ランニングという趣味について
ランニングを初めて5年経った
昔から運動神経が悪く、運動会ではいつもドベ
もちろん運動会は大嫌い
運動会を待ちわびるクラスメートも恨めしく
マラソン大会は運動会よりもっと嫌いだった
そんな自分が、ランニングを初めたのだ
今まで何度かトライしたこともあったが、長続きしなかった
しかし、海外で離婚を経験し、何かどうしても自分を変えたいと思った
身体を絞りたいのももちろんだが、メンタル面でも鍛えたい、と思った
ランニングを習慣化させるため、ハーフマラソン大会に半年後出場することにした
周りの皆にも声高々に出場を宣言
うまい具合にランニングが習慣化した
習慣化すると、ランニングが楽しい
なにが楽しいって、どんどん長い距離が走れる
どんどん、走るスピードも上がっていく
運動出来なかった自分が運動が出来るようになる
最高だ
ランニングが確実に趣味になった瞬間だ
ランニングが習慣化すると、走らなくては気持ち悪くなってくる
ランニング時間が瞑想のようになってくる
毎日歯磨きをするように、生活の一部になってくる
ランニングが趣味になると仲間が欲しくなる
仲間が出来てくる
ランニング、特にマラソン大会目的の市民ランナーは非常に熱心だ
月間走行距離が200キロ、300キロを越えるのは当たり前の世界
強者になると、毎日ハーフマラソンの距離を走ったり
4週連続でフルマラソンを走ったり
100キロなどのウルトラマラソンに行く人もいる
そのような人たちに囲まれると、自分もそのようなトレーニングを自然と行うようになる
周りの(ランニングをしない)皆はトレーニング量に驚く
しかし、周りのランナーをみて感覚が麻痺している自分は、そのような意見は一切耳に入らない
上には上がいるのだ
自分はまだまだ
このくらいでは、全然だめだ
楽しかったランニングが徐々に義務になってくる
他の皆も気になる
あの人はこんなに速い
自分だって
もっと頑張る
頑張る
雨降ってるが、ランニング
疲れているが、ランニング
走りたくないが、ランニング
とうとう故障する
いや、痛かったのだ、すでに
なんか身体がおかしかったんだ、ずっと
無理してたのだ実は
知ってたんだ実は
故障すると練習出来なくなる
さらに焦る
痛みはなくなった
遅れを取り戻すのだ
練習再開
楽しい
また走れる喜び
仲間も喜んでくれる
仲間も故障してたようだ
少し、今も痛みもあるけど、次のマラソン大会のために頑張っているのだ
スポーツに故障は付き物ですね
お互いに慰め合う
また頑張る
そしてまた故障
結論を言うと、自分は競技志向のランニングを辞めた
終わりの見えないラットレースに思えた
たかが趣味にそこまでやる価値があるのか?
健康になるはずのスポーツで、不健康になるなんて本末転倒ではないか
大会は確かに楽しい
記録更新できると本当に嬉しい
だが記録が更新できないと悔しい
悔しいだけならいいが、他人と比べて落ち込む自分もいる
ランナーの中には、強靭な体力を持った人ももちろんいるだろう
だが、フルマラソンのような距離を、生涯でそんなに何度も走れる人がそんなにいるとも思えない
事実、多くの市民ランナーは痛みや故障を抱えながら走っている
大会に行くと足がテーピングまみれの人もよく見かける
記録を追うフルマラソン市民ランナーの膝は、足首は、腰は、内臓は大丈夫なのだろうか
このレベルになると健康が目的で走っている人はほとんどいないだろう
しかし、この趣味が健康の邪魔になっている可能性があることに気付いていない人がほとんどなのではないかと感じる
自分は高齢者になってもマイペースで走りたい
そう思って、競技は少なくとも当面辞めることにした
今はランニング自体にまだ義務感を感じるため、本当に心から走りたい時しか走りたくない
趣味は人生において重要なものだ
ランニングのお陰でそれに気づいた
ただ、趣味も度を越えると毒になるのだ
ランニング中毒者
ランニングが中毒と言うのは、他の中毒に比べると随分ポジティブに聞こえる
自分は、中毒は中毒だと思う
今は、休みの度に、走らなければ、という義務感がなくなってせいせいしている
このランニング燃え付き症候群期間が終わって、ピュアに走りたくなった時、自分の本当のランニング人生が始まると思っている