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構築主義的視点で読む『#100日チャレンジ』
大塚あみさんの『#100日チャレンジ 毎日連続100本アプリを作ったら人生が変わった』(日経BP)は、生成AI・ChatGPTを活用し、100日間毎日アプリを制作・公開した記録をまとめた一冊だ。発売前から話題を呼び、プログラミング初心者が生成AIと共に学ぶ新しいスタイルを提示している点が注目されている。
本書を読みながら、私は創造的学習(Creative Learning)や構築主義(Constructionism)といった教育理論と重ねて考える機会を得た。私は長年、子どもたちのプログラミング学習を支援し、手を動かして学ぶ環境を提供してきた。その経験から、本書が示す学習のプロセスには多くの示唆が含まれていると感じた。
参考文献紹介
創造的学習および構築主義について語る際に参照する参考文献を紹介する。いずれもコンピュータを使った、個人的体験に基づく学習環境を作り出し実践された上で語られたものである。
ライフロング・キンダーガーテン 創造的思考力を育む4つの原則
まず、創造的学習についてその理論の提唱者でもあるミッチェル・レズニック教授による文献を挙げる。教育の場面で広く知られるようになったScratchの思想的背景を隈なく表した著作となっている。Scratchに限らず様々な学習の場面と重ねることができる程、考え方としては一般化されている。ここに出版社の書籍紹介を引用し概要を紹介する。(以降、ライフロング・キンダーガーテンと記す)
子どもたちを真のデジタルネイティブである「クリエイティブ・シンカー」(創造的思考力・発想力を身に付けた人)に育てるにはどうしたらよいのか--。
そのために、大人たちはどのように振る舞えばよいのか--。
プログラミング言語「Scratch(スクラッチ)」の開発者が世に問う、人生100年時代の新しい教育論。
マインドストーム 子供、コンピューター、そして強力なアイデア
2冊目は、構築主義を唱えLOGO環境を用い実践したシーモア・パパートの文献を挙げる。子どもたちとコンピュータの関わりから知識の獲得の新しい形を模索し、その考えをAI(人工知能)や社会のあり方にまで広げ論じている。実際に参照したのは日本語訳された2021年版の新装版であるが初版は1980年(原著)に遡り、日本語版も1982年に初版となっている。(以降、マインドストームと記す)
MIT人工知能研究室でロゴプロジェクトを率いる著者が、ロゴの教育理念とコンピュータによる子供の創造性開発の可能性を語る。2021年書物復権復刊書。
なお前出の著者ミッチェル・レズニックはシーモア・パパート下で研究し、構築主義の考えの上にクリエイティブ・ラーニングを立ち上げたと言える。
いずれの文献もその理論を提唱した第一人者の著書であり、今回は核心的な価値を共有するのにこの2冊にとどめるが、この他にも創造的学習(クリエイティブラーニング)や構築主義を語る様々な研究者・実践者による数多くの文献があることをお断りしておく。
1:コンピュータを使った遊びであり学びである
この「#100日チャレンジは」著者であるプログラミング初心者の大学生が、SNS等で見かける"#いいねの数だけ勉強する" という方法を見つけ半ば遊びとして始めたものである。
「100日間、毎日『何か』を作り続けるってどうだろう?」
単なる勉強じゃない。実際にコードを書いて、アプリを作る。それをXで公開し、進捗を報告する。結構面白そう。
<中略>
「暇だし、やってみようか・・・・・・」
私は自分に言い聞かせるように、そう心の中で呟いた。
(日経BP・2025)
今思いついた100日チャレンジは、退屈な日常にちょっとしたスパイスを加えてくれるかもしれない。
多くの大人たちは、社会人になったら時間がなくなり、やりたいことができなくなると言う。今の私には時間だけはたっぷりある。
(日経BP・2025)
創造的学習も構築主義も「遊び」を非常に重視している。
創造的学習ではその活動の4つの基本原則を「4Ps」と捉え、その一つとして「Play(遊び)」を挙げている。また、クリエイティブ・ラーニング・スパイラル(創造的な学びのスパイラル)という観点で創造的プロセスを分解する際にも「Play(遊び)」というステップが含まれている。
レズニックの「ライフロング・キンダーガーテン」の遊びという章ではアンネの日記の主人公アンネ・フランクを挙げて以下のように記されている。
窮屈な空間に住み、悲しみや欠乏に悩まされながらも、アンネは常に実験を行い、リスクを取り、新しいことを試し、限界を見極め続けていました。私の考えでは、それらは遊びの必須要素です。遊びには広い場所や高価な玩具は必要ありません。好奇心、想像力、そして実験の組み合わせが必要なのです。
