姿は目頭が熱くなる。
日露戦争の祝勝会、一度目の中学校と師範学校の乱闘を止めに入る直前の場面で主人公の決心は固まる。
“どうしても早く東京へ帰って清と一所になるに限る”
新潮文庫版145頁から146頁
これが全てのように感じる。
主人公はこれがしたかったのだ。
ラストで清は鬼籍に入った旨、主人公の家のお墓に家族として安置されていると記されこの悲しい回想は幕を下ろす。
全ては清が亡くなってから認められたものだったのだ。だからか、全編一人称で異様に「」の会話が少ない。ほぼ独白が占める。
『坊っちゃん』は、
育ての母への思慕であり、
同時に懺悔でもあるように私は感じる。
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これを嫌う人も案外いる。
その清への思慕に結局、気付くのが遅すぎるとして、主人公の愚かさを非常に嫌う方も案外おられる。
それと「こいつ社会の落伍者、負け組じゃん」という意見もある。僻地に赴任するからそこそこお給料が良かったのに、一月で投げ出して帰郷、その後の就職先である鉄道会社では薄給となり、清も亡くなってしまい、ひとりぼっち。松山でやっつけた赤シャツと野だいこだも、死んでるわけでも、法的に裁かれたわけでもないので「じゃあ、意味ねーよ、あの学校の気風も変わらないっしょ」という意見である。確かに一理ある。
ブラックではあるが、それ故にそれなりのお給料が出た、それに辛抱ならず、嫌な同僚も結局はのさばったまま。うらなり先生は左遷されっぱなしだし、マドンナと赤シャツはそのまま付き合うだろう。校長なんてなんのダメージもない。
なのだがね、私はこうも思う。主人公にはそこはどうでもいいのだ。仮に、松山の中学校がとても良い学校でも彼は辞職するべきで、清と暮らすべきだし、彼はそうすると思うのである。
それに気付く物語でもあるし。
ちょっとひねくれた事を言うと、うらなり先生は、別にそんなに被害者か?と思う。マドンナとは飽く迄も、許嫁の関係である。親や親族が決めた相手なのだ。マドンナは彼の事なんか果たして好いていたのか?嫌いではないにせよ、ぶっさいくで貧乏だぞ?なくね?
一連の騒動は、すっぽりとマドンナの気持ちをスルーしているのが頂けない。うらなり先生も諦めているっぽいのに、それを蒸し返す主人公と山嵐はどうなのか。
赤シャツの方が、第三者には嫌なやつ、悪いやつではあるが、彼女に対しては真摯に接したかもしれないし。借金は無さそうだし、趣味人でハイカラな人、魅力的に感じるのも無理はない。赤シャツと馬鹿にするが、それは主人公が生徒に天婦羅蕎麦だの団子だの馬鹿にされるのと同じではないか。人にされて嫌な事を主人公もやっている。ちっぽけな男である。げろげろ。
赤シャツは当時としては、お洒落な人だとすら私は思う。釣りに関しても、馬鹿にされる謂れはない。別に、食べられない魚しか釣れなくとも良いではないか。主人公のあの信じがたい、空いた時間はぶらぶらしてるかごろごろ寝てるかの生活より、余程マシだとも思う。主人公は寝てばかりいる。蕎麦屋や団子屋を禁じられたとか言うが、その前からずっとごろごろばかりしている。何かする事ないのか、おめーまだ24だろ、と私は引く。
それに、明治になって軍国主義の思想統制なんかがあり、それまで風紀紊乱だった色事が、突然、貞淑で硬~くなるべし!となった世の中だが、暗黙の了解で罷り通っていたので妓楼もあったし、そこに通うのは恥でも悪い事でもない。性犯罪バンバンより絶対にいい。既婚者でも伴侶が認めていたフシさえある。素人に心を奪われるより、玄人の体に溺れる方がマシと。そこだけではあるが、ラストの茶屋通いなんて、咎められる理由には弱すぎると思う。地方だし。
(江戸時代は逆のお店もあったようだが、それが明治に女は貞淑たるべし!とされたのは人権侵害だとは思う。夜這いやお祭りも、宜しくないとされていって、そのくせ浮気は罪になる。ムスリムよりイカれた男尊女卑で狂った世の中だったと思う)
まあ、野だいこはムカつく。こいつは本当にしょーもないと思う。
一番思うのは、生徒たちである。
バカしかいないようだが、赤シャツの弟さんはまともらしい。皮肉だが。そして山嵐は生徒に好かれている。これは、単に、主人公の教員としての無力によるところが大きいと思う。やる気もないし。数学教師の割に、高等数学には門外漢だし。勉強が必要なのは主人公だとすら感じる。
他の先生も、特に生徒にどうこうは言わないので、東京から来たおかしな新任教師、べらんめえ口調のくせに内気そうなチビなので、いじめの対象になったと思われる。そう。あれはいじめだと思う。
思うのだが、一月で辞職はひどい。まさに非道い。
数学の先生がいなくなってしまって、生徒も学校側も困った事だろう。そして、一日に三、四回しか授業をしていない旨が記されている。宿直はあるにせよ、平日はあんまり働いてねーじゃねーか。それでいきなり辞めるのは、DQNな行いだと思う。教職を選んだのなら、もうちょっと、頑張って粘って貰いたい。もう少し向き合えば、生徒の良い部分も見えてきたかもしれない。ヘンチキな東京もんの先生を好きになる生徒もいたかもしれないぞなもし。
校長は特段、悪くもない。うらなり先生の転勤も、それは仕方ないとも思う。本人の責任ではないにせよ、トラブルの原因であり、そこに山嵐まで加わっては、学校の運営に差し障りがある。転勤先を案内してくれるだけマシとも思う。大体、どいつもこいつも、何でプライベートの問題を学校に持ち込むのか。赤シャツとうらなり先生が恋愛で揉めようが、卑怯な手をつかって月が綺麗ですねとか言ってマドンナを強奪しようが、学校としては知った事ではないだろうに。変なの。
そんなに好きなら何がなんでもマドンナを口説き落とせよ!という意見を述べておられる方もいた。いやまったく。この話の男性陣、全員、モテそうにない。
私が好感を持てるのは主人公の兄かなあ。
