映画「シャイニング」の少年は、51歳になっていた
<ショーファー5>
私は、ショウファー。高級リムジンの雇われ運転手。
今回のリムジンの顧客は、「ダニー・ロイド:1972年10月13日生まれ(51才)映画『シャイニング』の子役デビュー4年後、映画界引退」と、会社から送られてきたプロフィールにあった。
プロフィールで、最初に疑問に思ったのは、この急な引退の理由は、なんだろう。
単なる雇われ運転手が気にすることでもない。
でも、顧客との会話に少しでも役立てればと、検索した。
小学生1年生で、撮影現場に連れてこられて、恐怖のシーンの連続。
それも、当初の4ヶ月が、12ヶ月に撮影期間を延長。
少年相手に、1つのシーンを148回撮り直した。
鬼才スタンリー・キューブリック監督だから、許されている。
恐怖にトラウマになって、精神に異常をきたすのも、少年ならおかしくない。
引退したくなっても不思議ではないと、推測した。
事実、恐怖の錯乱状態を演じていた母親役のシェリー・デュバルには、毎晩の特訓が待っていた。
”恐怖を演じている”とキューブリックの目には映ったようだった。
恐怖の心理を持続させるために、撮影中、彼女は、一人部屋に”隔離”された。
彼女が、バットを振って、狂気の夫を撃退するシーンは、127回の撮り直しを命じられた。
それにしても、127回目と86回目の彼女の演技の違いを言える人がいるだろうか。
失神するほど、細腕でバットを振り続けさせられた。
撮影後、彼女は、神経科の診療を必要とした。
ダニー ボーイは、本当に大丈夫だったのか。
ハリウッド記者キャス・クラークの、ダニー・ロイドへの取材を以下に引用する:
ダニーによれば「鉄道会社員の父親の応募申し込みでオーディションを受け、たまたま採用された。役者になる夢はなかった」。
また、4年間でハリウッドを撤退したのは「『シャイニング』のイメージが強すぎて、オーディションを次から次へと落ち続けたことで、あきらめがついた」。
現在は、故郷のケンタッキー州で、エリザベスタウン単科大学の生物学科の助教授をしている。
ダニーによると「大学で教え始めたころは、映画の少年のせりふ「レッドラム」をつぶやく学生たちがいた」という。
(ご存じ、「レッドラム(redrum)」とは殺人(murder)の逆読みで、少年が殺人を予感したときに発していたせりふ)
また「映画の中で乗り回していた三輪車がほしいと監督に頼んでいたのに、ついぞ送ってくれなかった」とダニーは笑顔で話した。
この代わりなのかわからないが、キューブリック監督は、過激なシーンをすべてカットした『シャイニング」の予告編を編集して、ダニーにプレゼントしてくれたようだ。
”ほら、これが、キミの出た(平和な家族のホテル生活の)映画だよ”
果たして、こんな”子供だまし”が通じたのか。
しかし、ハリウッド記者のこのインタビューを読む限り、ダニーが精神的ダメージを受けていなかったことは、わかる。
今日は、「シャイニング」の撮影場所のオレゴン州、オーバールック・ホテルに
向かう。
このホテルで、「シャイニング」以降、酔狂にも”ニュー・ホラームービー・
フェスティバル”が毎年開催。今年は、ダニーが講演をする予定だそうだ。
飛行機嫌いのデニーを案内するのが、ロールスロイスのリモ”ファントム”。
563馬力、6800cc、V12。
旅行嫌いでもあるダニーは、浮かぬ顔でガムを盛んに噛みながら現れた。
まるで有名なハリウッド俳優のように、とても無愛想。運転手なんかに目もくれないそぶりだった。ちょっとがっかりした。
体調が悪いのか。まさか、病んでいるなら、講演は引き受けないだろう。
オレゴン州のホテルに朝方着くようにするため、ロスからは、夜間ドライブで向かう。
小動物が飛び出してくる夜のドライブは疲れる。
しかし、ショウファーに文句は言えない。
夜のルート5号は、交通量も少なく、とても静かだ。
ロールスロイスは、滑るように高速道路を走っている。
深夜を過ぎたころ、後部座席との壁を激しく蹴り上げる、ドンドンという音がする。
後部モニターカメラをオンにした。しかし、後部座席が映らない。
レンズをなにかがおおっているようだ。まさか、彼の噛んでいたガムか。
マイクを通して尋ねようとした瞬間。
”レッド・・・ラ〜ム”
思いっきりアクセルを踏んだ。
ハイウエイ・パトロールに捕まってもいい。
さらに、アクセルを踏み込んだ。
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