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白露 鶺鴒鳴
9/16(日)
残暑はまだまだ厳しく、一方で日が暮れさえすればまだ歩けんものでもないなと感じる。
かといって、白露ができるほどの寒暖差を感じないような気もするが。
久しぶりに散歩する。
田んぼは干ばつだろうか、鳴いているように割れている。局所的に大雨は何度か降っていたが、やはり水不足なのかもしれない。
これではセキレイも、悲しみのあまりに鳴いてしまうんじゃないかと変な考えを巡らせる。
そう思うと、昔の人々はほんとに自然に詳しかったのだろう。当たり前といえば当たり前かもしれないが、鳥や草木を見るだけで「あれは〜〜だね」と言えたんだろうな〜とこれまた勝手に考える。
実際、私の母親は山育ちで、植物の写真を見せただけでなんでも答えてしまう。そういったところに羨ましさを覚え、かといって自分が覚える気にはならないことも知っている。
ただやはり、「鶺鴒鳴」で通じていた世の中があったのではないかと思うと、それほどまでに共通認識だったのだろう。そしてそれが、人々の生活だったんだろう。
今の私が、この時間に適当に名前をつけたとして、それは主観的な事象でしかない。
それほどまでに現在は色んなものや主観で溢れている。
とはいえ、しないのも面白くない。
なんだろな。ここ数日で思ったこと……
「結局、豚汁食っときゃ調子は戻る。」
ところで、とんじる?ぶたじる?
セキレイは可愛いよね。目で追っちゃうもん。
やっぱ、鶺鴒鳴で。