なぜ〈です・ます〉で論文を書いてはならないのか?
日本の人文学は、この問いに、いまだ、答えられない。とくに、哲学の分野では、欧米の哲学を輸入するばかりで、日本語による哲学が弱いのだ。
日本語の共同体は、自国語の哲学で、自立する意思がないのか。
〈である体〉と〈です・ます体〉のどちらで文章を書くことにするのか。
その選択が、書き手の言語意識を特有な世界観に従属させるのだ。
日本初の哲学書、西田幾多郎『善の研究』の刊行が、1911年です。日本語による哲学は、始まってから、まだ、100年程度しか経っていません。
以上、言語学的制約から自由になるために。