テレパシーなんてなくても
第26回電撃大賞金賞として『豚のレバーは加熱しろ』が出版された当時、正直なところ、ぼくはこの作品にあまり興味を持っていませんでした。「なんで豚?」とちょっと思ったくらいで、まぁ一発ネタだろうと内心侮りながら手を出す気になっておらず、そこから2年ほど、このシリーズを思い出すことはなかった記憶があります。
ぼくがこのシリーズを意識したのは、『豚のレバーは加熱しろ(6回目)』が刊行されたときでした。あらすじを見てみると、ヒロインが異世界で起きた殺人事件を捜査するとあり、しかもツイッターやらで読んだ人の感想を見ていると、なかなかミステリとしてもちゃんとしとるという意見が散見されたのです。そこからこのシリーズがぼくの脳内にある「いずれ読みたい」リストに入りました。ぼかぁミステリをよく読むからね。
これは当時のぼくのツイート。作者がいいねを押しているよ。こわいね。
ちゅうことで、まぁ他に読みたい本もたくさんあるし新刊も次々出とるし、一気に読めるタイミングで読もうと思ったのが2年前のこと。結局読み始めたのは本編が完結し、後日談が出るぞってタイミングのいまな訳です。いくらなんでも腰が重すぎるだろ。んで、肝心のシリーズ(後日談を除く、事実上の最終巻である8巻まで)通しての感想なんですが、マジで素晴らしかった。泣いた。
とはいえこれだけでは記録として心もとない。なので、自分用にもう少し詳細な感想を付けようと思いました。それがこの文章です。
以後、1巻までの話、4巻までの話、8巻までの話にわけて、豚レバを読んだ思い出を語ります。パートごとに、各巻の真相に触れる場合がありますので、続きを読む際は留意してください。
1巻までの話 ~都合のいいふたり~
まずは前提条件の共有からです。おれは8巻の話がしたいのですが、それには“豚レバ”(このシリーズの略称です)の物語の道程をある程度理解しておく必要があります。
物語の主役はふたり。生の豚レバーで食中りを起こしたことで異世界転生して豚になった冴えないオタクを自認する19才の男(大学生)と、いわゆるテレパシーの能力を持った“イェスマ”なる特殊な存在であるという16才の女・ジェスです。
まずは豚の視点で話を見てみましょう。童貞でオタクである豚にとって、ジェスは自分をキモいなんて思わないし、調子に乗ってすこしえっちな注文をしても優しくしてくれる、とってもかわいい女の子です。しかも、自らを省みず自分に献身的に尽くして、助けてくれました。なんて豚にとって都合のいい女の子なんでしょう。そんな娘が、よくわからん風習によって死が約束されたような旅にたったひとりで出ようとしています。そりゃあジェスのことを助けたくもなるでしょう。
一方、ジェスのほうはどうでしょう。終盤の種明かしでわかるように、イェスマは魔法の首輪で自我を抑制されています。いくらひとり死地に赴くことになろうが仕方ない。イェスマとは“そういうもの”である、周りの人にとってそれは常識で、もちろんジェス自身も異論を持たない──持てないのです。とは言えひとり旅は心細く、誰か自分を助けてくれる人を待ち望んでいました。そこに現れたのが、豚でした。ちょっと困ったところもあるものの(豚の下心満載のモノローグをジェスが受け入れていたのには、首輪による抑制とイェスマとしての自認が少なからず影響していると思っています)、豚は自分に寄り添い、親身になって行動してくれるたったひとりの人(豚)でした。
つまるところ、ジェスは豚にとって都合のいいヒロインで、豚はジェスにとって都合のいいヒーローでした。そして、ヒーローはヒロインを助け、ヒロインの幸せのために元の世界に戻り、ヒロインはイェスマの軛から逃れて幸せに暮らす……これは、そんな物語のはずでした。しかし物語は続きます。
4巻までの話 ~都合がよくないふたり~
ふたたび異世界・メステリアに舞い戻った豚は、メステリアを混沌に陥れようとするわるい魔法使いを打倒するため、救国の英雄・ノットたち反乱軍とシュラヴィスを初めとする王都の魔法使いたちと協力し、なんやかんやありつつも、わるい魔法使いを封じ込めることに成功しました。このなんやかんやのなかには2~3巻までの登場人物の葛藤やら紆余曲折やらがあったりしたのですが、あまり手を伸ばしすぎると際限がないので、言及はほどほどにします。本編を読め。そして、一段落ついたところで、豚は自殺し、元の世界に戻ろうとします。
オイ。
ちなみに豚がそんな悲壮な決意をした際のモノローグの一部がこちら。
自分はジェスを“俺のすべて”だと考えているのに、ジェスはそんな豚のモノローグを読んでいるのに、実際にジェスを幸せにするために命すら賭けているのに、なぜかジェスはそうではないと臆断してしまう。あらゆる問題を知恵で解決してきた豚が、自分に対して向けられる感情の軽重を過つ姿は、読者からしても悲惨で、見ていられない。なんで自分の価値だけを不当に低く見積もるんだい。君の姿をもっとも間近で見てきた人の気持ちを信じられないんだい。
ともあれ、これでふたりの縁は断たれて、物語は終わる……はずでした。
しかし、そうは問屋が下ろしません。ふたりの旅路は続きます。ですがなにやら様子がおかしい。この続きってやつは、あまりにも前後の繋がりを欠いています。この物語は理由のないことをしませんから、脈略もなく始まった願い星への旅にももちろん理由があります。
ジェスはなにやらかくしごとをしていて、豚はといえば記憶が曖昧。とはいえふたりは好き好きイチャイチャしていて、幸せならOKです!と言いたくなる。それで済むならいいけどね。
