脳みそお散歩
3月になりまして、気付けばフリーランスも10年目に突入しました。
時の流れは早いものです。
先日ぴよたそというサイトをプチ工事させていただいたのですが、このぴよたそは自分が当時勤めていた会社を辞めて地元秋田に戻り、仕事らしい仕事なんてまだ何にもしていない名ばかりの個人事業主(ほぼニート)になってまもなくの頃に作ったものでした。
元々(というか今もですが…)このぴよたそは本業とは全く関係なく、当時Twitterで知り合ったシブタクさんとノリではじめたおふざけサイトでした。それがたまたま続いて、たまたま思ってたよりも多くの方に楽しんでもらえるようになった。
いい年した大人二人がただふざけて初めたひよこまみれのサイトです。
もちろん今でこそ利益は0ではありませんがせいぜい小遣い程度。一つの事業としてみれば赤字もいいとこですが、まぁそんなことはどうでもいいんです。楽しいので。
実際このコの存在で生まれたご縁なんかも少なくないですし、ぼく自身年を重ねるごとに愛情が深まっているのを感じています。もはや我が子。ぴよたそはいいぞ。
これからも大切にしていきたいです。
話は変わりまして。最近ふと
何もしない日をつくるのって大事だな
とそんなことを改めて思いました。何を急にという感じですが。
フリーランスに限らずある程度の規模までの会社ならそうだと思うのですが基本的に日々何をするか、どこに時間を使うかというのは自由です。
一日、一週間、一ヶ月、一年二年三年……更にはその先まで。
何をしないも、何をするのかも。全ては自分次第です。
自分自身会社員を経験しているので、特に当時は「そんなの最高では?」と思っていたのですが、やってみるとこれが意外と難しいんですよね。
難しいというか「やっかいだな」と。そう感じます。
今の世の中、働き方は様々です。
中には自分自身の手足頭を使うことなく仕事が成り立つという方もいらっしゃると思いますが多くの場合自分が動いた分だけお金が手に入り、そして知識経験が備わっていきますよね。ぼくも例外ではありません。
何をするもしないも自由、とは言いましたがフリーランスというのは基本的に自分の稼いだお金がそのまま自分の手元に入ってきますので、当たり前ですが「何もしない」は続けられません。しんじゃうもの。
そうなると当然
働けば働くほど、稼ぎは多くなり
勉強すれば勉強するほど、知識経験が備わっていく
より稼ぎ、より優秀になり、社会の役に立ち
その繰り返しの先に、人として、組織としての成長があり
あぁ…豊かで幸せな日々が待っているぜ〜〜がんばろ〜〜〜〜
…というのは極端だとしても、近しいことは考えがちです。
しかし残念ながらこういう考えによって知らず知らずのうちに自分で自分の首を絞めてしまっている人は意外と多いのではないかなーと感じています。
昔話を少しします。
フリーランスになった直後、ぼくは仕事も0、稼ぎも0でした。
普通に考えると真っ先にやるべきは地元で営業するなり、SNSを使って仕事を募集するなり。とにかく一刻も早く稼ぎになる仕事を見つけるべきだったのかなと思います。
でもぼくは最初の一年は何もしないと決めていました。
理由はいくつかありますが「会社員生活で凝り固まった自分の脳ミソを一度リセットしたかった」というのが一番大きかったです。
当時会社員だったぼくは、仕事のあれこれが身についていく一方で、どこか生(せい)の実感が薄まり、自分の中の遊び心のようなものが日に日に失われている感覚に危機感を覚えるようになっていました。
そんなある日
ぼくは電車で気を失いかけ駅のホームに倒れ込みました。
明らかな過労でした。
大きな不調はその日だけで大事には至らなかったのですが、結果それが大きなきっかけとなり、ぼくは数ヶ月後会社を辞めました。
仕事を失ったことの戸惑い、これからへの不安。
もちろんそういう感情もありましたが、何より「ここまでなってしまうまでに疑問を抱かなかった今の自分の異常さ」をこれ以上このままにしていたら自分はダメになってしまう。そう思いました。
