【日記】曲と境位
たとえば、「うっせえわ」は、人が職場で自分の倫理観と違和を感じる発言がなされた時の気分を歌っているので、その職場にいる自分という状況を切り取った歌となる。昨日の記事で扱った「ロングバケーション」は、仕事から解放されて当時は二週間以上の休暇が取れたのでたまには外国に羽を伸ばそうといった発想も許されたので、あるいは社会的にそういう感情があると承認されうる歌であったので、ああいう歌あるいはアルバム全体の雰囲気が許されたのだと思う。「はらいそ」はどうだろうか。細野晴臣の宇宙観と言われている、曲でありアルバムである。どうも、海外という、異境という感触を手掛かりにした、この世ではない場所について書いた曲だと言えるだろうか。「風街」世界自体はどうだろうか。昭和の末期に位置する、ある架空の街といったような空気感。Aphex Twin、あの曲においてはAFXと読んでいたと思う互いの音空間は本当にすんでの所で違うのだがその名義で書かれた「Hangable Auto Bulb」における「Children Talking」においてはどうだろうか、あの空間、というかあのアルバム、アルバムが編纂されたのは後のことらしいのであの二枚の対nになったシングル、全ての曲に通底するやや閉塞的な音空間、特に「Mashed Potatoes……」連続するあの発言、本当にものすごい発言だがいつ発された言葉なのか全く不明であるにもかかわらずあの少年は自分が音の渦の中で大人のインタビュアーとともにマッシュポテトになっていることに気付いてあの発言をしたのである、ゆえに、ゆえに? 知らんけれどもあの音空間はどうも前後のAFXおよびAphex Twin音空間と比べても比較的狭い空間に閉じ込められているような感じを受ける、それはFantasiaの空間内で別の意味を加えられたポルノ女優と同じかもしれない。Taking Controlの中に閉じ込められた、何だかわからないがトレーニングの指導をしている女性の場合はどうだろうか、もはやどうとかないが、なぜあれほど閉じ込められていると感じるのだろうか、やはり、音声の本来の発している目的と今いる音の空間が乖離しているからだろう、私は何を言いたいのか、別にわからないが……