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不登校になるまでの道のり

皆さんこんにちは、リスカ了です。
今朝起きてnoteを開いてみたらフォロワーさんが6人になっておりました。色んな方に記事にいいねもつけていただきました。フォロワー、いいねをつけてくださった方、いつも記事を読んでくださる皆さんには本当に感謝しています、ありがとうございます。これからも更新していきますので読んでやってください(リスカ了が喜びます)。
本題に移ります、今回の記事では私が中学生の頃に不登校になった経験とその経緯をお話したいと思います。
最初に、まず私が不登校になったのは中2の二学期からです。夏休み明けから教室に居られなくなり、保健室登校になり、そこから保健室にも居られなくなり不登校というコースです。理由はいくつもありますが、1番は1人の人からのイジメです。その人は私が好きになって中1の頃に告白(ラブレターを渡した)人です。(そしてこの人からイジメられた経験から恋愛ができなくなり今では二次元コンプレックスです。)
もっと詳しい経緯を中1の頃から順に話していきますね。まず私は言うまでもなく陰キャでスクールカースト最下層です。友達は誰もおらず休み時間は1人で読書してました。(当時の私はネットも音楽もテレビも漫画も禁止されていて娯楽が本しかありませんでした。)基本中学生なんて流行り物や昨日観たテレビの話ぐらいしかしません、当然皆の話に全くついて行けずそんな私はハブられます。休日に友達とカラオケに行ったりしたことも1度もありませんし、バレンタインの友チョコ交換とかとも無縁でした。勉強もさほどできるわけではありません(成績は中の下ぐらい)、運動は壊滅的にできません。もう典型的な陰キャですね。部活動は美術部に入っていました。顧問が基本不在だったので美術部らしいことはせず、入部した際に支給されたスケッチブックにただ自由に絵を描くということを毎日していました。(大きめな机がいくつもあり、1年生は1年生、2年生は2年生で固まって座るという感じでした)顧問がいないので当然しゃべり放題です。私がこれが耐えられませんでした。部員が少なく、同級生は私を含め7人しかいませんでした。当然ここでも皆の話についていけません。流行りの歌を私以外の皆で合唱とかもしていました(ここは合唱部じゃねぇ!美術部だ、歌ってねぇで絵描け)、同級生たちが楽しそうにしてる中私1人だけ明らかに浮いてました。部活で1番嫌だったのが1人の陽キャの同級生部員です。この部員は私を明らかに毛嫌いしており、心ない言葉を幾度も投げつけられました。今でも忘れられずフラッシュバックに苦しんでいます。ストレス過多に悩んでいた際に「ウジウジしてたらそりゃストレスも溜まるわ」と言われ、過去に自殺未遂をした(詳しく知りたいという方は前回の「小5の自殺未遂した冬」という記事を読んでみて下さい)ことを知られた際は私がどれだけ苦しんできたかも知らずに「自殺なんかする奴の気が知れんわ」と吐き捨てられました。リスカをするようになってからの話ですが、私の他にもい1人リスカをしている子がいたのですが(〇〇ちゃんと呼ぶ)、その子と私の前で「了はリスカするのわかるけど(明らかに馬鹿にしたような言い方と表情で)、〇〇ちゃんは可愛いのに何でそんな事するの?」と言ってきました。お前に私がなぜリスカするのかわかるわけ無いだろ、とまず思いましたし、〇〇ちゃんを引き合いに出して私を馬鹿にしようという魂胆もいやらしいですし、〇〇ちゃんに対しても、一見「可愛い」と褒めているようにも思えますが〇〇ちゃんの気持ちを1ミリも理解していない軽率な発言ですよね。こんなのは序の口で数え切れないぐらい彼女の言葉に傷つけられました。今でも恨んでいます。(他の部員達からも冷たくあしらわれてました。そりゃ私みたいなのはウザいですからね…)部活は2年生になってからすぐに行けなくなりました。顧問がいないので私が部活に顔を出さなくても当然誰も何も気にしません、毎日6限目が終わると図書館に直行していました。部活に関してはこのぐらいにしておきます。
