【読書録】ミシェル・レリス『成熟の年齢』1
最近、本を読む機運が高まっている。昨日書いたことと真逆だが、一昨日あたりにある経験があって、前と同じようにどんどん読んでいく読書を再開しよう、広い目で見たら、十幾年前から、本を読むことを途絶えさせたことはないのだが、それでもここ数ヶ月、これほど読まなかったこともなくて、また自分の気分も変えたいし、そもそもルーツに触れるような読書を……ともかく、本を集中的に読むことを再開して、その第一歩にしたのが、ミシェル・レリスの『成熟の年齢』だった。
聞く人が聞けば、「またレリスか……」となるかもしれない。要するに、自分も保坂和志フォロワーの一人なのだ。いつからか、はっきりといえばそれは『未明の闘争』からであるというのははっきりしているのだが、そこから、正面から、自分の生活の一部を切り取るようにして、保坂和志の著作や、そこで触れている本を自分の身に呑み込むようにして読んでいく、ということをしているのが恥ずかしくなってきたので、というのは、保坂和志は、オリジナリティの復権とでもいうような読書の方法を提示していたけれども、それをトレースするのは、他のオリジナリティを得たい人もやっているので、まるで工場生産品みたいにして保坂和志フォロワーが発生しているという事態の矛盾に気付いたので、そういう読み方を律義に継続するのをやめてしまって、少し遠ざかって別の著者の、といってもやってることは相変わらずで今度は佐々木中という人の著作を追い始めたのだが、ともかく追うのをやめてしまった。
その直前で、保坂和志がどんな本より一番信頼していると言っていた(だが彼は、たぶん意識してだが、どんな本もその一時期にハマってしまえばそんな言い方をする、そういう言説が好きなのだろう、態度というか)のが、ミシェル・レリスであり、全く読み切れる気のしない、彼の書くことに対する情熱の塊みたいな、ミシェル・レリス日記1・2という分冊の、2段組みのかなりページ数もある本を最も読むべき本として位置付けており、僕はその本を分冊一つ分の半分は、一旦読み進めたと思う、ただ、一回読み進めて完全に停滞してしまったので、今まで読んだ分を忘れてしまったので、もう一度、最初から読み直した形跡がある、今栞が挟まっているのは、分冊一巻の、最初の年の最初の日の所だった。
もう一つ、平凡社ライブラリーの、中でもページ数がトップレベルである、同じくミシェル・レリスの『幻のアフリカ』という本も、次に勧められる本として、保坂和志が勧めていた。彼の『小説をめぐって』という、新潮の連載シリーズのどこかで、「トゥトゥグリ」という、アフリカの呪物を採取する過程で、原住民がのらりくらりと色々なことを言って、調査員が途方に暮れるという場面を、今でも思い出せる、そんな引用もあった。
だが、これはおそらく日記の半分かそれ以下であろうが、平凡社ライブラリーの形式で信じられないレベルだが八百ページは越えていたと思う、すぐには読み切れない分量だった。
これは読むには読むが、その前に、もう少し軽いものを読んで助走をつけようと思ったのが本書の『成熟の年齢』だった。『幻のアフリカ』は、フランスが当時行っていた前例のないレベルのアフリカ調査の、その調査団に加わっていたレリスの公式の活動日誌であったということだが、それは個人的日記に限りなく近づいた異例の謎の書物に変化したということだった。ともかく、出自としては個人的なものではない。対して、『成熟の年齢』は、今読んだ所では、自分の中年に差し掛かった人生の思い出話であるような、著作家の半生記であるような性質の方が強い、そして分量も他の主著に比べれば少し少ないのでとっつきやすい、ということで、まずはこちらを読み進めることを選んだ。
要は、かつて崇めていた著者の読書を、その幻想がおそらくは今は剥がれているのだろうが、その状態で再度読んでみたらどういう感じなのだろうと思って、読み始めた次第である。