限界生活と、ちょっと丁寧なミルクティー作りの話
4:41 AM。
ようやく仕事がおわり、Macのディプレイを静かにたたむ。
外は心地の良い雨模様で、特有の匂いと音が、軽やかな朝の新鮮な空気と一緒に、心を包み込んでくれる。
世界が消えてしまって、世界だけが自分の味方みたいな、脳がチーズみたいに溶け出したような感覚と、疲れとに押しつぶされそうになりながら、水を飲んでシャワーを浴びに行く。
お風呂に入っているときにいいアイデアが浮かぶというのは、経験的にも、研究的にも裏付けが色々あるらしい。でも私は、あぐねいた思いを逐次処理することに追われ、何かと、じっくり真剣に向きあうことをどこか遠くに忘れてきてしまった。いっそのこと、こんな日々、檸檬爆弾で爆破してしまおうか。どんなに気持ちがいいことだろう。
出てきて真っ先に、私はブラインドの隙間から漏れる、太陽の恵みに目を奪われた。
私は諸々の所以で、あまり自分の感情を大切にしてあげることができない。私に残された自由は、何かを「美しい」と感じることだった。
このブラインドは、開けてはならないことになっている。それゆえ、大学生になってから、人生で始めてブラインドというものを開けたのは、なかなか珍しいと思う。
写真とは、とてもstatelessなものだ。素晴らしい写真は奥行きを残すが、瞬間には限界がある。私は、その見慣れた生活空間と、見覚えのない光や音に、美しさを感じていた。
5:48 AM。
こんな朝の生活の写真を撮ったら、わたしはそのミルクティーを思い出した。
もう9:00には起きなきゃいけないのだが、生活に呑まれてはいけない。きちんと丁寧に暮らすのだ。端的に言うと、ミルクティーを作ることにした。どうしてか、そうしないと、大切なものを忘れてしまう気がしたのだ。
まずはミルクパンに、水を少しだけ入れて、沸騰するのを待つ。
この作り方を教えてくれた友だちが言っていた。
「受験とか、ソフトウェア産業とか、結果こそが大事なものってある。時々、その過程は、まるでなかったかのように扱われてしまうこともある。それは悪いことではないんだけども。たまには、過程を無意味に価値あるものにすることも、生活には大切なんじゃないかな。」
沸騰したら、火を止めて、茶葉を入れる。深い香りを楽しみたいときは、ちょっと多めでも。
私は、今日はEastern Shore TeaのStarry Night Teaという、友達のアメリカ土産でもらった茶葉を使う。すごく独特で、どことなくナッツを思わせる香りと、メープルシロップのような強い香りがある。それと少量のICE WINE TEA、ベースにLady Greyを使った。
大事なのが、茶葉を入れたらすぐに蓋をすること。紅茶は蒸らしが基本である。蒸らすことで、高い香りを楽しむことができる…らしい。
そして3~4分ほど蒸らす。茶葉によって、分量によって本当は時間を変えるべきなのだが、私はそこまで紅茶をよく知らない。
余談だが、Lady GreyとはTwining社の商標だ。
この入れ方と、紅茶を直接ミルクで煮出すのと、どう違うのかと思ったが、実はその “結果” にはあまり違いはないかもしれない。
大事なのは、この記事にたどり着いたあなたのように、ミルクティーを丁寧に入れたいと思う、その気持ちなのだ。
丁寧な生活とは、過程をも楽しむことだと、私は思う。結果ではなく、その過程を共有し、無駄に時間や手間を掛けることがあっていい。その余裕を感じられるうちが、心が壊れないくらいの、丁度いい生活の仕方なのかもしれない。
蒸らし終わったら、いよいよミルクを注ぐ。このとき、蓋を開けるときには、ぜひとも飲む人みんなで集まってその場にいてほしい。フォワっと広がるその香りに、みんなで包まれよう。幸せになるから。
ミルクを適量注いだら、少量の砂糖を加え、なるべく香りを残すために素早く鍋の蓋をしめる。そうしたら強火で、ミルクが沸騰する直前まで温める。沸騰させないように、鍋の声をききながら、待つ。火を止めて、一周クルッとかき混ぜたら、茶こしなどで濾しながらカップにゆっくり注いでいく。
少しずつ、冷ましながらゆったり飲んでいくのがおすすめだそう。
そうして飲んだミルクティーは、たしかに、生活に響くような香りと、心を包んでくれる甘さがあった。
この朝の贅沢な時間と、疲れや、多少の自暴自棄、理想や憧れと、ミルクティーのnobleな香り。
それが、F#のなんとも微妙な不安感と安堵の混じり合ったコードで始まる、この曲にぴったりなので、ぜひ。odolの生活という曲です。
おわり
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