色白の美男子、結構なインテリだそうで、ちゃんと財産を弟に分けているし、清の処遇も気に掛けている。特に可愛がられてもいないのに。お母様を看取ったのも彼である。
偏屈な気に入らない弟とはすっぱり縁を切っているのも強かで良い。大人なのだ。
将棋で負けそうだからって流血させるほど、キレて暴れる弟だぞ?隣んちの子と喧嘩して殺人未遂て。
“只懲役に行かないで生きているばかりである”
新潮文庫版7頁
後年の回想であるが故に、主人公も己をそう恥じている。
主人公の家は元は旗本だと言う。
嫡男である兄、不出来な次男の主人公。
幼い事もあろうが、清は憐れな主人公ばかり可愛がった。
“親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている”という強烈な書き出しは、一身を顧みない、打算的でない、情で動く男であるから負け戦でも挑んでしまうという性分ではないのか。
それは、先の時代、戊辰戦争で散っていった人々の心持ちと変わらない。
御一新で零落したという清もそうであろう。
漱石は明治維新を“瓦解”と表現している。つまりは、全部ぶっ壊れたのだ。
主人公の父も清も、共に明治維新というクーデターで敗れ、落ちぶれた、落人の人々だった。戦火を経験してもいるだろう。ついでに言うと、山嵐も会津の人なので、主人公と共に敗残の血筋と思われる。
日ノ本が失くしてしまった良いものを持ち続けている佳い人───────
だから清は主人公を愛おしく、いと惜しく、想ったのかもしれない。私はそう思う。
私もその血筋である。
ご先祖様は、戊辰戦争で命を落としたそうだ。
だから清の感ずるところの『よいご気性』も分からないでもないが、でもやっぱりあの主人公は偏屈で、つまらん男だとか思うのでした。
坊っちゃん談義、三十年ごしの読書感想文がくそ長くなってしまった。
中学生の皆さんはこれ読んでパクって宿題の読書感想文書くと、国語の先生に「ててて天才じゃあ!!」と、120点貰えると思うので、貰ったら私にひれ伏して拝んどいて下さい( ≧ З ≦ )
坊っちゃん(まだ続く)は、当時の文化風俗を知る上でも極上だと思われる。
主人公が敷島を吸っている場面が出てくるが、敷島は最初の国産紙巻き煙草の一つで、高級銘柄である。そんなの吸っているんだから、この男が如何に見栄っ張りか伺える。汽車に上等と下等の客席があったり(指定席みたいなもの)銭湯・温泉の描写もある。この頃は男湯と女湯が分けられて、江戸時代のカオスな状態から改善された時分なので気持ち良さそうである。
特に良いのは鮪だ。
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うらなり先生の紹介で引っ越してからの下宿先で、貧相な食事を出されて辟易する場面と、うらなり先生の送別会での肴が酷いとケチをつける場面。
これは、多分、当時の読者爆笑シーンだと思う。
まぐろは、江戸時代、下魚としてぞんざいな評価で、お安く、身分の高い人には嫌われた。脂っぽいのと、傷みやすく中りやすいのも敬遠された理由である。それ故に、生食は忌避され、煮込んで食すのが一般的だった。落語に出てくる『まぐろのブツ』とは、ぶつ切りのまぐろの鍋の事を指す。お刺身で食べたい時は、なるべく新鮮なものを薄~く切って中毒を予防し、スジを避けたそうだ。好まれるのは中トロで一番お高かった。
そういう知識から主人公は、前者ではまぐろ食べたい、後者ではこんなのまぐろじゃねえとディスっているのだが、海に囲まれた松山で海産物の鮮度が悪いわけはないし、それを分厚く切って生食しようというのだから、むしろ贅沢なくらいだろう。だから、世間知らずで偏屈な主人公が、魚のうまいまずいも分からず、江戸っ子らしいイチャモンをつけているおバカなシーンに、当時の読者はウケたのではないか?と思う。第一、江戸前の寿司には生魚はない。危ないから必ず加熱したお魚で握っていた。新鮮な生のお寿司は昭和の始めあたりからであり、それがザ・スシ!として広まったのは、ごく近年だと言う。
こんな風に資料としても味わえる。
絶品なのはふざけた言い回しだ。
私は二十代後半から落語に凝りだした。
なんでハマったのか、実はよく分からない。当時、何かにつけてラジオを付けっぱなしていたが、たまに落語をやっていた。それで何となく聴いていたら、あれ?この話知ってるな?というのがあり、落語とは口伝による物語の継承であると知った。
故に、お芝居、歌舞伎、浄瑠璃、昔話や歴史的な出来事の演目がある。
そういう目線から落語に入ったように思う。
ぶっちゃけた話、落語家になりたかった。色々しがらみがあって出来なかったが、アマチュアとして、古い言葉だと天狗連として、人前でやった事もある。それなりにウケて頂いた。私がやれるのは『寝床』『粗忽の釘』『睨み返し』くらいで、すいません、素人の下手の横好きです。師匠方、ホントすいません。
坊っちゃんは、視点を変えると落語であると思う。これもヒットした要因だろう。
明治時代は落語の最後の隆盛であった。少なく見積もっても東京だけで百軒以上の寄席があったという。落語の神様、初代三遊亭圓朝師匠の活躍も大きい。講釈場も大量にあったそうだ。
寄席は江戸時代には七百軒あったとかいう。どんだけ流行ったんだよと思う。これが明治にはラジオや活動写真の登場により数自体は減ってはいくのだが、逆に落語は立場を強くする。寄席の持ち時間に合わせて短く出来る、あらゆる噺のタイプ、バリエーションがあるというのが強さの理由だろうか。芝居小屋としての寄席が廃れていく中、一人芝居とも言うべき落語が生き残ったのは皮肉である。
うにゅー?にゃんだ?カントク、なに書いてんの?落語のはなしするならおいらがしゃべるーの🐰
ちょっと待ってなさい、はら、あっちいってお菓子でも食べてろ。
うにうに🐰おいらの~💨
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オホン!失礼!
