多くは素性を語るつもりはないけど 私の世界は4歳の時すでに完成されていた そう感じたのはある程度人生というものを 経験してみてから この感覚は自己中かもしれないし 厨二病かもしれない、偏見かもしれない でも 好きなようにかいていこうとおもう なんちって
難しいよねぇ 日々各界隈の自称〇〇と△△とで 誹謗中傷のラリーや マウンティングゲーム 偏ったレッテルを貼られた上で 大衆に晒されることによる 通り魔的なネットリンチ 見てて自分はこうなりたくはないなと 思う一方で 結局は自分も同じ人間で 少数派を叩いたり 間接的にマウント取ったり 場に飲まれるような要素が 自分に全くないかと言われると もちろんノー ただ喉元まで出かかった言葉を グッと一度飲み込む 好きなだけ書いたコメントの 送信ボタンを押すのを一度考え直してみる
久しぶり 最近よく聞くようになったAI AIが人間を超えるのはいつ? 定義はいろいろで まだまだ人間には遠く及ばないとか 聞こえてきたりする 人間が人間をプログラムで作ることは 難しいのかもだけど そもそも人間って そんな大層なものなのかな? と感じる時もしばしば 人間の感性や感情 創造する力とか いろいろな感覚や 考える力が人間にはあって AIはプログラムと これまで学習した反応などを 組み合わせて 人間っぽく上手に 振る舞って見せるだけ ね? 人間
朝目が覚めてふと考える 夜寝る前でもふと考える 今日の自分は昨日の記憶を引き継いだだけの 今日だけの自分なのかもしれない もしかすると日単位ではなく 時間とか、分単位とかなのかもしれない 新しい自分が時間の経過とともに 連続して生まれていて どんどん死んでいく自分の残骸が 記憶という名前で脳に刻まれて いってるんじゃないか 実は寝るということは死ぬと いうことと同義なんじゃないか 確かに今の自分は昨日の自分と同じ自分だと 自分に言い聞かせてはみるものの 確証は得ら
目に見えるものは信用できて 目に見えないものは信用できない 保育園の先生もまわりのみんなも 私が見ている間は人間だけど 後ろを向いてもう一度振り返るまで もしかしたらみんな角と羽が生えてて 振り返るたびに引っ込めてるかもしれない 実はみんな神様が仕組んだ道化で 私が見ている間だけ人間を演じて 見ていない時は休憩しているのかもしれない なんなら空間そのものも無くなって そこにあると錯覚させるために音や振動だけ がスピーカーか何かから発せられているだけ なのかもしれない