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#14 「けテぶれ」や「QNKS」は本当に必要なのか?
先日、「けテぶれサロン」であらいさんと隆さんが、それぞれの実践について発表してくださいました。岡山での発表を聞くことができなかった自分にとっては、貴重な時間になりました。そこで聞いた内容とそこから考えたことをまとめました。
教育現場の現状
今まで授業スタイルは、主に一斉授業です。そのスタイルでは、特定の学力層にしか焦点を当てられず、いわゆる「浮きこぼれ」や「落ちこぼれ」が生じてしまう可能性があります。さらに、紙ベースの授業では、多様な特性を持つ生徒への対応が難しくなるという課題がありました。さらに、現在、発達障害を持つ生徒や不登校の生徒など、さまざまな背景を持つ子どもたちがいるため、文部科学省は「個別最適な学び」と「協働的な学び」の必要性を示しています。その中で重要なキーワードとなるのが「インクルーシブ教育」です。教えやすい空間ではなく、学びやすい空間をつくることが求められています。
観察の視点と教師の役割
あらいさんは、インクルーシブ教育を実現するために、中学校で自由深度学習に取り組んでいます。話の中で、学んだことは次の通りです。
インクルーシブ教育を実現するためには、生徒が「内容・学び方・環境・教材」を自由に選べることが不可欠です。これらの選択肢を用意することで、自由進度学習に近づき、生徒自身に合った学びの場が生まれます。
また、「教師は生徒の状態と行動の両方を観察すること」が重要である。生徒が学びに向かう姿勢を持てているか、適切な方法で学習を進められているか、困りごとを抱えていないかといった「状態の観察」に加え、学習のプロセスがどのように展開しているか、どのような思考サイクルが生まれているかという「行動の観察」が求められます。
教師は、生徒が学習を進める中で適切なサポートができるよう、単なる知識の伝達者ではなく、学びを支える環境設計者としての役割を果たす必要があります。具体的な指示を出すのではなく、生徒が自らの学びを振り返り、調整できるような働きかけが重要だということです。
「サイクルフレーム」と「ギア」の考え方
隆さんは小学校の先生です。隆さんの発表では、「学びのプロセスをどのように機能させるか」という視点が語られました。学習の流れを一つのサイクルとして捉え、それが適切に回ることで学習が深まるという考え方です。このサイクルが適切につながることで効果的な学びが生まれます。
また、このサイクルは単独で完結するのではなく、複数のサイクルが連携することで大きな学習の流れを生み出します。しかし、そのためには各サイクルが適切に機能し、互いに噛み合っていることが重要です。サイクルがうまく機能していない場合、その要因を特定し、適切に調整することが求められます。
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「けテぶれ」や「QNKS」は本当に必要なのか
これらの話を聞いて、けテぶれやQNKSといった言葉が本当に必要なのか考えました。2人とも、教師主体による学びではなく、子ども主体の学びを目指していました。そのための手立てとして、さまざまな教育理論が活用されています。「けテぶれ」や「QNKS」は、もともとそうした実践を抽象化し、整理したものだと思います。
実際、隆さんは「けテぶれ」を実践し始めて1年ですが、もともと、さまざまなサイクルの理論を用いた実践をしていたそうです。あらいさんも、学び方を追求する中で、結果的に「けテぶれ」や「QNKS」の概念と一致していたようです。
つまり、この2人にとって、「けテぶれ」や「QNKS」は「目的」ではなく「手段」に過ぎません。すでに自身の実践が確立していたからこそ、それらの理論と結びつけることができたのです。
言葉の形骸化に注意
葛原翔太さんは、「けテぶれ」や「QNKS」を通じて公教育のあり方を変えようとしています。私もこの考え方には賛成です。しかし、一方でこれらの言葉だけが一人歩きし、「よくわからない実践」や「表面的な模倣」にとどまってしまう危険性も感じます。
初めは言葉を真似ることからスタートするのは良いですが、それが自分の実践と結びついているのか、また葛原さんがどのような理論からこれらの概念を生み出したのかを考える必要があります。
実際、過去の先生方の中には、「けテぶれ」や「QNKS」という言葉がなくても同じような授業を行っていた方がいたはずです。重要なのは、言葉を使うことではなく、その根底にある「生徒の学びのあり方」をしっかりと見つめることだと思います。
まとめ
「けテぶれ」や「QNKS」は、それがなくても実践は可能です。しかし、これらの言葉によって整理され、理解しやすくなっているため、多くの教師が活用しているのだと思います。教師として、言葉の便利さに頼るだけでなく、その背後にある生徒の学びの姿を見据えた授業づくりをしていきたいと思います。