(日経BP・2018)
また、構築主義においても、パパートの「マインドストーム」では自身の開発したLOGOによる学習環境を次のように表している。
ロゴの研究においては、この種の機械で、しかも物理学や数学、言語学などから来た強力な概念が、子供が話し方を覚えるように自然に遊びを通して身につくよう埋め込まれている。そんな機械を開発した。
(未来社 2021)
人が学ぼうとするとき、多くの場合は学校の授業や入学・資格試験など、外的な要因で必要に迫られ学ぶことになるのだが、レズニックやパパートは内発的でそれは遊びとして動機づけられると考えていることが分かる。
その点において、「#100日チャレンジ」での取り組みは「遊び」をきっかけに開始され、「好奇心、想像力、そして実験」を繰り返し、「遊びを通して」プログラミングはもちろん「物理学や数学、言語学など」の概念を習得しているという符合は非常に示唆的である。
2:ティンカリング的取り組みである
本書のもう一つの特徴は、未知のツールであるChatGPTを試しながら学ぶ「ティンカリング(Tinkering)」の要素が強いことだ。ティンカリングとは、対象を試行錯誤しながら理解を深める学習の方法で、プログラミングや論文執筆についてもChatGPTと対話しながら試行錯誤を繰り返している。
「これはすごい。ChatGPTに作らせたのか?」 「はい。作るように指示して、いろいろと触っていたらできました」
(日経BP・2025)
私は既に1,500時間くらいChatGPTを使っているので、その説明自体にはあまり驚かなかったものの、内部の仕組みを聞くのは新鮮だった。
(日経BP・2025)
ティンカリングとは、元々は日本では鋳掛屋とも呼ばれる、鍋などの金物修理をする行商人を指す言葉と言われているが、そのような有り合わせでやっつけ仕事的な修理作業の様子を、いじくり回しながら物事を理解していく姿に重ね使われている。
レズニックの「ライフロング・キンダーガーテン」では、ティンカリングを以下のように表している。
ティンカリングは新しい考え方ではありません。最も初期の人類が道具を作って使い始めたときからずっと、ティンカリングは物を作るための貴重なアプローチでした。しかし、急速に変化する現在の世界では、ティンカリングはこれまで以上に重要です。ティンカラーたちは、即興し、適応し、繰り返す方法を知っているので、新しい状況が出現したときにそれまでの計画にこだわったりはしません。ティンカリングが創造性を生み出すのです。
ティンカリングは遊びとものづくりが交差する場所にあります。
(日経BP・2018)
そして、レズニックも参照しているパパートの「マインドストーム」では、LOGOの実践によって試行錯誤をするデバグという学び方を観察によって見つけ、またパパート自身の考えの礎になったジャン・ピアジェの認識論を振り返りながら、“理論構成が「つぎはぎ細工」からできている”、“この過程は、しろうとの繕い仕事(ティンカリング)を思わせる”という表現を用いて説明している。
この過程は、しろうとの繕い仕事を思わせる。<中略>例えば、経験主義的に問題にあたる時、かつて似たような問題に効果があったと知る限りの方法を片端から試してみる。だが、ここで私の言いたいのは、ありあわせの方法を動員して仕事するというこのやり方がより深い無意識的な学習過程においてさえも速記術のような役割を果たしているということだ。
(未来社 2021)
「急速に変化する現在の世界では、ティンカリングはこれまで以上に重要」というレズニックの言葉を受けたかのように、「急速に変化する世界」の生み出した「なんだかよく分からないAI」ChatGPTを、手探りで「しろうとの繕い仕事」のように片端から試してみる中で無意識的に深く学習していく過程が「#100日チャレンジ」には記されている。
3:個人的に・社会的に意味深い活動である
本書では、学習が「個人的に意味があり、社会的にも影響を持つ」点が強調されている。
「#100日チャレンジ」の取り組みは、まず著者本人にとって非常に意味深い活動となっている。動機は授業をサボって楽に単位を取りたいという、一般的には褒められ難いものだが、深夜のゲームの時間の確保という重要な課題をクリアしていることは意味深い。また、プログラミングの学習のテーマとして主にゲームを作り続けたことも自身の関心に沿った意味深い選択となっている。特にそれを通じて本人が気づいたこの言葉は鮮烈だった。
当たり前のことだけど、作品作りの主体は私なのだ。
(日経BP・2025)
