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太宰治『薄明』太宰作品感想13/31

10月中、連載を続けている太宰治の作品感想。今回は『薄明』を選んだ。

私は今、金沢で学生をしている身なのだが、この地は空襲がなかったという点で他の中核市と一線を画している。そのため道が入り組んでおり、新興地域に出なければまっすぐに舗装された道にはなかなか巡り合えなかったりする。一線を画しているということについて裏を返せば、日本の全国各地で空襲があったということだ。太宰は昭和二十年の四月、太宰治は疎開先であった妻の地元、甲府で空襲に見舞われた。

私は三十七になっていた。妻は三十四、長女は五つ、長男はその前年の八月に生れたばかりの二歳である。これまでの私たちの生活も決して楽ではなかったが、とにかく皆、たいした病気も怪我けがもせずに生きて来た。せっかくいままで苦労を忍んで生きて来たのだから、なおしばらく生きのびて世の成り行きを見たいものだという気持は私にもあった。

アメリカの戦闘機、爆撃機が上空を通っていく毎日。死にたがりの太宰に限らず、死は、日本人の中に身近にあった。今年の夏の帰省中、近所の昭和8年生まれの爺さんとお話をしたが、昔、戦闘機に追い掛け回されたときの話をしていただいた。その当時、爺さんが田んぼに上手く飛び込むことができなければ、爺さんの息子さんもお孫さんも今いないのだという極めて当たり前の事実が会話の途中、頭をよぎった。子供であっても米兵はなりふり構わず撃った。それが戦争であった。

作中にもある通り、太宰の娘は眼を患ってしまう。症状は悪化し、前が見えないほどまでに腫れ上がってしまった。

もし、この子がこれっきり一生、眼があかなかったならば、もう自分は文学も名誉も何も要いらない、みんな捨ててしまって、この子の傍にばかりついていてやろう、とも思った。

これは重大発言である。日常にあった多くのことを記録に書き留め、多量の作品を残してきた太宰が、文学無しに生きることができただろうか。生きることできたかどうかはさておき、親思う心にまさる親心とは、まさにこのようなことを言うのではなかろうか。本作では、父としての太宰の一面を見ることができる。

疎開した太宰は、空襲が来たときの作戦を予め計画していた。

しょういだんを落しはじめたら、女房は小さい子を背負い、そうして上の女の子はもう五つだし、ひとりでどんどん歩けるのだから、女房はこれの手をひいて三人は、とにかく町はずれの田圃たんぼへ逃げる。あとは私と義妹が居残って、出来る限り火勢と戦い、この家を守ろうじゃないか。焼けたら、焼けたで、皆して力を合せ、焼跡に小屋でも建てて頑張って見ようじゃないか。

しかし、最悪のタイミングで空襲が来た。前の見えない娘を歩かせるわけにはいかない。太宰の私小説が、どの程度事実を反映したものかはわからないが、「なんでもいい。とにかく、もう一月は待ってくれてもよさそうに思うがねえ。」と太宰が言った丁度そのタイミングで空襲が来たというから、フィクション小説も顔負けの展開である。その空襲は何とか潜り抜け、やがて娘の眼は回復に向かった。


『薄明』を読むと、当時の殺伐とした風景をありありと思い浮かべることができるようだ。思い出すという人間の営みについて改めて考えてみると、本作は実際の映像以上に、空襲というものを生々しく教えてくれる作品のような気がする。

「上手に思い出す事は非常に難しい。だが、それが、過去から未来に向って飴の様に延びた時間という蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思われるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方の様に思える。」

小林秀雄『無常といふこと』より

歴史を知るとは、通史を覚えることではない。小林秀雄と言い、司馬遼太郎と言い、半藤一利と言い、この点の主張は共通している。私は司馬史観にも半藤の戦争論にも共感できない部分があるのだが、今はそんな事実を切り捨てても尚のこと輝きを放つ、彼らに通底する大切なことについて皆さんに伝えたい。過去の歴史は、心を通して今の自分に思い出されなければならない。そうして思い出されたものでなければ、歴史と呼ぶべきではない。自分と関わりのない無機質な過去として歴史を知ろうとするならば、時間の無駄であるからやめた方が良いと思う。

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