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あの日から19年

今日の日付を見て、はっと思い出す。
19年前の今日。中越地震が発生しました。
当時は土曜日で、学校から帰ってきたばかりの夕方でした。
うがいをしているときに、突然ドシンという音とともに、
大きな横揺れがありました。
後ろを振り返ると、食器棚から一斉に食器が飛び出し、
ガシャーンと凄まじい音が聞こえました。
その様子はまるで映画のワンシーンを見ているようでした。
私は映画の中の主人公なのか?と一瞬思いながらも、
これは目の前で起こっている現実。
信じたくない気持ちと、信じられない気持ち。
「これからどうなるんだろう」と恐怖と不安でいっぱいでした。

2週間の休校後、学校は再開。
交通機関は使えないので、寮生活が急遽始まりました。
地震があっただけでもかなりのインパクトでしたが、
自分の生活がガラリと変わることになったのです。
受験を控えている、それだけで大変な時期に、
今までのリズムや環境が大きく変わることは、とてもつらいことでした。

もちろんこの急激な変化は私だけではなかったので、
「みんなちゃんとやっているから、私も頑張らなきゃ」
「みんなだって大変なんだから」
そう自分に言い聞かせていました。

でも、本当は勉強どころではなかった。
机には必死に向かうものの、こころはぽっかり穴が空いている状態でした。
悲しみ、怒り、不満。言葉にできない思いもたくさんありました。
「勉強する気力が起きない」
「頑張れない、できない」
「なんで寮に入らないといけないの」
その感情を直視することも、人に話すこともできませんでした。

当時も、それからしばらく経った後も、地震があったときのことを
自分から話すことはありませんでした。
「電気が止まって大変だったよね」
「余震も怖かったよね」
表面的な話はできても、自分がどう感じていたかを話す勇気は出ませんでした。
人に自分の苦労話を聞かせて、どう思われるかな?という思いもありましたし、
きっと話したら、あのとき抑えていた気持ちがあふれて、
とまらなくなるのではないかという思いもありました。


「大変だけど、頑張ってね」
「他の受験生は変わらず勉強しているんだよ」と言われ、

「もう頑張っているのに、これ以上どう頑張れって言うの?」

こころの中ではいつも思っていたけれど、そう言えなかった
あのときの私に伝える言葉があるとしたら。


「つらかったよね、怖かったよね」
「しんどかったね」
「よくがんばったよ」


励ましでもなんでもなく、
感情にそっと寄り添う、やさしい言葉。
そんな言葉を求めていたのだと今、思っています。

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