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【WISE-Ⅳ】発達障害だと思ったら境界知能だった話

こんにちは。
アラサーで一児の母のシャフと申します。

先日、精神科でWISEの検査をした記事を書きましたが、
その結果が出たので聞いてまいりました。

結論から申し上げると、ADHD、ASDは黒に近いグレー。
そして、私は、境界知能でした。

一時は頭が真っ白になりましたが、
少しずつ気持ちの整理ができてきたので、
綴っていきたいと思います。

結果を聞いて思ったこと

精神科で心理士に告げられました。
「あなたのIQは84です。」

まずは、ん?と思いました。

あれ、IQって平均値が100だったよね・・・。

細かい結果は、

言語理解94
知覚推理77
ワーキングメモリ85
処理速度85

それを聞いても、自分がどういう立ち位置にいるのかはわかりませんでした。

心理士さんは言葉を選んで、
これから自身で、工夫や努力をしても、一般で働いていくには限界があるかもしれないといった内容を、丁寧に話してくれました。

それは、わかった、けど・・・。

確かに仕事は続けられないし、大人同士の適切なコミュニュケーションは苦手。それはわかっているけど・・・。

はっきりとしない答えだったので、
「つまり、発達障害ということなのでしょうか?」と聞きました。

心理士さんは、
能力の高低差が19程度なので、発達障害としてはグレー。

そこよりも、IQが平均よりも低いため、仕事が続かなかったり、適切なコミュニュケーションが取れなかったのでしょう。

一般就労は難しいから就労移行支援を利用しては?

と回答をくれました。

そしてIQの平均グラフを見せてくれ、
私は、全体の下位15%の知能であることを知りました。

知的障害者には該当しないが、知能が低く、生活に困難が出る、いわゆる境界知能だということがわかりました。

その他にも、得意不得意などを教えてくれましたが、
ショックで頭に入ってきませんでした。

まさか、私が境界知能・・・。

私の生きづらさは、発達障害だからではなくて・・・。

下位15%、年齢にすると12歳前後、
小学6年生程度の知能。。。。

深く考えることができませんでした。
脳がショックを和らげるために、
そうしてくれたのでしょうか。
とにかく虚無で、お腹が空いたのでやよい軒で定食を食べて帰りました。

現実逃避

帰ってきてから、考えました。
私は4大も出たし、上場企業に4年努めたし、
多少コミュ障だけど、そんな、境界知能だなんて・・・・

もしかして、検査が面倒で手を抜いたんじゃなかったけ・・・。
検査結果が正確じゃないのでは。。。?
と、結果を受け入れたくない一心に現実逃避をしていました。

ただ、検査を受けた日のnoteを見ると、
全力でやった、ということを書いているんですよね。

ワーキングメモリの検査なんて、結構できたつもりでいたけど、
多分答えたけど間違えまくっていたのだろうな・・・。
知覚推理なんて本気でわからなかったし・・・。

『ケーキの切れない非行少年たち』を読んで、
円を3等分できない犯罪少年たちの環境の過酷さに
同情していましたが、私も彼ら側の存在だったわけです。

下位15%・・・。
どうりで、生きていくだけで、こんなに疲れるわけだ・・・・。

私について

境界知能でIQ84と診断された私ですが、
アラサーになるまで、まったく気が付かれることはありませんでした。

私の人生を簡単に振り返ります。

小学生までは勉強は割と得意でした。
あまり授業を聞かなくても一部だけ聞いていれば理解できた。

学校のテストはほとんど100点でしたが、
暗記だけは、大の苦手でした。

特に、漢字。
漢字は今でも全然書けない。
当時も漢字テストの点数は死ぬ気で覚えて、60点くらいでした。

あと、都道府県は1回覚えたけどすぐ忘れて、
県庁所在地も全く覚えられなかった。
九九は余裕でした。

そして中学受験をして、
あまり賢くない私立中学へ。

入った当初の模試は学年15位とかで結構よかったのですが、
授業が始まると、
小学校の時のように、ほとんど聞いていなくて、一部だけ聞いているだけでは理解ができなくなりました。
それで勉強のやる気を失い、
そこから高校2年生くらいまではほとんど授業を聞かず、
赤点、学年下位の人生。

