チェット・ベーカーの”マイ・ファニー・バレンタイン”がどうしてこれだけ悲しいのか
<バーアテンダント2>
”天才は、天才にしかわからない”と言う。
(天才大谷が、大リーグで二刀流をこなせるとは予想できなかった。
私は、凡才です)
ジャズ・ミュージシャンのチェット・ベイカーが「僕とチャーリー・パーカーの解釈の違いがわからない耳を持った人に批評されたくない」と言って、天才同士にしかわからない音感があることを教えてくれた。
チェットの高校の音楽教師は「キミには、プロの音楽家は絶対無理だ」と言った。
その後、母親が、息子がプロのミュージシャンとしてデビューしたことを、音楽教師に手紙で知らせた。教師からは「よかった」とそっけない返信がきた。
凡才ほど、天才を激しく拒否するようだ。
(私たちは誰かに拒否されても、落ち込むことはない。むしろ、ヤツはまだ私の境地に達していないと思えばいい)。
チェット・ベイカーが12才のころ、父親からトランペットを与えられた。
父親は、プロのギタリストだったが、大恐慌で廃業した。
息子にせがまれてもいないのに楽器を与えた父親は、自分の夢を息子に託したかったのだろう。
天才は、どれくらいの速さで学べるのか。
彼の母親の話によると「2週間、ラジオを聴きっぱなしで、めざましい進歩」。(彼女はピアニストだったので、親のひいき目ではなく正確にとらえていると思われる)。
でも、彼は、耳ですべてを吸収したので、楽譜を読めない。というか、読む必要がなかった。
天才ぶりは、バンドのオーディションでも発揮された。あるとき、100人くらい応募者が集まったオーディションがあった。最初に「チェット・ベイカーはいるか?」と呼び出され、彼がトランペットを吹くと、オーディションはそこで終了した。
しかし、天才にも不幸はやってくる。
彼を認めてくれたチャーリー・パーカー同様、チェットも麻薬を20代から始めてしまった。
麻薬は、聞いたこともない音域を幻聴させてくれる。音感サプリのようなもの。命を削って、ミュージシャンがハマってしまう。
37才のとき、今までの代金を回収にかかった麻薬売人との乱闘で、鼻をへし折られ、アゴの骨を砕かれ、前歯をほとんど失くし、ミュージシャン生命が危ぶまれる負傷を負った。
トランペットを再び吹けるようになるまで、6年をついやした。チェットが麻薬を絶った6年間でもあった。その間、献身的に支えてくれた女性がいた。
その後のNY進出をかけた重要なオーディションで、チェットは緊張と恐怖から
コカインを溶かすロウソクに火をつけた。冴えざえと歌い上げた”マイ・ファニー・バレンタイン”を聞いた彼女は、彼に背を向けて去った。また、麻薬に手を出したことがわかったからだった。
成功したNY公演後の、親子の会話がある。
父「女のような声で歌うのをやめろよ。トランペットだけでいいじゃないか」
息子「あれで、たくさんのレコードが売れたんだ。オヤジは何枚レコードを売ったんだ」
父「でも、俺は、麻薬で家の名前を汚さなかったぞ」
あるとき、ガールフレンドが「どうして、麻薬やるの?」と聞いた。
チェットは「しあわせになるために、堕ちるんだ」と言った。
1988年、58才で絶命するまで、音楽と麻薬の、地獄の日々を過ごした。
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