"漢民族社会”の「ことば」と「こころ」
漢民族社会で語られる「ことば」は、冗長で回りくどく味気ない。全人代における習近平による2~3時間もの講話が典型例であるが、政治・行政のみならず風俗・文化の領域でも同様である。一見格調高く四千年の文化の蓄積に満ち溢れており、漢学好き趣味人としては楽しいものの、正確な事実の伝達を妨げるという点において実用性に欠き、さりとて感情の率直な吐露も巧みに回避されており、様式美以外の芸術性が希薄であるように感じる。
このような表現となるのは、故事・古典を多用した比喩で修辞されていること、さらには儒教、道教、ラマ教、三民主義そして毛沢東思想等々、時の政権が掲げる規範に則した様式に従う必要があること、が大きな要因であるものと考える。但し、訓詁学的な知識装備を行い、時の支配者が求める様式を理解しなければ、利益を享受できる集団から排除されることを否応なく理解させられるという点においては絶大な効果を上げている。
一方、四書五経の詩経における「うた」は、このような修辞も様式も未発達であった時代の作品であり、言葉が短く、表現が複雑ではないので、心に響く思いがする。詩経と比べてしまうと、唐詩すら現代文と同じ領域の文章に見える。
ところが、詩経から想像される人間の息遣いと、親しい現代中国の友人達の表情とは、不思議と重なる。うちとけて本音で話せる関係になってから「敏感的」と言ってニヤリと笑う表情である。
もちろん現代に伝承された詩経も、儒教や道教等々支配者側の規範により選別され、再定義された結果として残ったものであり、ありのままの姿が残されている訳ではない。
であるにも拘らず、始皇帝の秦が統一した戦国七雄の7国以前の、さらに小さい都市国家単位の「こころ」が残される強い動機があったのである。これも、現代中国の友人達が都市単位で郷党意識を語る状況と重なるのだ。
焚書坑儒に始まる無数の文字の獄に遭っても伝えられた「うた」には、修辞に飾られない真の「こころ」を残したいという強い思いに従った数多くの人々の「こころ」も込められているに相違ない。