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そばなんか、金を払って食べるものじゃない。(役に立たないそば屋の話13)

讃岐と言えば、うどん。
うどんと言えば讃岐。

というぐらいのうどん処、香川県。

以前に、高松に行って驚いた。
至る所にうどん屋さんがあるではないか。

定食屋に入って、
トンカツ定食などを注文すると、
「うどんにしますか、ご飯にしますか。」
などと聞かれる。

早朝から開いている店があって、
朝食にうどんを手繰る人がいる。
午後の時間、ちょっと小腹が空いた時も、
開いているうどん屋さんがある。

驚いたのは、
タクシーで連れていかれた、
畑の中のビニールハウス。
その中で、作ったうどんを売っていて、
大きな釜がある。
そこでは、うどんを自分で茹でて食べるのだ。
昼過ぎだというのに、大勢の地元の人たちで賑わっていた。

おいしいうどんが、
安くて、どこでも、いつでも食べられる。
讃岐の人たちは、
一日に何度もうどんを食べるのではないか、
と思われるくらい、
暮らしの中に定着しているのだ。

さて、そば処と呼ばれる長野だって、
負けてはいない。

そば屋だって、町中にたくさんある。

定食屋で野沢菜定食を頼むと、
「そばにしますか。ご飯にしますか。」
なんて聞かれることは、、、
、、、、ない。

早朝から、
朝飯にそばを食べる人の姿は、、、、
、、、見かけない。
小腹が空いた時に、
ちょっとそばでも、、、、
あれれ、、、店が閉まっている。

郊外に行けば、そばの看板が並んでいるけれど、
どこも立派な建物で、
しっかりお金を取られる。

それでもそば処、長野の人たちは、
一日に、何食もそばを食べる、、、
、、、ことはない。

これは、私の勝手な思い込みかもしれない。
でも、私が勘ぐるに、
長野の人は、あまり、そばを食べないのだ。
少なくとも、
讃岐の人がうどんを食べるようには、
食べていない。(あたりまえかもしれないが)

長野の町の中では、
そば屋より、ラーメン屋の方が多いのが現実。
しかも、そのそば屋のある程度は、
県外からの観光客によって支えられているのだから、
地元の長野人が、そば屋でそばを手繰る機会は、
ラーメン屋のそれよりは、
はるかに少ないのだ。

もちろん、そばをたくさん食べる方もいらっしゃるが、
多くの長野の人たちは、
普段はあまり、そば屋に足をむけることが少ないようだ。

そのくせして、地域起こしだ、
イベントだというと、
必ず神輿に担ぎ上げられるのが、
そば振るまいや、そば打ち教室。
いつもはそばを食べない方々も、
こういう時には、大団扇をあおったりする。

さて、遠くからお客さまが見えたりすると、
それじゃあ、そば屋でも行ってみるかと、
何年か振りでそばをいただく。
そうして、
「どうだ、長野のそばはうまいだろう。」
と、自慢してみせるのだ。

かくも不思議な長野人。
自分じゃめったに喰わないくせに、
そばの自慢じゃ引けを取らない。
いつもは、食べないそばだが、
長野の代表選手に、必ず選ばれるのだ。

それでもそば処、
「信州そば」の本場だと威張っている。

これって、どういうことだろう。

でも、これには、
ちゃんと、愛すべき理由があるようだ。

私は東京生まれの東京育ち。
四十年ぐらい前、
ひょんなことから、長野に移り住んだ。
さあ、長野でおいしいそばを食べまくるぞ。

そうして、周りの人に聞きまくった。
「どこへ行ったら、おいしいそばが食べられるのかなあ。」

その答えが、私には、
しばらく意味不明だった。
「ああ、うちのばあちゃんが、元気な頃は、
よく作ってくれたけれどな。そのそばが一番うまい。」
「そりゃあ、やっぱり、○○(土地の名前)のそばさ。
 親戚がいるんで、よく粉を貰って食べた。」

私は、おいしいそば屋はどこか、
そう、聞いたつもりだったけれど、
何か会話が噛み合ない。

それじゃ一緒にそば屋に行こうと誘ったら、
「そば屋に行くって?
 いいよ、そばなんて、
 金払ってまで食べようと思わないから。

ええっ、そばって、そば屋でお金を払って食べるものではないの?

ここで、以前にやっていた居酒屋時代のお客さん、
設備屋の社長さんが登場。
まだまだ60代後半の社長さんは、
長野市から、少し入った山の中の出身。
「そばなんて、子供の頃、
 散々喰わされたので、今さら食べたいと思わないね。
 蚕の食べる桑の葉を採りにいかされて、
 腹空かせて家に帰れば、
 おふくろがそばを打っている。
 白いご飯が、どれだけ食べたかったものか。」

60代の土建屋さんの話。
市内の農家のご出身。
「いや、そばは、家のばあ様が作ってくれた。
 何かの行事があると、臼を取り出して、
 一日中背中を丸めて挽いていたな。
 そのそばが、うまかった。
 いまさら、他のそばなんか喰えないよ。」

70代のリンゴ農家の方の話。
「山の一番上の畑で、そばを作っているんだ。
 それを農協で粉にしてもらって、
 時々、自分で打って食べているんだ。
 ええっ、そばなんか、
 わざわざ店に行って喰うもんじゃないさ。
 どうせなら、他のものを食べるね。」

そう、長野では、
伊達や酔狂でそばが食べられていたわけではないのだ。
暮らしの中の、必要な食べ物として、
そばがあったようだ。

今でこそ、自分の家で、
そばを作る家は少なくなったが、
少し前までは、それが当たり前だった。

僅かな空き地でもあればそばを栽培し、
そばが打てなければ、農家の嫁として、
一人前と認められなかった時代が、
ごく最近まで続いていたのだ。

だから、長野人の胸の中には、
そばに対するさまざまな想いが溢れている。

ある人にとっては「貧しさ」の象徴であり、
ある人にとっては「家族の暖かさ」の思い出であったりする。

わたしが、たとえ、
どんなにおいしいそばを作ったとしても、
そういう「想い」には、
到底、かなわない。

「信州そば」というのは、
そういう、暮らしの中で育まれて来たもの。
都会のそば屋めぐりをして、
「うまい」とか「粋」だとか言う、
そういう感覚とは、
別のところで育って来たものなんだね。

でも、そういう「想い」を残しているのは、
もう、ご高齢の方々ばかり。
若い方々には、
家でそばを打ってもらったという経験は、
ほとんど無いことだろう。

身近に、そばの畑を見ることも、
ずいぶんと減ってきた。
はたして長野の人たちの「そば愛」は、
これからどう変わっていくのか、
心配でもあり、
楽しみでもあるのだ。

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