久しぶりにノート書く。 この半年いろいろなことがあった。辛いことばっかり。 でも、一つ一つ乗り越えると知らなかった自分に出会えて面白い。率直に言うと7辛い3面白いて感じ。それと同時に歪んでいく自分がいる気がする。 孤独を感じて穴を埋めてもらおうと必死になる自分、それが消えそうになると離したくないと執着する自分、執着されると安心して傲慢になる自分。 どれも結局私なんだと思う。 私は蓋を開けると変な人間でした。愛しい ここ最近は寂しさと戦ってる。 でも寂しさに勝たねばという気持
自分に恥じない生き方がしたい いきてると、どこに行っても何をしても後悔はする。けど、しなくていい後悔をしたくない 阻止できる恥はかきたくない そして、自分に恥じない生き方をするということは自分を大事にする生き方ということだと思うから。 自分を大事にしたい
望んで生まれてきたとか言うけど、じゃあ何で産まれたくなかったとか言う人がいるんだろうね キラキラしたと思っていた世界がいざ入ってみると思ってたより華やかじゃなかった だからやっぱり死んじゃお!!今世さよなら〜ていう軽いノリじゃないのか 世間では自殺は重いものだけど多分本人はそこまで重いものと思ってない。 きっと彼らは生きる方が重かったんだよ けど残された人間にとって人を失うことは重いものだから自殺は重いものと言われてるんだと思う でも私は地球でしか見れない美しいも
何かを追うという行為は喜怒哀楽の感情を手っ取り早く感じられる行為である 人格形成にも多大な影響を及ぼすと思う 喜、学ぶことの楽しさを知る、知的好奇心が増える 怒、うまく出来ない自分に腹が立つ、特定の分野だけでなく自分が生きて行く上で何に怒りを感じるのか分かる、そのため苦手なことをどう対処、回避すればいいかの能力が身につく 哀、出来なくて落ち込む、けどそこからの這い上がり方を学ぶ、そして哀の感情を知ってるからこそ誰かを想う心が成長する 楽、これは楽しむなのかラクしたい
人はなぜ貪欲なんだろうか 何かが満たされてないから、それで埋めようとするのか あるいは満たされてるはずなのにもっと蓄えようとするのか 蓄えることによって安心したいがために蓄えるのか 蓄えたい時に蓄えられないと考えるから常に欲してしまうのだろうか 要らないかもしれないのに 蓄えていたはずのものを要らないと捨てるのは誰だろうか そしたら次は手持ち無沙汰になってまた埋めようとする 人間はそれの繰り返しだ 得た幸せなものを必ず手放さなければいい 周りと比べて隣の芝生が青く見えたとして
ネギをちょうど使い切るなんてことはできない 我々は様々な材料や知識や経験を使ってより良い何かを生み出そうとしてる だが限られた時間のせいでどうしても全て使いきれない 生かしきれない 人生には限りがある だから必ず生かしきれなかったものが残る それでいい ぴったり収支が合うなんてことはない ぴったりにとらわれるな もっと大切なことがある もがけ きちんと悩め 人生には必ず終わりが来る 誰にとっても必ず途中で終わりが来る だからやり残したことを後悔しても始まらないんだよ ぴった
私の良いところ、希望を持てるとこ。 そして、私に希望を持たせてくれる人がいることへの感謝を忘れてはいけない
一つ目は戦うべき存在であるのは他でもない自分自身だということ 他人と戦っても自分と戦ってもどちらにしても人は成長出来る けど、他人と戦うとやっぱりどうしても比べてしまって落ち込んだりする それなら、昨日の自分に少しでも勝つために戦った方が綺麗な成長ができるんじゃないかと思う 自分と戦うのももちろん辛い けど、人と戦うとどこか傷跡が残る成長になるんじゃないかと思う 傷跡が残れば、またそれを治さなければならない それに、人と比べてると結局は未完成のままでいる気がする
人の悪口ばっか言ってる人達って逆に余裕あるんだろうなと思う
私の大学って頭良い大学ではなくて、そこにはやっぱり一定数、教養や知識がない人がいる。 私も完璧には程遠いけど、賢く思いやりがある人になれるように日々努力してる。 それにこの大学が嫌だと言ってもそれは今は仕方ない。 私の勉強レベルに見合った大学はここだったわけだから。でもなんか疲れる。 たまにそのような人の色々な話を友達から聞いてると、もっと勉強して良い大学目指せばよかったと思う。 もっと色々な話ができて、夢について語れて、思いやりや賢さを持ってる人たちがいる場所が。
まじめが損をする世界ってよく聞くけど、ある?普通に、不真面目が損する世界でもあると思うんだけど。 別に真面目が100、損するわけでもないし得するわけでもない 不真面目が100、得するわけでもないし損するわけでもない 真面目さが故の損もあれば不真面目さが故の損もある 周りにフォーカスしすぎると自分だけ…みたいな思考になるけど、自分にフォーカスすると得するところもあるんじゃないかと思う 要は日本人特有の(主語でかいけど)周りと比べて落ち込むが故の思考なんじゃないかと思った
愛ってなんだろう 無条件に相手を幸せにしたいと思う気持ち? こういう答えのないこと考え出すと、色々な人にめっちゃ聞きたくなる 面倒くさがられるから心に留めてる。 しかもこんな話、素面で出来ない笑
人生あっという間!ていうけど、多分それ猛スピードで生きてた人が言ってることであって、ゆっくり歩んでる人の人生はゆっくりなんじゃない?て思った。どうなんだろう でも、ゆっくり生きれない人が多いからそう言う人が多いだけであって て布団で目閉じてたら思った なんのブログ笑
この世って弱肉強食の世界だよね 生きるためには逃げるしかないていう、これしか思い浮かばない それか弱者で集団で襲いかかるかどちらか
どんな大人になりたいか考えてみたんだー 賢いとか優しいとか色々出てきたんだけど、でもあんまりしっくりこなくて、うーんと思ってて だからなりたくない自分はどんな人だろう?って考えてみた そしたら頑張ってない人ていうのが頭に浮かんで、これが腑に落ちた 別になんでもいい 仕事を頑張ってるでも、子育てしながら主婦をしてるでも何でもいいから、私は頑張ってさえいればどんな大人になってもいいやと思った あと、人を傷つけないことね だから私は頑張ってる人になりたいんだなと思った
私は今回のライブで表現者としてのミセス、大森元貴を単純に尊敬した 自分も大学でものづくりをすることを専攻してるから、これとあのミセスを比べるなってかんじだけど、でもものを生み出すことがめちゃくちゃ大変なことは分かる 人も自分も納得できると思えるアイデアを出すこと、そしてそれを具現化すること この具現化がありえんぐらい、難しい。 そして悩む どうすれば伝わるのか、このアイデアに需要はあるのか、具現化していく中でもそのアイデアの中にある何かを目立たせて、それをまたより良く