次に、社会的に意味深い点を示したい。ここでいう社会的というのは(本書は非常に社会的インパクトを与えているが)世の中のために役立つであるとか、社会問題をテーマにしているということではないことをお断りしておきたい。このチャレンジが先述の通り個人的意味深い活動であると同時に、社会的側面でも広がりを持っている部分に注目する。一つ目は、授業中に先生の目に留まってしまい、怒られるどころかまた見せてほしいとやりとりがあり、ついには上司である教授へと紹介されるといった繋がりを生んでいることが挙げられる。二つ目としては、SNSへの投稿を通じ継続したチャレンジとしたことも社会的意味深い側面と言える。当然そこでも多くの繋がりを得てインタビューや出版のきっかけを得ていることも興味深い。三つ目は深夜ゲームの遊び仲間ともこのチャレンジの話題を共有できていることも見逃せないポイントだ。これらの社会的なつながりが「#100日チャレンジ」の活動による学びを深め、幅も広げたと考えられる。
こうした個人的に・社会的に意味深い活動について、レズニックは自身の著書の中で次のように表している。
私たちはすべての子供たちが、個人的な関心と情熱に基づいてプロジェクトに取り組むことを望んでいます。
(日経BP・2018)
創造とは社会的なプロセスです、人びとと協力し、共有し、お互いの作品を基にさらに創造を重ねます。プログラミングをオンラインコミュニティと一体化することで、スクラッチはソーシャルインタラクション(社会的相互作用)を行うためにデザインされています。
(日経BP・2018)
同じくパパートもLOGO言語で行うタートル幾何学という活動では、コンピューターを用いることで個人的に有意義で知的な一貫性のある活動を通じ学ぶというデザインをしている。
タートル幾何学では、コンピューターは全く違った用途を持っている。そこでは、数学的な表現の媒体として、個人的に有意義で知的な一貫性があり学び易い、子供のための数学の課題を設計できるように我々を解放するものとして、コンピューターが使われている。
(未来社 2021)
また、そうした検討は学びが社会的に結合し、初心者も熟練家も共に学べるような状況としてブラジルのサンバスクールを参照し説明されている。
本書では、どのようにしたらブラシルのサンバスクールのような現実性のある、社会的に結合した,初心者も熟練家も共に学べるような状況の中で数学を学ぶことができるかを検討してきた。サンバスクールは、異質な文化の中にそのまま持ち込むことはできないながらも、学習環境にあるべき、そしてあり得る,一連の属性を示してくれる。
(未来社 2021)
新しい学びについて論じるレズニックとパパートの両者は、このように個人的に・社会的に意味深い学びを作り出そうと、膠着し形式的に続けられている現在の(旧式の)一斉授業が中心の学校制度を批判的に捉えているのだが、儀式的に単位を取るための(旧式の)授業をエスケープして遊びに昇華させた著者の取り組みがまさに新しい学びを体現していることに驚いた
まとめ
本書に触れたとき、一気にこれまでの創造的学習や構築主義が語る言葉を振り返るような感覚に陥った。その感覚に基づき、「#100日チャレンジ」「ライフロング・キンダーガーテン」「マインドストーム」を並べ、「コンピュータを使った遊びであり学びである」「ティンカリング的取り組みである」「個人的に・社会的に意味深い活動である」という三つの観点から考察してみた。
各書から引用の形でまとめる試みは、それぞれの読者には理解されると考えているが、未読の場合、引用の範囲でその意図を十分に伝えられたか不安に思う。反面「#100日チャレンジ」のほぼ全てのページ、各行から創造的学習や構築主義という見方でのコメントが付けられそうなほど、引用すればほぼ一冊になってしまいそうであり、一旦ここまでとしたい。
あとがき
これをまとめる中、「#100日チャレンジ」に出てくる伊藤 篤教授の『#100日チャレンジ』教官が語る「生成AIに育てられた第1世代」の育て方という記事が公開された。こちらを読んで創造的学習や構築主義といった言葉は一切使われていないにもかかわらず、創造的学習を作り出すための先生像のようなものを感じ非常に共感を持った。この記事でも触れられている先生の一言は本書を読んでいて印象に残ったものの1、2位を争う。
「私がサポートできるのは、何かをやり始めた人に対してだけだ。何も考えない人には適切な手助けができない」
(日経BP・2025)
最後になったが、「#100日チャレンジ」の編集者であり、エピローグで「締め切りは……100日後で」というウィットに富んだ台詞を残された田島篤さんには、(個人的には自著の出版の際にはお世話になり)、本考察で参照した「ライフロング・キンダーガーテン」の出版でのご尽力も間近に見させて頂いた経緯があることは明らかにしておくが、その関係があろうとなかろうと本書から得た深い示唆はこうした形での本書の紹介を促しただろう。
そして本当の最後に「#100日チャレンジ」を体験・実践されそれを共有してくれた大塚あみさんには創造的学習者、構築主義的学びの体験者として、これからも学び続けられることだろうなと注目していることをお伝えしたい。