次は私が不登校になった1番の原因の人について話します。彼とは入学した年にクラスが同じになってすぐに好きになりました。ラブレターを渡したのは1年生の二学期がはじまってすぐでした。結局返事が返ってくることはありませんでした。でも、別の意味では返事が返ってきました。私を露骨に避ける(目が合いそうになるとものすごい勢いでふいを向く、私の横を通り過ぎる際はわざと横の方にずれる等)、彼は給食の牛乳をみんなの分配っていたのですが私1人の分だけわざと配らない、先生から配っておくように言われたノートを私の分だけ配らない、仕方なく何かを配ることになった際は私の机に叩きつけるように置く等、地味ですが陰湿な嫌がらせを毎日受けました。誰にも相談できず(相談できる相手がいない)、本当に辛かったです。不幸なことに2年生に進級してからも同じクラスになってしまい、嫌がらせは続きました。極めつけは彼が私のことをクラスメイトに「嫌い、大嫌い」と言っているのを聞いてしまったことです。その日ショックで高熱が出て学校を早退しました。寝室で一晩中泣きました。次の日も熱が下がらず学校を休みました。もう彼と同じ教室にいるのが耐えられず、休み時間はチャイムと共に本を片手に教室を飛び出し人が通らない廊下に逃げるようになりました。彼や部活の部員達以外からも露骨な扱いを受けていた私は、だんだん登校する日は朝気分が悪くなり毎日嘔吐するようになりました(特に月曜日)。
学校が苦痛だった原因は実は人間関係以外にもありました、それは何かというと定期試験です。父は定期試験の点数が100点ではないと暴力、暴言を浴びせてくるので(定期試験の時に限らず毎日ですが)、必死に勉強して95点以上を取っても殴られ暴言を吐かれ、そんなことの繰り返しにも心底疲れ切っていました。
これらの理由から中2の夏休みが終わった瞬間教室に一歩も入れなくなりました。(夏休み明けに死のうとしましたが無理だった)保健室登校を1ヶ月程続けていましたが、何とかして無理やり教室に入れようとしてくる教師達にも耐えられなくなり、ついに完全に不登校になりました。母は何も言ってきませんでしたが、父が学校に行けと煩さかったので、不登校になってから現在通っている通信制高校に入学するまでの毎日、同じ中学校の生徒が来ない少し遠くの図書館に開館から閉館まで居座りました。今までの反動が一気に来たのか、全く勉強する気になれず、(通信制高校は入試が小論文と面接だけなので幸い勉強する必要もなかった)本と、中3になってから親戚が買ってくれたiPodだけが友達状態でした。図書館で本を読みながらiPodで音楽を聴き、ずーっと現実逃避してました。因みに中3の頃は卒業式の日の夕方(日が沈んでから)に卒業証書を受け取りに行っただけでたった1日も授業を受けた日はありません。中2からずっと勉強をしてなくて高校の勉強について行けるのか?と思われるかもしれませんが、案外大丈夫です。理由は受ける科目を選択できるので中学の内容がわからなくても大丈夫な日本史や世界史、古典、現代文、国語表現、子供の発達と保育(これは幼児保育に関する科目です)等といった科目で単位を取ることができるからです。以上が主に私の不登校になるまでの経緯と、ざっくりですがなってからです。正直中学校なんか行かなくてもちゃんと高校に入学して高卒の資格を取ることはできます。もう死んでしまいたいと言う程学校が苦痛な方は今すぐ学校に行くのをやめましょう。現在高校生だという方は通信制高校に転入するという手段もあります。学校なんかに命を奪われるなんて絶対にあってはいけないことです。
この記事に思っていたことを書いたことで少しスッキリしました。最後まで読んでくださり本当にありがとうございます。感謝しています。では皆さん、次の記事でまたお会いしましょう。


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