そして高2から大学行くところない。。。と思い
授業を聞き始めました。
が、基礎ができてないので、あまり理解できず。

勉強の頑張り方もあんまり理解していませんでしたが、
それなりに過去問を解き、
得意だった国語を活かして、偏差値57くらいの大学に入りました。

友達の助けもあって、普通に卒業。
上場企業に滑り込み。

周りの人はマーチぐらいの学歴で、
自分の大学からすれば少しいい企業に入りました。

仕事は普通にポンコツでしたが、
人手不足もありそれなりに昇進
3年目で手当てを含むと500万くらい稼げました。

しかし、大きな悩みは、上司とうまくコミュニュケーションを取れないこと
(具体的には自己開示をしすぎたり、失礼なことを言ってしまったり、それを避けようとすると何も話せなくなったり、会話の返答がずれたりなど)
あとは、ケアレスミスがかなり多い事。

ただ、1人で進めていける仕事だったこと、雑でもなんとかなる営業とサービスの仕事だったことから、何とかなってました。
ハードワークでしたが。

んで結婚して土日休みの仕事にあこがれ、
簿記3級を取って税理士事務所に転職。

ここでコテンパンになります。
数字ミスしまくり。

何とかついていこうと働きながら4か月で簿記2級を取りましたが、
勉強のかいもむなしく実質くび。

そしてその後ニートし出産。

そして子が1歳の時に事務職で復帰するも、
ミスしまくりでお局に超嫌われほぼ追い出され退職。

そして発達検査に至る・・・。

というわけです。
正直、無礼を働いてはいけない大人(上司や親戚や同僚や知り合い)とのコミュニュケーションができない事、ケアレスミスが多い事以外には、
そう困っていなかったのです。
行政手続きもできたし。。。。

ただ、今になって思うと、会議などでついていけないことがあったり、
卒論を書いた時にも、調べたり、文章をまとめることがうまくできずに、
適当に書いて出してしまったりした。(やる気のないふりをして出したけど、本当は本気でやってもできなかったのだと思う。)

なんとか通して卒業できたが、卒論の内容はひどかった。

今思えば、周りの人、賢いなあと思うことも、かなり多かったのだ。

そして会話も。

私は処理速度と知覚推理の遅さから、会話を理解できていなかった。
だからコミュニケーションが取れなかったのですね。。。

相手の顔や名前も覚えられないのだから、前回の会話の内容なんてもちろん覚えていないし、理解ができないなら適切な返答どころではない。。。。

発達障害は部分的な知的障害であるかもしれないけれど、
私は全体的に低知能だったのでした。。。。

これからどう生きていく?


私のIQの結果を見て思ったこと。

それは、私がすごく疲れやすかったのって、
馬鹿なのに結構頑張っていたからなのかぁ・・・。ってこと。

IQ84は小6レベルの知能。

小6が社会人して、簿記も取って…って考えると、結構すごいではないか。。。

ただ、頑張って周りについていくのはすごく疲れる。

私は、人生を何十年も生きていくことがすごく困難に感じて、
途方もなく疲れるから、死んだ方が楽なんではないかと考えることがよくあった。

これは現代の生きづらさが原因で、現代人がみな抱える悩みだと思っていたのだけれども。。。

どうやらそうではなかったらしい。

他のみんなはもっと生きやすいのだろうか。
私には普通がわからないけれど。

これからどう働いていくか。
どう食っていくかはまだ決められない。

子供に遺伝するかもしれないと思うと申し訳ない。
第二子は絶対に作らない。

ただ、下位15%の知能で、
それなりに生きてきた私、結構偉いのではないか。

これから生きていくのも、かなり困難だろう。

自分のIQを知ってしまったからこそ、あきらめてただ生きるという選択肢も出てきた。もっと早く終わらせてしまうという手も。

でも、ここまで、あがいて生きてきたのだから、
馬鹿なりに生きてみようと思う。

現在社労士資格の勉強をしているが、
やめるつもりはない。

境界知能なのに、社労士資格取れたらすごいじゃんね。

まとめ

人よりできないことが多い理由がわかっても、
まだ受け入れられていない自分がいます。

IQが低いから、すべてをあきらめて生きる気にもならない。

人よりも時間はかかるかもしれないけれど、
踏ん張っていくしかないな、と思うのでした。

これからも私の足掻きを綴っていきますので、
興味のある方はぜひフォローしてください。

同じように検査受けた方、そのほかの方、感想や検査結果をコメントで教えて頂けたら嬉しいです。

ちなみに全く関係のない話なのですが、
私のIQ84がどんな水準なのかを調べるために、グーグル検索をすると、
村上春樹のイチキューハチヨンが出てきて大変に困りました。(笑)

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