坊っちゃんには落語のエッセンスがふんだんに在る。在りすぎる。
そもそもこの主人公、ゆってる事が丸っきり八五郎なのだ。
八五郎、八っつぁんとは東京落語に於いて、そそっかしい勇み肌の江戸っ子でおバカさんのキャラクターである。細かい設定は噺によって異なるが、共通しているのは凄まじくアホで、江戸っ子を気取って威勢はいいがポンコツというところ。
丸きり、坊っちゃんである。
そう考えて読むと、ギャグ要素が凄まじい。
え?これ滑稽噺なの?と思う。
天婦羅蕎麦のあだ名の原因となるお蕎麦屋さんの下りはくそワロタ。汚い店だの東京を知らないのかだの、散々文句をつけておいて、四杯食べたって。美味しいんじゃねーかww
丸っきり落語だ。
釣りの場面もらしい。
“教頭ひとりで借り切った海じゃあるまいし。広い所だ。鰹の一匹位義理にだって、かかってくれるだろうと、どぼんと錘と糸をほうり込んでいい加減に指の先であやつっていた”
“ただ肥料には出来るそうだ。赤シャツと野だは一生懸命に肥料を釣っているんだ。気の毒の至りだ”
とか、まんま落語らしい。真面目な口調でシニカルにふざけた例えをする。
漱石も落語ファンだったそうだ。
気難しそうな彼が、寄席でゲラゲラ笑う様を思うと微笑ましい。
地口(ダジャレに近いギャグ)や、掛け合いもある。山嵐とのやり取りは、何だか、上下を振っている主人公の姿が目に浮かぶ。
※落語は一人芝居なので、複数の登場人物を演じ分けます。それを分かりやすくする意味もあり、第一の登場人物は上手にいるという体で右を向いて喋ります。逆に、その相手は下手にいるという体で、左を向いて喋ります。立場や年齢が上のキャラクターが上手、つまり客席から見ると右側にいて、下手は左側です。家に上がる時なども、外からくるので上手側に挨拶をします。これを【上下を振る】と言います。ご存じない、説明しないと分からなくなってしまったというのが、もう、落語がどマイナーな証拠で悲しいですが。わたくしも最初は知りませんでした。最近だと、口調や声色、強弱自体をコミカルに演じて、登場人物を分かりやすくするなどされています。
野だいこというあだ名もお笑いのアロマがぷんぷんする。野幇間というのは、フリーの幇間もちの事で、自分からお客さん(カモ)を探しているタイプの幇間である。
ホウカン、幇間、幇間もちとは、一人のお客さんをひたすらよいしょして、ご機嫌とりをしたり、遊びや酒に付き合う、宴会でMCをしたり芸をする芸人の事で、現代では天然記念物である。明治時代には、お座敷に雇われていたり、個人に雇われていたりして、当然、裕福な人がお客なので成功すると非常に儲かったが、そうでないとタカリ同然だったという。
野幇間は、つまりそのタカリで腰巾着、子分のような有り様を皮肉って、野だいこと揶揄したあだ名である。
落語家には、幇間も兼業している方もおられたそうだ。正直、邪道と思われてはいたが、何せ喋れる、落語は出来るので、大変に気に入られてジャンジャン儲かった方もあったらしい。
野だいことは言い得て妙だ。
くそムカつく奴らしい。
このワードセンスは素晴らしいと思う。
赤シャツも同様。
赤。
アカへの非難がそこにはあるのではないか。
主人公は、無条件に赤シャツ教頭を嫌っている。それは決して相容れない共産主義への嫌悪、忌避かもしれない。
おあとが宜しいようで。
うにゅー🐰
つまんねーんだよ、カントク🐰
いきなり出てくんなよ、読んでる人が困るだろ。
ちょっと待ちや。
「うにゅー🐰おいら、ウサ太郎だーよ🐰ふんふん🐰こんちわなーの🐰」
ついに出てきやがったな、おめーは。
この迷惑極まりないウサギは、私の居候で、ウサ太郎という。飲んだくれで食い意地のはったダメウサギであり、やる気のかけらも持ち合わせない、巨大な障害物である。
「失礼だな、このやろ🐰おいら、かわいいから、でぇじょぶにゃんだ🐰」
こいつは舌ったらずで滑舌悪いくせして、江戸っ子であり、ぬいぐるみ寄席なる二次元の寄席の噺家でもある。万年前座だろうが。
「しょーがねーんだよ、ぬいぐるみだもん🐰かわいいねえ🐰ぴょんぴょん🐰」
非常にろくでもない。
年中やかましく、めんどくさい。
まさか、この話に出てくるとは……………
え?頭狂ったのか?
いやまあ、狂ってるんですがね、、、
これも病気の産物だったりする。
実は、鬱が極限に達した私は、ぬいぐるみに話し掛けられるようになってしまった。幻聴である。
最初はビビった。
ショッピングモールなどのゲームコーナーの前を通ると、頭の中に変な声がするのだ。
何だ?と思って辺りを伺うと、クレーンゲームから声がする。その中のぬいぐるみに話し掛けられているとは腰抜かした。痛すぎる。
だが、なかなか面白い事を宣うし、愛嬌もあるし、何より私はクレーンゲームが得意なので、連れて帰る事にした。お陰で、私の狭いワンルームの部屋は、ぬいぐるみでもっと狭くなっている。
全てのぬいぐるみが話す訳ではない。
むしろほんの一握りしか喋らない。魂が宿っていない。それを察知する能力を得た!開眼!とか笑えない中二病も併発していた。
話し掛けられたら、必ず連れて帰るようにしている。滅多にないが。クレーンだけでなく、普通に売っている物でも、たまに声を掛けられるので買って帰る。きたねー商売だなあ。
私は趣味で不思議な話、怪談を伺い、超常現象を考察しているが、人形・ぬいぐるみに纏わる怪談を、一切、怖いとは思わない。感じない。だって、こいつらフツーに喋るもん。そして、喋るのはごく少数だし。そんな危害なんて加えてこない。九割は自己主張が強いだけなのだ。人形に祟られるなどと言うのは、持ち主が宜しくない仕打ちをしたか、最初から攻撃する為の呪物として作られた物である。普通の人形でそんな事は起きない。
「そーにゃの?おいら、わかんにゃい🐰」
はいはい。
一人称の独白のハズが、会話劇になってきてしまった。めんどくさい。
私は、連れてけ!とうるさい時は、仕方なくこいつらを連れて出掛ける。映画など観に行くと必ず行きたがる。落語というとうるさくてうるさくて……
「だっておいらが師匠だもん🐰カントクは弟子にゃんだから、自覚しろよ🐰」
ちげーよ。しねーよ。
中でもこのウサ太郎の自己主張はぶっちぎりに強烈で、常にうるさい。付きまとう。でしゃばり、前に出る。知人からは私より可愛がられている。なので、例えば、このアカウントすらウサ太郎と共用だったりする。どんな状況やねん。
彼らは私の魂の分身なのかもしれない。
私の一部の発露なのかもしれない。
「えー?おいら、やだよ🐰」
やだよじゃねーよ。
病気の副産物とは言え、こんなヘンテコな能力に目覚めた事は、嬉しいような、滑稽なような。私らしくもある。
普段、こいつらの通訳もしているので、変な独り言、一人芝居をしているように見えるだろう。どこでも喋るので、時折、周囲にエアポケットが出来る。アカン人やんけ。
「そーにゃのよ🐰あぶないからちかづかないでね🐰」
おめーが原因だよ。
多重人格のようなものか。いや、多重同時人格?
