太宰治『薄明』太宰作品感想13/31
10月中、連載を続けている太宰治の作品感想。今回は『薄明』を選んだ。
私は今、金沢で学生をしている身なのだが、この地は空襲がなかったという点で他の中核市と一線を画している。そのため道が入り組んでおり、新興地域に出なければまっすぐに舗装された道にはなかなか巡り合えなかったりする。一線を画しているということについて裏を返せば、日本の全国各地で空襲があったということだ。太宰は昭和二十年の四月、太宰治は疎開先であった妻の地元、甲府で空襲に見舞われた。
アメリカの戦闘機、爆撃機が上空を通っていく毎日。死にたがりの太宰に限らず、死は、日本人の中に身近にあった。今年の夏の帰省中、近所の昭和8年生まれの爺さんとお話をしたが、昔、戦闘機に追い掛け回されたときの話をしていただいた。その当時、爺さんが田んぼに上手く飛び込むことができなければ、爺さんの息子さんもお孫さんも今いないのだという極めて当たり前の事実が会話の途中、頭をよぎった。子供であっても米兵はなりふり構わず撃った。それが戦争であった。
作中にもある通り、太宰の娘は眼を患ってしまう。症状は悪化し、前が見えないほどまでに腫れ上がってしまった。
これは重大発言である。日常にあった多くのことを記録に書き留め、多量の作品を残してきた太宰が、文学無しに生きることができただろうか。生きることできたかどうかはさておき、親思う心にまさる親心とは、まさにこのようなことを言うのではなかろうか。本作では、父としての太宰の一面を見ることができる。
疎開した太宰は、空襲が来たときの作戦を予め計画していた。
しかし、最悪のタイミングで空襲が来た。前の見えない娘を歩かせるわけにはいかない。太宰の私小説が、どの程度事実を反映したものかはわからないが、「なんでもいい。とにかく、もう一月は待ってくれてもよさそうに思うがねえ。」と太宰が言った丁度そのタイミングで空襲が来たというから、フィクション小説も顔負けの展開である。その空襲は何とか潜り抜け、やがて娘の眼は回復に向かった。
『薄明』を読むと、当時の殺伐とした風景をありありと思い浮かべることができるようだ。思い出すという人間の営みについて改めて考えてみると、本作は実際の映像以上に、空襲というものを生々しく教えてくれる作品のような気がする。
歴史を知るとは、通史を覚えることではない。小林秀雄と言い、司馬遼太郎と言い、半藤一利と言い、この点の主張は共通している。私は司馬史観にも半藤の戦争論にも共感できない部分があるのだが、今はそんな事実を切り捨てても尚のこと輝きを放つ、彼らに通底する大切なことについて皆さんに伝えたい。過去の歴史は、心を通して今の自分に思い出されなければならない。そうして思い出されたものでなければ、歴史と呼ぶべきではない。自分と関わりのない無機質な過去として歴史を知ろうとするならば、時間の無駄であるからやめた方が良いと思う。