いい不倫というのがあるらしい
つらいクリスマスになってしまったら、楽しいクリスマス映画「ダイハード」や「ラブ・アクチュアリー」あるいは「恋におちて」で、空気を入れ替えましょう。楽しむことは背徳ではありません。
「ダイハード(1988)」のエンディングには、全てのエッセンスが詰まっていて、楽しめます。始まって3分くらいにクリスマス曲が流れます。
「ラブ・アクチュアリー(2003)」全ての人が幸せになる映画は、クリスマスならではでしょうか。
そして、クリスマスの本屋さんで「恋におちてFalling in Love(1984)」。
NYの不倫愛。しかし、この不倫に関しては、しょうがないと肯定的な映画になっています。どうして?
このような夫婦は、ヒリヒリする擦過傷のような触られたくないデリケートなスポットを持っている。
フランク(ロバート・デニーロ)は、ビル一棟を任せられるくらいの建築士。子供が寝て、父が帰宅。父は、家ではエイリアン。妻が主人であり、趣味の園芸を楽しみ、一家を仕切る。二人の息子は、父の言うことなんか聞かない。
モリー(メリル・・ストリープ)は、プロのイラストレーター。夫は大病院の外科医で、家では今日患者が亡くなったとか、話題は仕事。夫婦に子供はいない。勝手に友達夫婦を招待しておいて、妻がそんな気分じゃないと言うと、電話を妻に押し付け、彼女に断らせる姑息な夫だった。
この夫婦に共通することは、すべて自己完結させ、相手に多くを求めない。小さな違いを気にしなかった。知らず知らずに、二人の心に隙間が生まれ、満たされない思いが溜まっていった。
そんなとき、同じ列車で通勤していたふたり。フランクはモリーに惹かれていった。人生は一度だけ、自分に正直に生きたいという思いが、ふたりの背中を押した。
ある日、同じ列車で帰ることになっていたが、フランクが仕事都合で、遅れて駅に駆け込んだ。モリーは約1時間立って待っていた。ふたりは、熱い抱擁をした。
翌日、「友達のアパートを借りたので会いたい」とフランクからデートの誘い。
ふたりは寝室には入らず、ソファで抱き合った。でも、モリーは、やはりいけないことだと思い、キスだけにとどめた。ロウソクの火が指で消されたように終わった。
列車の中で、フランクが「明日も会えるかな」と聞く。モリーは「それから、、」と、希望のない終着駅を悲嘆した。2人は徐々に会わなくなっていった。
モリーの父親が病気で亡くなる。葬儀の墓場で、悲しみに暮れるモリーを夫は抱きしめるが、義父を見舞いもしなかった夫に何がわかるのと言う気持ちで、モリーは夫の腕を振りほどいた。夫よりも、フランクに、そっと抱きしめられたかった。
フランクに、テキサスのもっと大きな建築の仕事の話がきた。新しい仕事に就くことを妻に話した。「子供の学校があるし、大変だわ、、まさかあなた一人で行くの」と妻が尋ねた。フランクは即答しない。「何か隠しているわね」女の勘が閃いた。
フランクは「彼女とは性的な関係はない。もう、会っていない」と言った。「その方が、もっと傷つく。何もない相手に、夫を奪われる私はなんなの?」妻は激怒。別居を妻から言い渡された。
テキサスに行く前に会いたいと、モリーの家に、突然電話した。夫がそばにいたので、答えられず電話を切った。察しのいい夫は「電車の男と、片がついたな」と冷ややかに言った。モリーは「最後に、彼に会いたい」と言って、夫の反対を押し切って、車を発進させた。豪雨の中、不慣れな運転をし、危うく事故になりそうになり断念。そして、夫はモリーから去った。
それから約1年後のクリスマス。フランクは、空き家になっていた自宅を売るためにNYに戻ってきた。虫の知らせで、ふたりが出会ったリゾーリ書店に行く。モリーもリゾーリにいた。
再会の挨拶は、お互いが探りを入れる。「お子様は元気ですか」「ご主人は元気ですか」おのおの無事を伝える。そして、ふたりはお店を出て別々の方向へ。
フランクも、モリーも思う。なにか様子が違う。フランクは、モリーが向かっているNYセントラル駅に走る。そして、列車の中で、お互いを見つける。ふたりは
自由になったことを、熱い抱擁で確信する。
人生は一度きり。この不倫は、背徳ではない(ように思う)。