「レッド・ロケット」をシネマート心斎橋で観た。「人生、何とかなるさ派」は観とけ!
ネタばれあり。下調べなしの見たまんまの感想を書こうと思う。
過去にそんなに「生き急いでどうするの?」と人に問われたことがある自分だが、そんな自分は意外と保守派だと自負している。とはいえ、若い頃は「人生、何とかなるさ派」でもあった。
さて、良い映画の定義の一つとして、出てくる色んな登場人物それぞれの主観に立って考えることができて何度も見たくなるという点では、この映画は主人公のマイキーだけが突出しているので、自分の定義からは外れるが嫌いな映画ではないが、結構「辛い」映画ではある。
何が「辛い」か。
あまりに中途半端な未来計画しか立てられない中年男性の未来の無さに直面していて、また恐らくそれが米国だけじゃなく多くの国でもそうであり、「夢」というものに踊らされている多くの人にありがちな現実問題を直視させられているからである。
マイキーの人生はいい時もあった。その過去に彼は依存していて、現実的な未来が見えなくなってしまっていっている。現実的な未来とは、今の実情からの延長線にある未来のこと。
その点では、奥さん親子は現実的な伏線をしっかりと張っておいたのがよかった。過去に負ったであろう過ちを二度と繰り返さない。事前に黒人ファミリーに相談しておいたのであろう。「何とかなる派」とは大違いだ。
現実の中で、辛い現実と甘い現実が存在したとき彼は、過去の自分から導き出した時代錯誤な甘い現実をその後も続けられると錯覚し選択し、辛い現実から目を背けてしまう。この判断は「人生何とかなる派」としては最悪の判断だった。
過去の経験から、時に彼の判断は鋭敏に活きたりするが、それもその時限り。永くはもたないのだ。窮地に立たされて、真っ裸で脱走する時など彼ならではの判断で、タイミング。
最後の最期のシーンをどう判断するかは人それぞれだと思うし、制作者の意図もあるだろう。
自分としては、絶望を見た。
激疲労のもとに彼が見たのは、彼の妄想。
最後に一言付け加えると、「人生何とかなる派」を否定はしてないし、自分も未だにその派から抜けきれないでいるのは否めない。
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