話が多少反れますが、この巻の連作ミステリとしての完成度はかなりのもの。章ごとにある日常の謎めいたミステリが解決を迎えるごとに、物語の縦軸である豚とジェスの関係のが映し絵のように浮かび上がってくる。縦横のバランスが非常によいです。
で、で、で、旅の終わりがやってきます。真実──本編中の言葉を借りるならば“怪物”──は、豚はすでに死んでおり、ジェスが禁忌とされる反魂術によって豚の魂をメステリアに繋ぎ止めている、というものでした。
そして豚はジェスの涙ながらの告白を聞くことになります。ジェスの目に映っていた自分を知り、本心を尋ねられた豚は、自己否定の理屈の底に押し込められた本心をジェスに語ります。そして約束をします。一度は叶えられなかった約束を、改めて。
この時点で、豚とジェスは、お互いにとって都合のいい存在ではなくなっている、とぼくは思います。お互いにお互いのことを大事に思いながら行動を起こし、思いすぎるがあまりに失敗したり傷ついたりする。空回りして遠回りして、なんだか思い通りにいかないことばかりで。……ここにいるのは都合のいいヒーローとヒロインではなくて、頭が回る癖して自分に自信が持てない不器用な男と、好きな人が遠くに行ってしまうのを懸命に押し留めようとする女でしかありません。だからこそふたりの行く先に目が離せないのです。そうなってしまいました。ぼくが一段と“豚レバ”にのめり込んだのは、この4巻を読んだときでした。
8巻までの話 ~そしてふたりは~
その後、メステリアではいろいろありました。この“いろいろ”を書くのはサボります。メステリアの変革に纏わる話を語るのは別の人がやってくれるでしょう。というか本編に書いてあります。読め。特に冒頭で触れた6巻とかミステリの手つきが“わかってる”人の書きかただからよ。ミステリとしての優れた着眼は、解く理由のないクイズを出す人間はいないってこと。おれから言えるのはそれだけ。
まぁともかく、5~6巻までで押さえておくべき勘所は、①解放軍と王朝の決裂は決定的 ②とにかく世界がヤバいので元に戻す方法を見つけないといけない あたり。7巻ではこれらの問題についての進展があります。あっちゃうんですよね。
ここまで読んできた人にはお馴染みの、世界を戻す鍵を握る人物であるセレスを連れて、豚とジェスはふたたび旅に出ます。ぼくはこの旅の様子がかなり印象に残っていて、なんつーか、豚とジェスの距離感が、この巻からまた微妙に変わったように思うんですよね。お互いにより素に近いというか、繕いがないというか。豚は相変わらずブヒブヒしてるし、ジェスはそれをしらーっと見てたりなんだかんだしてるんですが、底に信頼があるように感じるんですよ。
そして、この旅路の果てに、ふたりはひとつの真実を知ります。世界を元に戻すためには、豚が肉体を失うしかない、という事実を。
さぁ、さぁ、さぁ、ここが正念場です。物語ってやつはどうしてこうも二者択一を問いたがるのか。何はともあれ、どちらかを選ぶときがきました。世界か、たいせつな人とのつながりか。数多の物語において幾度となく焼き直しされ語り直されてきたこの選択を特別なものとしているのは、やはり選択する者たちへの思い入れでしょう。他の誰でもない、豚とジェスが選択するからこそ、ゆく先に目が離せないのです。物語には身を切るほどの切実さしかいらないのだと錯覚させる力を、この物語もまた有しています。しかしここで終わりってニクいですね。物語は8巻へと続きます。次が、ほんとうの終わりです。
“怪物”はまだその全貌を明らかにしていませんでした。最悪だと思ったところからさらに最悪になるのが物語ってやつです。世界か、たいせつな人か。この二択は、物語の進行とともに、より鮮明になっていきます。夢(もといた世界)での話し合いで、豚は再確認します。自分のきもち。ジェスのきもち。するべき選択について。
泣かすなよ。
そして、ジェスとの話し合いが始まります。豚にはもうわかっています。ジェスは選択を受け入れない。豚を諦めてはくれない。前の2回で学んでいます。いえ、そうだと知っているのです。それが今回との差異です。豚はあまりに、ジェスのことを知りすぎてしまいました。
豚は最後の作戦をシュラヴィスに伝えます。その作戦がうまくいけば、豚とジェスはお別れです。だから、その際にシュラヴィスは聞きます。
豚は“少し、話してみようと思”い、口を開きました。おれは泣きながら読みました。
豚はジェスと違って心の内を読むことはできません。できることといえば、ジェスの内心を推し量ること。このとき彼の発した言葉は、彼がジェスと共にいた時間そのものです。何気ない会話の積み重ねです。喜怒哀楽を見続けた日々の思い出です。何度彼女が失敗したか。なんど傷ついたか。彼女がどれだけ優しいか。賢いか。自罰的か。献身的か。その証言です。──そして、豚がどれだけジェスのことを知りたいと思い、どれだけジェスを愛しているかの証拠です。こんなのはずるいです。不意打ちにも程がある。
そして、物語が終わります。
……ですが、ほんとうに物語は終わったのでしょうか。この物語の終わる終わる詐欺には凄まじいものがあります。未練タラタラですよずっと。だって見てくださいよこのラスト一行。首輪をなくしてから、ジェスが諦めのいい人だった瞬間が、たった一度でもあったでしょうか。
これがぼくの、8巻までの“豚レバ”シリーズの感想になります。素敵な物語を読ませてくれて、ありがとうございました。