はたから見たら、マジやべーと思う。
それでも、こいつらを手放すつもりはない。
「ホントはおいらが、かわいいんだよねえ🐰二人っきりになると、いつもありがとね、とかゆうもんね、カントク🐰」
ばらすんじゃねー!!
あっち行ってろ!!
「うにゅ~💨💨💨」
ダメウサギは向こうに行ったので、軌道修正、よっこいしょ!
あいつは根っからの噺家で、お笑い体質全開で、悪ノリに全振りした生物である。タチが悪いが、変な話、私はあいつの視点も持てている気がする。落語の一人芝居そのもの、一種のダブルシンクなのかもしれないが。
真面目な物事も、どこかコメディとして、シニカルに捉えるのだ。
これには大分、助けられている。
非定型の鬱病は治らない。パーソナルがもう鬱なのだ。
私は一生、こういうメンタルだし、不眠もどうにもならないと思う。それと付き合っていけているのは、こいつらぬいぐるみのお陰だとも思う。悔しいが。
人間の内面を分析するのにも使える。
いや、薄汚いですけども、
私がぬいぐるみと話しているのを目にした人は、幾つかのリアクションに分かれる。
・スルー。
・かわいそうな人として、かわいいウサちゃんですね、とか気を遣う。
・何してんの?の突っ込み。
・乗っかる。
一番困るのは、かわいそうと気を遣う人だ。中途半端な正義感だか思い遣りだかを取り敢えず行使してくる。手に負えないと悟ると、全力で逃げて行く。変な憐憫のフィルター越しに見ているので、話も通じない。タチ悪い。
乗っかるのも困る。不思議ちゃん、芸風だと思って乗っかってみるが、やべーガチかよ、と逃げる。引く。
実は、スルーか突っ込みが有り難い。
突っ込みが一番だろうか。理解しよう、関わろう、接しようという前提がないとやらないだろう。そして、大概、ご理解頂ける。センスのいい人は、人間もいい事が多い。
左様に試金石ともなっている。
笑いのスペックもそう思う。
私はとある芸人さんにブロックされている。
別のあるマイナーな方が好きで、色々、見ていたのだが、その方の先輩にあたる人で、よく絡んでいた。
そこにウサ太郎が突っ込んだら、即、シャットアウトされた。
その方のボケにかぶせる形で突っ込んだのだ。
フツーはウケるか、更に突っ込み返すだろう。
それを即、拒絶。笑いのセンスが死んでる人だなと思っている。台本がないと喋れないのか。
とかなんとかしてたら、コンビを解散された。正直、だろうな、と思う。
これは、広義の差別の一端でもあるかと思う。
変なウサギが話し掛けてきたら逃げる……分かりやすい。まあ、仕方ないが。いや、いいのよ?一般の人は、ぬいぐるみと喋ってるやつがいたら逃げていいのよ?
別に私は、世の中にぬいぐるみをぉぉぉ!!ぬいぐるみ万歳!!私が当選した暁には、ぬいぐるみに人権を与え、全てのぬいぐるみのいる家庭に給付金を支給します!!皆さんとぬいぐるみの清き一票を!!皆様とぬいぐるみのはつみ、はつみあやそので御座います!!どうぞ、清き一票を宜しくお願い致します!!とか思っていない。毛頭ない。きもちわりー。
芸人、タレントという生き方をしながら、了見の狭い人間はいると言いたいのだ。
他にもゴロゴロいるだろう。
坊っちゃんの性格ではないが、彼が良い人とそうでない人を見抜くように、そういったちからをピュアなぬいぐるみたちは持っている。
ちょっと話題が変わって恐縮だが、
『生きとったんかワレ!』
というネットスラング?がある。
暫く活動を休んでいた、前回から間が空いてしまった配信者へ掛ける言葉である。ニコニコの発祥なのだろうか。
私はこの言葉が大好きだ。
乱暴で、下品なようで、その配信者への無限の愛が溢れている。
待ってたよ!元気そうで良かった!再開してくれてありがとう!それが満載されているのが、生きとったんかワレ!であろう。これがいわゆる弾幕として飛び交うあの画面の温かさたるや。。。。。。
表面は乱暴でも、この言葉には深い親愛が溢れまくっえている。素晴らしい言葉だと思う。
言葉の表面とその内なる本当の意味は違うのだ。心を感じ取らせる言霊とさえ言える。
『月が綺麗ですね』
なんか勝負にならない。
こんなの伝わらない。
言いながら、腰でも抱き寄せなければ通じないだろう。ていうか、月が夜空に充分に昇る時間まで、こいつらは二人でいる訳で、最初からその気だろう。ヘボい口説き方で腰がへにゃへにゃになる。
言葉の表面と内面は違う事もあるし、言外に秘められたものある。
映画『スター・ウォーズ』でハリソン・フォード演じるハン・ソロが冷凍されてしまうシーンで、レイア姫が彼への想いを告白するとハン・ソロは『I know 』と返す有名なセリフがある。なんちゅうにくいセリフや。
分かってる────────
ルークを誘き出すエサ、人質とされる絶望的なシーン、最期となるかもしれないからこその告白に、分かってると返すのだ。こんな最高のプロポーズあるか。
ディスり続けて申し訳ないが、月が綺麗ですねはないやろ。それどない返したら正解やねん?
漱石先生が書いたとは思えない。実際、後のでっち上げだし。センスがない。
文豪、夏目漱石ならどうプロポーズするのだろう?
