【日記】コロナのやつ(後編)
斯様にして、発症から四日までは身体が直接コロナと闘うことに夢中で、他に何も顧みる余裕などなかったのだが、それから先は人や外界との接触が断たれるという苦しみとの精神的な戦いが始まったので、それについて書こうと思う。
その前に、発症した初めての夜に見た奇妙な夢について書いておこうと思う。夢を見た、とはいっても、気分から言えば夢から、あるいは深い眠りから弾き出された、という思いが強かった。ほとんど黒い、わずかに茶色がかった粘ついた空間の中に、綺麗な正方形の形をしたゼリー状の塊があった、これも半透明であるような印象だった。それに対して、何度も攻撃を加え、一部宇宙空間を漂っていて、宇宙船のような、なにか微細なものが飛び交っている感じもあった。
寝ては醒める間に、即座にこれは、コロナという症状自体を表していて、何とも露骨で余裕のない夢を見たものだ、とあきれもしたが、そのときの自分の全身に必要だったのはただ一つウィルスとの闘いでしかなく、人間生きている間に何度か経験する、生きるか死ぬかの瞬間に、身体と精神が深く結びついており、身体の為に精神が従属して一体となって稼働していることをも感じ取って、深い思いにふけった。
その時はその解釈、および夢内容に薄い感動すら覚えたのだが、やはり夢を見てすぐ、それを解釈している段階もいわば夢のうちに入るもので、さらに覚醒が進めば、これきりのことかと何だか矮小化されたような気分になった。
そんなことがあった。
四日目以降であるが、症状がやや残っているとはいえほとんど普段と同じ状態だったので、当初イメージしていたところでは、仕事で時間が取れない所を、小説を書くだとか、もしできなければ本を読むとか、少なくとも今取り組んでいる試験の勉強のいずれかを集中して取れるはずだ、と意気込んでいたのだが、その四日間で体力が激減してしまったのと、外的刺激がないので頭が余暇の方に回らない。何より、仕事のリズムがないと、時間が永遠に切れ目なく流れているような気がして、とにかく何もする気がなかったか、本当にしょうもないユーチューブ動画を見ているだけだった、ユーチューブは本当によく見ていたが、普段見るようなものはちょうど平日更新とか、仕事をしていて余暇に見るには充分な量なのだが、起きている間ずっと見ているものだから、見るものがなくなってよりしょうもないもの、いつものチャンネルはもうないから単に5ちゃんねるの文字を読み上げたものなどを、鬼のように見ていた。
仕事なんか、もしお金がもらえればすぐにでもやめてやる、そんなものとは別の楽しみを見つける能力が自分にはあるはずだ、とどこかで思っていたのだが、これほどバランスを崩すとは思ってもみなかった。
十日間あった休みの最終日、仕事に行きたくなくて仕方がなくなるのかと思っていたが、もう療養生活は悪夢のようになっており、通常通りの生活を待ち望んでいた、というよりは、感情がなく、無のようになっていた、文字で書くとそんなわけがないという感じがするが、少なくとも感情の起伏が、平常の何倍も起きにくく、落ち込むとか、逆に喜ぶとかいったことが明らかに出来にくいことは自覚としてもわかるくらいだった。
そして、仕事に復帰して、その次の日がまた休みだったのだが、休みとは、仕事があるから休みになるのであって、無限の休みは何かそれとは明らかに別の存在だったと気づいた。また、コロナの症状が致命的でないのならば、次に人間として危機を感じるのはこの自宅にしかいられないというシチュエーション、これが本当に良くないものだと実感し、この方がいい経験になった。