今の環境から一刻も早く逃げる。それがそのときのぼくにとっては最重要事項でした。
当時のぼくがすべきは「どうすべきか?」を考えるではなく
とにかく休め、何もするな。これに尽きました。
話を戻しまして。
そういう分かりやすい疲れとはまた少し毛色が違うのですが「常にやるべきことに追われている」「気の進まないことに頭のメモリを奪われ続けている」という状況はやっぱりあまり良い状況を生まない気がするなというのが、冒頭の話の趣旨だったりします。
忙しいとき、煮詰まっているときこそ「ちょっと散歩」して外の風に当たることで意外と物事が進むようになったりするのと同様に、あれもやらなきゃ!これもやらなきゃ!と焦ってしまっているときこそ何もしない時間が重要だったりするのかなと、そういう話です。
n=1ですが、もし僕がフリーランスになった当時
「プログラミングの勉強しなきゃ!」
「仕事取らなきゃ!!」
「あぁ…SNSもやらないと…!!!」
なんてことを真っ先に考えていたら
もちろん今より充実しお金を稼いでいた可能性もあります。
でも、間違いなく今の自分はありません。↓実際はこうで
「しばらくなんもしなくていいや〜〜」
「まぁなんかするなら変なことしたいな〜〜」
「お!なんかおもろい絵かくひよこおるな!声かけたろwww」
そんなふざけたノリの中で生まれたものの一つが「使いどころに困るてきとー過ぎるイラストを配布するという謎コンセプト」のぴよたそでした。
「何もしない日をつくるの大事」というのは、何から何までやらないとかそういうことではなく「これやらなきゃ!」「あれもやらなきゃ!」と焦りを抱えている状態は、知らず知らずのうちに視野を狭め、必要以上に自分を苦しめてしまうことに繋がりやすい気がするよ。だから全然関係なさそうなことする時間も勇気を持って取った方が案外良い方向に進むもんだと思うよ。的な意味です。
現実のお散歩で気分をリフレッシュできるように、一見何の役にも立たなそうなことにしっかり没頭して時間割くことは、考え方のコリや視野の偏りを取る「脳みそのお散歩」になるのかなと、そんなことを思います。
何より「やらなきゃ!やらなきゃ!」って思ってやることってやること自体が目的になってしまいがちなんですよね。
そうなると得られる情報の解像度も熱量も落ちてしまうので、同じことを苦なくワクワクしながら取り組めてしまう人とは、得られるものも、そこから生まれるものにも大きな差が生まれてしまうんじゃないかなーと自分は考えています。
ただ勘違いしてほしくないのは、どちらの過ごし方の方が優れているとかそういう話では決してないということです。
よくある「フリーランスと会社員、どちらが良い?」的な話と同じように
そんなの自分に合ってる方を選べば良い、ただそれだけです。
そこに優劣なんてありません。
僕自身に関しても、心身を削りながら今よりバリバリ稼いでる世界線もあったと思います。が、ぼくは今のぴよたそ作れた世界線に満足しているし、そのための選択・時間の使い方をしてきてよかったなと思っています。
仕事だろうとなんだろうと、全ての時間は自分の人生の一部なので。
ともあれ、やってるそのときは無駄かなーと思うことも年月が流れ振り返ってみると案外無駄になってなかったりするものです。というか無駄にする方がむずかしい。
なのであくまでぼくはですが、どんなことであっても自分の中から生まれてくる興味・熱量は大事にしたいなと思ってるし、あとはまあそういう余裕が自分の中で作れるような環境づくりがやっぱり大事かなと。そんな風に思っています。
…で、結局何の話だっけ、これ?ま、いいか。
じゃ長くなったしこのへんで。
以上、週末スプラトゥーンを20時間遊んだQtaroでした。
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