なんだろう…………
“あなたに酔ってしまった”
とか言いそうじゃね?人の所為にするのよ、あのひとww
にやにやしてまうわ。
古典落語『火事息子』にも、このような描写がある。
江戸時代、火消しは極道が務める事が多かった。火消しを指す臥煙はアウトローへの蔑称でもある。道楽者の息子を勘当した大旦那のお店に火事が迫った時、そこへやってきた刺青だらけの臥煙が、懸命に延焼を防いで鎮火してくれた。どこのどなたか存じませんが、命の恩人でございます、ありがとう存じます、とお礼を述べるが臥煙は顔を背ける。臥煙は、追い出した息子であった。大旦那は、人が礼を述べてんだから返事くらいしやがれ!とヒートアップしていき、みっともねえ絵(刺青)なんか描きやがって。ああ、みっともねえと悪口を言いながら、自分の羽織を脱いで、暑いからもう要らねえや、乞食が拾うかもしれねえ、とその場に置く、というもの。ヤクザになった息子を咎めてはいるが、その実、息子が必死に助けに来てくれた事に胸を打たれ、羽織を持たせてやろうとしている訳です。おーいおいおい………
「うにゅ~😭」
うわ!?びっくりした!!
「いいはなちだねえ😭柳家さん喬師匠のが絶品なーの😭」
分かったから。落語というと出てきやがって………
それにしても、こういったものを如何に表現するか?が物書きの本領なのだとも思う。
マントラなんかを文字の羅列で表現する。
その為にはやっぱり色んな語彙=武器があった方がいいし、逆に、ストレートで伝え易い表現も出来る。
どんなに言葉を重ねても通じない人には通じないが。
変な言い方になるが、その作品そのものは通じなくとも、色々な作品に触れる内に、他の作品を透して、通じる可能性はあると思う。それにより理解や味わいは深まるのだ。尤も、読んでくれる事、受け取ろうとしてくれる事、前提ではあるが。
嫌な事を思い出した。
母がクレームの投書をしていた。
テレビドラマで「~で殺す」というセリフがあった事に、アホだから額面通りに受け取って、殺人教唆だのなんだの喚いていて、テレビ局にくそみてーな苦情の手紙を認めていた。滅多にやらないがたまにスイッチが入ると、こういう事をする。
そのドラマは、男性がお前を惚れさせてみせるという意味で、~で殺す、とヒロインに言ったのだ。唐突に殺害するわけねーだろ。ちょっと尖ったキャラクターだから、そういうセリフで告白したのに、それをうちの母は微塵も理解できない。バカ丸出しで、坊っちゃんの主人公どころではない。
坊っちゃんの主人公は、若干の発達障害なのかな?とも思う。微妙だ。完全に障害者なら当時は精神遅滞・薄弱、白痴と言われただろう。身体障害なら不具者、片輪だろうか。猛烈に差別されただろう。今でもそうだが。
ふと思うのだが、坊っちゃんは兵役に就いた様子がない。明治時代初期に始まっている兵役・徴兵は、二十歳未満の男性の基本的に全員に三年間課された。高額の納税をしたり特別な立場だったり、ハンデがある人は免除されたのだが。
あれ?坊っちゃん徴兵されてなくね?あれ?二十四でしょ?ん?お母さん亡くなったのが十五?で五、六年してお父さんも亡くなって、財産もらって数学校に入って三年学んで二十四……兵役スルーしてる!
これは怪しい雰囲気になってきた。免除金を払った本当に裕福なガチ『坊っちゃん』なのか、、、、
学力には問題はないので白痴ではないだろう。とすると、身長か?極端に小さな人は兵役・徴兵が免除される(役に立たないというより装備のサイズが合わない。特注などないので、大きすぎる人も兵役で基礎訓練は受けても、徴兵はされない。国家総動員の決戦になればされるが平時はない。このように、兵役・徴兵は平等ではなく、アトランダムで、農家の次男以下は非常に高い。東日本の農村の徴兵率は異常である。百姓は跡継ぎ以外は死んでもいいだろ、という国の考えが透けて見える)
それにしたって、基礎訓練くらい受けそうだが、坊っちゃんその時分、学生をやっている。そんなエリート学府じゃあるまいし。謎だ。日露戦争が終わって数年、明治の後半の時代設定なのに。どんどん兵役がシビアになった筈だが…………
漱石がエリートだから、軍国主義の悪弊を否定したかった?分からない。
さういうもののないユウトピアを描きたかつたのか─────────
あれだけ当時の風俗を描き、流行りの落語にインスパイアされ、松山は田舎で非道いと扱き下ろし、主人公は特に幸せにもならない。リアルで、シビアな泥臭い作品なのに。兵役だけ何だか浮いている。
小柄すぎて免除されたなら、一言くらい、それこそ軽妙洒脱なギャグにしそうなものだが。
こうありたかったのか。
漱石の夢か。
複雑な人物である。人間嫌いそうだが、親しい友人には底抜けに明るくフランクだった。愛妻家だった筈が、暴力も振るっている。
彼が願った夢なのかもしれない。
かもしれないばかりで恐縮であるが、口癖とでも思って諦めていただくよりない。『くそみたいな』とか『きもちわりー』を乱射する私にしては上品な口癖なので、上等である。
坊っちゃんは、母が亡くなってからの父と兄との暮らしが満ち足りていたとある。高等遊民という程ではないにしろ五年ニートしてた訳で、そら疎まれるやろと思う。養ってくれる父も凄い。
学生になってからの三年間も何もなくて穏やかな日々だという。
幸せだったんじゃん。
漱石は見失った幸せを見ていたのか。
なにもない安寧な日々を夢見たのか。
私もそれはある。
育ての親である父方の祖母の所から、勝手に母方へと連れ出されなければ、私は全然違った人生を生きていただろう。母のエゴがなければ、私は別の日々があった筈だと思う。
坊っちゃんのお母様も異様だ。長男を偏愛し次男は疎んじた。親の愛情をもらえなかったとある。
でも清がいるではないか。少なくとも、坊っちゃんが五、六歳の時から清は住み込んで働いている。物心つく以前から主人公の側にいて、勘当されそうになった時は彼女が父に平身低頭して許されている。こんな偉いばあちゃんを、なんでほっといたのか。やっぱり坊っちゃんはいけすかない。
