《貨幣論》(岩井克人 筑摩書房 1993)
暇つぶしにテレビをザッピングしているとき、岩井克人さんが次のように語っている映像に、胸を突きさされるような衝撃にとらわれた。
●貨幣は人類が、純粋な価値を求めて生み出した。
● しかし、純粋な価値を保全するモノなどあり得ない。
● 而して、必然的にバブルが惹起される。
NHKのBS1スペシャル「欲望の資本主義 特別編 欲望の貨幣論2019」であった。
私は、30年にわたり中国ビジネスに従事していた。改革開放以降、中国ビジネスに関わる者にとって、他の発展途上国同様に閉鎖的な各種現地規制は悩みの種であり、中でも金融制度は、最終的に資金繰り・収益に影響する問題であり、神経をすり減らされた。
古代の時代から数千年にわたり、銀の秤量貨幣が基本で、為替も決済も地域権力や利害共有集団同士の騙しあいであった地域に対して、中華人民共和国という強権権力がむりやり政権の支配地域に「人民元」という価値を押し付けている、というのが実態であるので、現代になっても金融制度は安定しない。
日本では、電子決済がいち早く普及した状況について、決済制度の革新である美談として理解されている模様であるが、実態は異なる。
先述の通り、無理やり押し付けた「人民元」なる貨幣もどきの紙を誰も信用しない。銀の秤量貨幣であった時代に、銀の含有量をごまかして儲けようとしたのと同様に、市中には偽札で溢れていた。
横丁の小さな小売店に至るまで、偽札鑑定器がおかれている、という実態を知れば、状況をご理解いただけるであろう。
こういう状況では、あてにならない紙幣よりも、信用のおける企業が発行する“信用”を人々は信用する。これはかつて、含有量の怪しい秤量銀貨よりも信用のおける金融業者(銭荘など)や地域商人集団(山西商人や浙江商人など)が発行する商業手形を信用したのと構造は同じである。
奇しくも浙江商人の血が流れる馬雲(Jack Ma)率いるアリババは、浙江省の商工業者間の電子商取引で基礎を固め、これが全世界に広がった。商取引には決済が必須であり、電子決済機能を付けた。これに“皇帝”がお墨付きを与えたのである。
かつて、山西商人、浙江商人、福建商人、安徽商人等々は、それぞれの利益共同体内で全世界にわたる決済ネットワークを持っていた。ただ、清朝までの王朝は、これを統一して管理しようという発想はなかった。この点については、今の王朝は進歩している。
こういう状況に対して、私は正直なところ、なんと後進的な社会だろう、と見下す感情があったことを率直に告白する。しかし、冒頭にあげた岩井さんの言葉を聞いた瞬間、実は大陸の方々こそ、貨幣の本質を見切っているのではないか?、と胸を突きさされたのである。
考えてみれば、日本人は貨幣を純粋な価値という属性のみで理解してきたのではないだろうか?
もちろん藩札のようなものもあったが地域内限定である。
《満州中央銀行始末記》(武田英克 PHP研究所 1986)には、満州国の中央銀行であった満州中央銀行が、従来の多種多様な“貨幣”を回収して満州国としての統一貨幣を発行する経緯が記されている。
銭荘などの金融業者は当初、中央銀行もまた「札を刷る」業者の類にしか考えていなかった。これに対して満州中央銀行幹部が、政府としての金融管理(外貨との為替調整や市中金融業者への資金供給など)を説明して理解を広げたというのである。
この状況には、大陸と日本との金融政策に対する認識の相違が象徴的に表れていると考える。どちらが優秀だ、ということを言っているのではない。外界と海で明確に隔絶された現在の日本国の領域における行政と、遮るもののない大陸で常に他の利益共有集団との血で血を争う戦いを繰り広げる広大な領域における生き残り策に係る以下の相違である。
大陸:貨幣の純粋な価値を保全する政策など存在しない。
日本:金融政策により、貨幣に純粋な価値を保全することが可能だ。
時代劇では悪徳官僚として描かれることが多い荻原重秀の貨幣改鋳も立派な国家としての金融政策である。時機を逸したことは失敗であるが、金融政策たる貨幣改鋳という手法自体に問題があるわけではない。
荻原重秀は新井白石などの儒者からの猛烈な批判にさらされた。金のみを純粋な価値の源泉とするマルクスの貨幣商品説には、ある種儒者との共通点がみられる。日本人がマルクスに魅かれたのには、こういう背景もあるのではないだろうか?
このようなことを考えていた時に《貨幣論》(岩井克人 筑摩書房 1993)を手にして、冒頭からいきなり衝撃を受けた。
世界が社会主義の危機について語りやまない時に、資本主義の危機について語るのはたしかに時代錯誤である。だが、危機はわすれたころにやってくる。しかも、それはまったく思いもかけないかたちでやってくるのである。時代錯誤とは、字義どおりには時代を錯誤することである。だが、時代が錯誤していることだっておおいにありうるのである。
執筆時期から約30年を経て、“わすれたころ”である今、わたしたちは“資本主義の危機”に直面している。
そして、この直後に引用された《共産党宣言》(マルクス・エンゲルス 1848)の一節に、さらに大きな衝撃を受けた。
商業恐慌では、つくりだされた生産物の大部分ばかりでなく、これまでにつくられた生産諸力の大部分さえ、破壊されるのが通例である。恐慌においては、以前のどんな時代にもとても起こるとは考えられなかったような社会的疫病―過剰生産という疫病が発生する。社会がとつぜん、一瞬のあいだ未開状態に逆戻りしたようになる。飢饉、一般的な破壊戦争が、社会からすべての生活手段を奪い去ったように見える。なぜそうなるのか?社会に文明がありすぎ、生活手段が多すぎ、工業や商業が発達し過ぎたからである。
現状を考えると、背筋が寒くなる。
“以前のどんな時代にもとても起こるとは考えられなかったような”(本来の)疫病が・・・
“商業恐慌”を起こし・・・
“社会がとつぜん、一瞬のあいだ未開状態に逆戻りしたように”なっている・・・
商業恐慌の原因と解決策に関するマルクス・エンゲルスの主張には全く同意できないが、資本主義経済の本質を看破している考察には驚かされるばかりである。
私は、資本論も共産党宣言も一切読んでいない。必須科目として受講したマルクス経済学の講義は、どれもこれも19世紀末のヨーロッパ経済史の繰り返しであり、到底学ぶに足るものには思えなかった。
岩井さんは、15年ほど年長で学生時代はマルクス経済学全盛期である。資本論などを読み込んだうえで、近代経済学に進まれている。だからこその洞察力なのだろう。
若き日の自身の怠惰と過信を恥じるばかりだ。