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仕事は白いキャンパスに絵を描くようなもの?

今日は、いつも素敵な気づきをくれる会社の先輩Kさんの家にお邪魔して、餃子をいただいてきました。
Kさんは50代の女性で、キャリアの半分をアメリカのコンサルティング会社で過ごし、その後は日本でも事業を立ち上げたりと、多方面で活躍されている方です。広い視野と独特な感性を持ち合わせており、彼女と話しているといつも新しい視点を得られます。

今回も、いくつかの新鮮な学びがありましたので、備忘録としてここに記しておきます。

Kさんはこれまで、日米で多岐にわたるキャリアを積んできた方ですが、驚くべきことに「嫌で会社を辞めたことが一度もない」と言います。彼女が会社を辞める理由は常に「やりたいことができたから」というポジティブな動機だそうです。

そんなKさんにとって、仕事とは「白いキャンパスに絵を描くようなもの」。この表現、少し抽象的ですよね。もう少し詳しく説明していきます。

Kさんにとって仕事とは、自分の世界観を表現しながら絵を描いていくような行為です。
それに対して報酬をもらって生活できるなんて、とても幸せなことだと感じているそうです。彼女は、自分がどんな絵を描いているかを問い続けることで、仕事全体を俯瞰し、楽しむことができると言います。

私が「その絵はどこに飾るんですか?」と尋ねたところ、Kさんは「会社でも自宅でもない」と答えました。
彼女の描いた絵は、パブリックな場所に飾りたいと言います。同じような絵を描いている人たちが集まって、自分の絵と他人の絵がつながり、結果としてムーブメントが生まれる。それが美術館となり、多くの人がその作品を観に訪れる。そうやってアートの世界が広がっていくのだと。

Kさんの言葉の中で特に印象的だったのは、「仕事は否定されるものではない」という考え方です。絵であれば、その表現に正解も不正解もない。仮に数式だったら、間違いがあれば指摘されることもあるでしょう。しかし、アートとしての仕事にはそのような評価は必要ないと。誰かが描いた塗り絵でも、配置を変えたり色味を加えることが、新しい流派を作るために重要なのだ、と。

現代社会では、生きるために働く人が多いです。しかし、自分が次世代に何を残すのかを意識して「絵を描く」ことで、ただの「must」ではなく「will」で仕事ができるのではないかと、Kさんの話を聞いて思いました。

Kさんは、自分のように「絵を描いているように仕事をしている人」は少数派だと感じているそうです。すべての人が絵を描く必要はないし、時には休んだり、誰かの塗り絵を楽しんでも良いのです。ただ、絵を描いていない人が他人の絵を評価したり判断するのは良くないと言います。絵は評価されるべきものではないからです。私もこの話を受けて、

  • 自分が次世代に何を残したいのか

  • 今、どんな絵を描いているのか

  • 自分の描く絵を通じて、誰にどんな価値を届かたいか

以上3点を問い続けていきたいと思いました!

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