以前にも書いたが、私には母の味がない。
ほぼ同居していなかったのもあるが、イカれているのでまともな料理が出来ない。母が料理をすると、見た目だけちゃんとした、食品サンプルのような代物となる。これに十五歳くらいから苦しめられた。母方のボケたくそじじいがくたばって、嗚呼助かったと思ったら、今度は母との二人暮らしで、もっと辛い日々がやって来た。
こんな狂人なのかよ、と私は関西の祖父の元へと、しょっちゅう避難していた。
祖母が亡くなり、一人きりになった祖父の様子を伺うという名目で、毎週末と祝日、連休は電車を乗り継ぎ、逃げ帰っていた。当時の同級生は、遊びに誘っても断り続ける私を、祖父の介護をしていて偉いと思っていたっぽいが、そういう訳ではない。
祖母は中学二年生の秋に死んだ。
私にとっての清だった。
ショックすぎて、その前後をよく憶えていない。
あの日、私は途轍もなくどうでもいい学校行事に珍しく参加した。マラソン大会という名のちんたら行進行列だ。
わざわざ学校外、市道でやる。何の見せ物だ。馬鹿すぎる。
だらだら走って学校に戻ると、校庭に母がいた。
あ?くそばばあ、なにしてんだ?と思って近付いたらら、
『おばあちゃん亡くなったってさ』
この時ほど怒りが湧いた事はない。
なぜ、さっさと職員室に行って教員の手を借りて私に報せないのか。なぜ、校庭でこんなくそみたいな行事が終わるのを待っているのか。
なんだそのあっさりとした態度は。
お前と比べようもないほど、慕い、愛した育ての母だ。
お前は産んだから母親だと自惚れているが、ただの肉袋で、しかも不倫の産物が私だろうに(これは三十過ぎてから、叔母、いとこから母が二重に家庭を持っていて、別の旦那さんと母方の祖父母は仲が良く、それもあって私をどう扱ってよいか分からなかったらしいと聞かされた)
お前なんか母親じゃない。
お前が死ねば良かったのに。
ぶっ殺す。
後年、私は母親を殴っている。
鍛え込んだ私の攻撃力で、泣きながら、ボコボコにした。ネットでしばしば目にする大した事ない『ボコボコ』ではないボコボコにして、本当に母はボコボコになった。叔母に止められなければ殺した。
(前回、前々回あたりお読み下さると私の凶暴性がお分かり頂けるかと😩読んで頂いた方、ありがとうございます🙇)
本気のテックァー(ムエタイにおけるローキック)から入り、髪の毛を掴んで巻き込んでの首相撲からボディを入れまくり、ヴァレリーキックでカーフを蹴りまくった。顔面にコンパクトにタッマラー(縦の肘)を何発も入れて、ダウンするとアキレス腱固めを極めた。そこで叔母に引き剥がされた。
格闘技に明るい方ならお分かりかと思うが、めちゃくちゃ痛い攻撃ばかり私は繰り出している。
即死させたり、即意識を飛ばしたり、戦闘不能になるような攻撃をしていない。苦しめる為、痛め付ける為の攻撃ばかり浴びせている。
楽になど死なせない──────────
募りに募った憎しみだった。
そういう親子関係だった。
今も全く晴れていない。
母は数日歩けず、警察に突き出してやる!訴えてやる!と喚いていたが、今も私に前科はない。
愚かすぎる。
即、殺害出来る戦力のある私に、そんな怒りを煽るような事を言って何になるのか。逆上して殺されるとは思わないのか。何だか勝ち誇ったように痣だらけの顔面を傷害の証拠だ!とか見せ付けてくる馬鹿すぎるツラを忘れられない。
暴力は最強だ。
殺したもん勝ちである。
罪に問うも何も、殺されたら終わりなのだ。刑罰は抑止力として釣り合っていない。
殺られたらおしまい。
これは生き物の、最も基本的でシビアなルールである。
だからこそ暴力はいけない。最強の力であるからこそ、タブーなのでもある。
ロシアを、イスラエルを、非難してもちっとも止まらないではないか(私もしているが)
暴力は強いからタブー。
どんな権力や財力にも勝る。
坊っちゃんについても『直接襲撃して殴るなんてバカなやり口だ』『証拠を抑えて法的手段に出たらいいのに』という意見もあった。いや、赤シャツ特に違法な事してないし、民事訴訟でも一番ダメージ受けるのマドンナだからね。法律とかではなく、兎に角、くそ野郎だと坊っちゃんたちは思ったから、ぶん殴ったんでしょ。
事実、痛め付ける、坊っちゃんたちの気が晴れるという意味では成功している。
坊っちゃんは非力そうだけど、山嵐に痛め付けられた赤シャツは、トラウマを負ったかもしれないし、その傷は一生残るかもしれない。その傷が元で病気になるかもしれないし、フラれるかもしれない。
タブーの力は行使されないと思っていたら、やられて手も足も出なかった訳である。
どーも、こんにちわ、本日はグサッ!あ、はじめましてバァン!をどう防げる?本気の殺意を怖いと感じるのは、防げないからに相違ない。
赤シャツも野だいこも、ヤバいと判るくらいには状況が理解できる人だった。
うちの母にはそんなものは分かりようがない。
母は白痴だ。
他人の事など欠片も慮れない。
自分だけの世界で、汚いペットボトルを積み上げたゴミの砦から、迫りくるハリケーンを見物してバカにしている。そんな生き物だ。
私は、勿論、優生学やファシズムなど耳くそとへそのゴマをザーメンで和えた腐ったドレッシングのようなもんだと思っているが、母のような生き物は生きていてはならないと思っている。人間社会が温情があるから、一応人間にカテゴリーされているけども、野生の獣なら死んでいるか食われている。
何も分からないのに、被害だけもたらすのだから。
生きている災害とも言える。
『おばあちゃん亡くなったってさ』
なんだそのクリーニング出来上がるの三日後だってさ、みたいなノリは。
一回一回の出来事としては、これがぶっちぎりでムカついた。これ単体で殺意を催す。
こめかみの血管が爆発しそうになった。立川談志師匠じゃあるまいし。
