さよならじゃない、またどこかで会おうよだよ
<バーアテンダント4>
世の中、どうでもいいことが多すぎる。
でも、”強く生きる”というテーマは、弱い自分に強く刺さってくる。
そんなことを考えさせてくれる映画「ノマドランド」を再度鑑賞した。
ノマド(流浪の民)が、キャンピングカーに乗って、旅をしている。
彼らがさまようアメリカ西部の乾燥地帯を、ノマドランドと呼んでいる。
「この砂漠では、GPSとスペアタイヤが、生命線よ」と、ノマド同士が教え合う
厳しい旅でもある。
だから、ノマドは、旅心が騒ぎ、自由を求めて漂流しているわけではない。
生活保護を受けたり、年金に頼らないで、自活できる仕事を求めて、ノマドランドを行き来する。
人がつくった道沿いには、労働を求めている場所と機会が必ずある。
過疎の砂漠には、amazon.comの配送センターもあって、ギフトシーズンの仕事にありつく。
ノマドたちは、たいてい、パートナーに先立たれた高齢の男や女のひとり旅だ。
いろんな人生を持ってめぐりあい、去っていく。
そして、人を思う心が、「思い出」になる。
昼のやわらかい陽を浴びながら、今朝のスープの味を思い出すように、
「思い出」が、静かな鼓動とともによみがえる。
ある病気で、余命宣告された老女が話してくれた。
「ある日、ドライブしていたら、車窓いっぱいにたくさんのツバメが、飛び交っているのが見えたの」
「川の断崖にたくさんの巣があって、ヒナがいて、ツバメが空を乱舞しているのよ」
「それが川面に映り込み、ツバメが天も地も埋め尽くしていた」
「自分も一緒に飛んでいるような気持ちになった」
「あああ、こんな素晴らしい景色を見れて、もういつ死んでもいいと思った」。
病院じゃなく、自然の中で死にたい、と言って去っていった彼女が、ツバメの
コロニーをもう一度訪れて、心を奪われるシーンを主人公の携帯に送ってきた。
「天と地のツバメ」は、彼女が亡くなる前の、心づくしのお土産だった。
ノマドの人たちは、別れるときには、”さよなら”を言わない。
最後ではない。
”また、どこかで会おうね”と言って別れる。
だれにも頼らないノマドの自立心で、めいめいが生きている。
厳しい気候のみが熟成させるトマトの美味を、みんな知っているように。