母はバカすぎて、我が子が自分よりも、彼女にとってはお姑さんを母と慕っているのも解っていない。我が子にとって、大変な悲劇が起きたという事も理解出来ない。産んだらあとは何か、馬鹿な犬みたいにずっと懐いているものだと思い込み、餌を与えず散歩もさせないくせに、ボールを投げては取りに行かせようとする飼い主のようだった。
何でいち早く報せない、何で容態が悪化した時点で連絡しないのか、マラソンなんて下らないイベント放り出して駆け付けたのにという怒りと、こんなフジツボくらいの知性しかない生き物から生まれた事に憤り、絶望した。
そこからよく憶えていない。
車と電車で祖母の家に行って、夜になっていて、遺体は病院から帰ってきていて、浮腫んだ顔に、看護婦さんがしたエンゼルケアのメイクは下手くそで、何だか別人のようだった。それしか分からない。お通夜はトイレにこもって泣いていた。お葬式の記憶はまるで無い。
祖母は癌だった。
発見から僅か三ヶ月で逝ってしまった。
母方の祖母は三年もしぶとかったのに、どういうわけだ。
入院して即、手術したが意味あったのか。
祖母の見舞いには四、五回しかいけず、具合の悪さよりも身だしなみや不潔になるのを嘆いていた。
またそんな頭して、学校行っとるんか?こんな所見られたないわ、もう来んでええとまで言われた。立派な人だった。小学生の頃、母方のどうでもいい祖母の永遠に続きそうな病院生活に付き合わされた私は、この父方の祖母にこそもっと甘えて貰いたかった。儘ならない。
変に私は褪めていて、何かを覚悟していた。
父の狼狽えようときたら、丸きり子供だった。大量の健康食品やら擬似科学の似非グッズを買い込み、祖母に食べろ!これ着けろ!と奨めた。アホだ。食事は喉に通らず点滴で、ぐったりして殆んど寝たきり、おむつが必要な病人に何がプロポリスドリンク、ローヤルゼリーキャンディだ。
祖母の力になりたかったが、私はなんにもならなかった。おむつ交換も看護婦さんに手を貸したいくらいだったが、祖母はあっちいけ!と追い出した。
気高い人、大工の娘だが、この人こそ武家の誇りがあったように思う。
清さんのように。
清い、いい名前だ。
当て字で読めない私の名前とは大違いだ。
祖母は彩という。
色彩の彩だ。あやではない。
当人は子をつけて彩子としていた。
サイコの血を引いているから私はこんななので、甘んじてサイコの孫を名乗る。
私の数少ない自慢は、親戚からこのひとに似ていると評されてきた事。
父も母も、というか祖母以外、祖父母はみんな色黒か普通だが、私は1/4のガチャで色白を引き当てた。顔も体型も手が小さくて指が短いのも、祖母に似る。若白髪なのも。祖母は四十代で真っ白になってしまったという。私の大伯母にあたるお姉さんも真っ白なので、遺伝だろう。下手に染めると却ってババくさいと断じて、前髪の一房だけ赤や紫に染めていた。思い返してもお洒落なばあさまだ。私も真っ白になるだろうか。その方がいい。
「うにゅー🐰おいらの柳家喬太郎師匠も若白髪で真っ白になっちゃったねえ🐰男前だなーあ🐰」
また出てきて。そうね、喬太郎師匠は素敵だわね。お前のじゃないけどね。
「地球一、おもちろい笑いの天才にゃんだ🐰うにうに~🐰ぴょんぴょん🐰」
ああいう素敵な白い白髪になれたらいい。
グレーではなく、スノーホワイトに。
祖母は七十四で逝った。
今でも恋しい。
辛い時は祖母に似て良かったと思う。
母に似なくて良かった。
あんなのから生まれた事を否定出来るような材料があるだけで有難い。
人間なのか。
こいつの夢が一番ツラい。
少し前に、子供の頃、遠足だか社会科見学だかに行って、公園のような処でお弁当を食べる夢を見た。
悪夢だ。
母が弁当なんてまともに、否、まともな弁当なんて作った事はない。
一度、中学生の時に重箱のような巨大な弁当に、カレーとトンカツが入っていてカツカレーかよ、と同級生に爆笑された事がある。そもそもまずい母のカレーは、色んなメーカーのルウを混ぜれば美味い!と思い込んで溶けないルウがダマになり、肉だかイモだかルウだか判別不能で真っ黒く、ちゃんとローリエの葉っぱもそのまま何枚も入っており、食べられないものまで入った具沢山で、二度と要らないと思った。恐ろしくしょっぱく、ルウの甘口辛口など見ない知らない気にしないで混合されたその辛さは塩辛だった。
ああ、胃が痛くなる。
中学の頃は部活に勤しんでいたので、母がたまに家にいると、頼んでもないのに要らない弁当を渡された。母親っぽい事をして悦に入る自己満足でしかない。
お金は父から並み以上に持たされているので、お弁当なんてお店で買うのに。ついでに言うと、剣道部というのは、くそ重たくて邪魔な防具も持っていかねばならず、そこに道着、袴、竹刀という大荷物なので、余計な物を持ちたくない。慣れると、お昼は手近なラーメン屋さんとかで済ませる。でかい弁当なんて迷惑でしかない。カンケーないが、お漬け物だけお母さんにタッパーに貰って、コンビニ弁当を買う謎の先輩がいた。
私が頂戴したお弁当様は、
パンだった。
なめてんのか。
八枚切りの食パンぜんぶ使ったとおぼしき大量のサンドイッチがでかいお弁当箱に迷惑と共に詰められていた。本人たちも、すいません、こんなハズでは、と肩身が狭そうだった。
イチゴジャム、ブルーベリージャム、オレンジマーマレード、なるほど、見た目はカラフルだ。だがそれが何だ。ジャム塗って挟んだだけじゃねーか。
三角に切られたそいつらは蓋に頭が激突してひしゃげており、助けてくらさい!と桂枝雀師匠みたいな有り様だった。四角い連中もいて、そいつらは玉子サンドだった。食べなくても判る。甘いんだろ。母は玉子サラダに砂糖をたっぷり入れて、潰した玉子焼きのようにする。なら最初から玉子焼き作れ。
甘いジャムサンドたち、甘い玉子サンドたち。
塩分をくれ。塩辛カレーどこいった。
付け合わせで貝が入っていた。
ねえ、見たことあります、お弁当に貝入ってんの?
おつまみのパックの味つけされたつぶ貝が数個、ころころと入っていた。桂枝雀師匠なら、あのー、水はどこれすか?というだろう。こっちが聞きたい。ごめんね、弁当にされて気の毒に、つぶ貝たち。
確かに母は自分も珍奇なくせして珍味が好きなのだ。
つぶ貝、ホヤ、ナマコなどバクバク食べる。砂肝なんかも好きだ。ドリアンを輸入して食べていた事もある。うんこじゃねーか、あれ。
だからって、お弁当につぶ貝入れるか?貝殻のまま、口にカラフルなピック刺してやんの。それウインナーとかフルーツに刺すもんだろ。つ、つぶ貝ですかぁ!?である。
あとタルタルソースかけたブロッコリーが入っていた。以上。
献立が人間ではない。未来永劫、彼らが同じ弁当箱に入れられ、お互いに困惑して気まずい時間を過ごし、蓋を開けられた瞬間、皆一斉に、スビバセンねえ、と謝罪させるような気の毒な思いをさせてはならない。
高校で母弁を完全に拒否った。
かと言って台所に入れないので(鍵してやがるから)お昼はファストフードばかり食べていた。ロッテリアのエビバーガーとチキンで生きていた。モスバーガーは地球一うまいと思っていた。
そんな母のお弁当を持って遠足にいく夢。
負け戦と分かっていて死ににいくようなものである。
自決に等しい。
ならば、辞世の句を詠まねばなるまいに、生憎と夢の中の私はガキんちょでそんなことは露知らず、埋まってない地雷原に飛び込んだ。
レタスが敷かれた上に唐揚げ、玉子焼き、ウインナーが綺麗に並んでおり、仕切られたスペースには昆布の佃煮、切干大根、かぼちゃの煮物。ごはんはふりかけをまぶした俵結びとお稲荷さんが二つずつ並んでいて、可愛らしい。
ちゃんとしたお弁当だった。
夢の中の私は、何の疑問ももたずに箸をつけた。
食べ終わり、夢から覚めた。
味は憶えていないが、知っている。
あれは祖母の作った弁当だった。
幼い、幼稚園の頃にもたされた祖母の弁当だ。
祖母は家庭料理の名人である。
子供が喜ぶものをしっかり分かっているし、色々食べろと食べさせるが、嫌いなものは無理強いしない。
祖母自身、肉類の大半が嫌いだった。それで、毎日早寝早起きで、鉢植えや畑の世話、家事、買い物と運動し続け、酒も煙草もやらない。それでも癌になるんだから、話にならない。
私は好き嫌い直せとか言われたためしがない。ただ、食わず嫌いは損だとは言われた。食べられないものが多いと不便だとも言われた
よくお稲荷さんを祖母は作った。
酸味の強いものと、甘いものと、二種類。前者は自分と父用、後者は祖父と私用。わざわざわけていた。
あらゆるものに気を遣っていた。
お弁当のごはんだって、そのままにはしない。中におかかを挟む二層にしたり、俵結びにしたり、ふりかけや鮭をまぶして、彩り豊かに、美味しそうにした。母の弁当を全部一色のワンルームとするなら祖母の弁当は3LDKくらいに違う。しかも見た目ばかりでなく、好きなものばかりで、美味しいのだ。
冷凍食品のおかずが爆増した私たちの世代で、それは異質な、昔ながらの手作りの“お弁当”だった。別に私は世の母親は子供の為に手作りしろ!と言うのではない。ただ、それをする、出来る人は凄い。
我が祖母を褒め称えたいが、褒めても、美味しいと言っても、ありがとうと言っても、祖母はそっけないだろう。いつも何か言っても『そら良かったなぁ』とか言うからだ。ツンデレかよ。実際、モテたろうな、この人は…………
夢の中の母の弁当は祖母の弁当になっていた。
胸に千枚通しが刺さるような悪夢だった。
どうしてこう悪夢しか見ないのか
落語の『夢金』や『夢の酒』のように愉快な夢が見たい。
母の弁当が祖母のものになるとはどういう按配か。
祖母が気の毒がってすり替えた?
私の本能が母を母と認めていないからか。
どうしてあんなものから生まれたのか。
死にたくなるがそれはやれない。
医者にもお母さんから離れなさいと言われた。
ある神父さまに『それはあなたの親ではない、あなたはキリストの子なのだから、悩む必要はありません』と励まして頂いた。片言の日本語で、熱心に諭して頂いた。遠い異国に来て、転んで倒れ伏した人々に手を差し伸べ続ける真の聖職者だった。私はキリスト教徒になったが、決して教会を良くは思っていない。様式に染まった形骸化した信仰は信仰ではない。
ぬいぐるみにも助けられてきた。
医学的にはセキュリティブランケット、ライナスの毛布とも言えるのだろうが、原因どうあれ、いいやと思っている。
そういえば立川談志師匠もぬいぐるみを大事にしておられた。色々と困った方だったと思うが、抱えておられるものも様々だったのだろう。
「うにゅー🐰かんしゃしろ、かんしゃ🐰」
はいはい。
落語を愛してやまないウサ太郎には相方としても助けられてきた。これからも助けられるだろう。
ここまでに二回泣いた。
このシリーズこんな辛いとはね、、、、、、
思慕の情、思えば遠くにきたもんである。
直接は祖母は出てこないが、あれは祖母の夢だった。
言外に秘めたる真意のように。
生きとったんかワレ!と、あのお弁当を通して、祖母の小太りの丸い影が滲んだ。
祖母の夢の話をする為にこんなにあれこれ並べ立ててしまった💦くどくて申し訳ないが、これが物書きの仕事であり、基本的な能力であるとも思う。
最後に、
坊っちゃんの夢について言わせて貰おう。
“清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だから、よしたらよかろうと云うと、いえこの笹が御薬で御座いますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた” 新潮文庫版21頁
うらやましい❗❗️❗️
ホンマにこいつ嫌いや❗️❗️❗️
めっちゃ幸せやんけ❗❗️❗️
坊っちゃんはまだ幾らか清に孝行できて幸せだ。
今年の二月とあるが、東京に帰ったのは秋の頃なので、五ヶ月程で清は亡くなった事になる。教師になるつもりもなく教員の資格をとるなど、迷走した学生生活もなければ、三年半は清との日々を送れた。遺産を学費に遣わないから、もう少しマシな家、清のいう『玄関つきの』=長屋ではない家にも住めただろう。お嫁さんやお子さんも逢わせられたかもしれない。無念である。
二十四にもなって“大切なもの”が分からないこの男は、頓痴気の頓珍漢の唐変木に相違ない。それでも気がついただけ立派なものだ。
大嫌いで、悲しい物語『坊っちゃん』
全ての日本人への反面教師。
教育者、夏目漱石の渾身の授業。
いつかまた、私は頁を開くのだろう。
私は…………
十四歳で祖母と永訣してしまった。
もっと早くに、私は母と絶縁して、祖母の子として生きるべき出会った。
小学二年生のあの時に、
しなくてはならなかった。
私は、乗り違えた人生を生きている。
祖母の愛情に報いたかった。
もう叶わない。
今の私を祖母はどう思うのだろう。
説教なら幾らでも受けよう。
謹んで頂戴しよう。
「うにゅー?カントクのばーさんどんなひと?酔っぱらいかなーあ?」
祖母はこいつを見たらなんて言うのか、、、、、、
『アホか』
かなあ。
「冗談いっちゃあいけねえよ🐰」
お前がサゲるのかよ!!
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(しつこく続く)